兎と婚約指輪 六
「さっき外の世界で面倒そうな物を拾ったよ」
「へぇ、なんだい?」
「たぶん、彗星石だ」
下の集落からドン! という大きな音が聞こえる。人々の悲鳴や足音も。
「それはまずいね」
トイは、悲鳴なんて聞こえなかったかのように話を続ける。
彗星石はこの滅亡寸前の世界のどこにでもある。飲まれてしまいそうなほど黒くて、赤や黄色、青の光が渦を巻いている石だ。
「それが木の枝か珊瑚のような形をしていて、触ってみるとすっかり石なんだけれど。そんな事ってあるのか?」
「吸ってしまったんだろうね。でなければ同化したんだ。どのみちそれは間違いなく彗星石で、間違いなく遺物だよ」
それを聞いて、シタは盛大に溜め息を吐く。
「拾ったのは間違いだったかと後悔している所だよ」
「また間違えたのかい。懲りないね」
トイはカラカラと笑う。
現代で彗星石を見た人はいない。けれどあれを落した人がそれは神話に聞く彗星石だと気が付いていたのなら、是が非でも取り返しに来るだろう。
あぁ、返してしまいたい、とシタは思う。
けれど彗星石の危険さはトイに嫌というほど聞かされているし、本の中で何度も見てきたのだ。石に憑りつかれて世界が滅びる様を。
そんな物をおいそれと返す訳にいかない事くらい、シタにはよく分かっていた。
「ところで彼女はどこにいる?」
シタが聞くと、トイはスッと集落の方を指さした。依然としてそこからは人々のあげる声や、壁の崩れる音なんかが聞こえてきている。
「まずいじゃないか! 危ないだろう」
「危ない事はないさ。この音を出しているのは彼女なんだからね」
トイは予想もしなかった事を言った。
「なんだってあんなに暴れているんだ? 私はてっきり、彼女は迷子の婚約者の魂を探しているとばかり思っていたのに」
シタが驚いたような呆れた声で聞くと、トイは疲れた顔で笑ってこう言った。
「おかしな事を言うね。彼女が探しているのは海の底に沈んだ婚約指輪だよ。これで二回目なんだ」
「婚約指輪……」
シタは呟きながら考えてみる。
週に三日も行って顔を合わせていた母が、ここ四回は息子に会えていない。
息子の部屋にはもちろん息子の体は置き去りにされていなくて、無理やり魂が張り付けられて泣き出した本や、狂い咲く梅の盆栽、電池を抜いても明滅を続ける時計なんていう奇物もなかった。
鳩たちの証言によれば、先週からは一度も息子は婚約者の家に行っていない。
その婚約者は失くした婚約指輪を必死で探している。
「婚約指輪って、そう何度も失くすものかな?」
「さぁ。どうだろうね。僕は生涯独身だったからね。そういう事はウナにでも聞いてみたらいいんじゃないかな?」
「そうだ、そのウナの事なんだけど」
シタは今日のウナの様子を思い出しながら聞く。
「今日は客の鞄が光っていたという事だったけれど、この前は銀行強盗に入られているその目の前を素通りして隣の店で夕飯の買い物をしたんだ。聞くとウナは、気にならなかったから見ていなかったと言う。それだけじゃない。裸のアバターが通りを歩いて騒ぎになっていると言うのに、ウナときたらこんにちわって挨拶をしてすれ違うんだ。明らかにおかしいだろう。いい加減に教えてくれないか」
シタは同じ質問を何度もトイにしていた。けれどハッキリと答えてもらった事は一度もない。今回もどうせダメだろうな、とシタが考えていると、トイは腕を組んで答える。
「彼女の記憶がないのは知っているよね?」
「あぁ。二年前に記憶喪失になったんだ」
「それと同じだよ。彼女には好奇心というものが、まるで無いんだ」
「それはつまりこの本と、彗星石との契約で渡してしまったという事なのか?」
「契約はしたよ」
トイは、それ以上答えるつもりは無いようだった。
ウナが記憶を失くすより前から彼女を知っているカカは、ウナは子供の頃から鈍いところがあったらしいと言っていた。
そうすると彼女が好奇心を失くしたのは子供の頃という事だろうか?
考え込んでいると、ついに集落の家々が姿を残さず崩落し始めた。
二人はそちらの方へ歩いて向かいながら話を続ける。
「その契約は、ウナが死ねない事と関係があるのか」
「ないね」
シタの質問に、トイはスッパリと答えた。
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