星に願いを!

ひなた

第1話 最悪のタイミング

 ちょっとだけ変な人がいました。

夜の帳の中、本州と四国を結ぶ最大の吊り橋である明石海峡大橋主塔のテッペンに、20代前半に見える精悍な顔立ち男が素っ裸で鎮座しているのだ。どういう訳か身体中傷だらけだ。

 それを見て、取り逃がした獲物を探し、空中を旋回していた片目の潰れた鷹は疑問に思った。

 なぜあの男は素っ裸で風にひゅうひゅうと吹かれながら、あのような場所にいるのだろうか?

 腹が減って頭がうまく働かない鷹は、その小さな頭をフル回転させて考える。

 淡路島の素晴らしい夜景を見るために登ったのだろうか?

 あそこから飛び降りて、自ら命を絶つためであろうか?

 特殊な性癖の持ち主なのだろうか?

 

 鷹は得体の知れない男に恐怖を感じていた。なぜなら彼の眼が鵜の目鷹の目、獲物を狙う狩人のそれに見えたのだ。本能は近づくべきではないと告げていた。

 だが夜の闇が鷹の理性を狂わせた。生物ピラミッドの最上位たる自分に危害を加える生物などいないだろうと思ったのだ。

 好奇心を抑えることのできない鷹は、男に接近することに決めた。

 

 ⚾️

 

 一歩前に踏み出すこと、それは変化を望むならば必ずせねばならぬことだ。 俺だって本当ならば一歩前に踏み出したい。新しい人生をスタートさせたい。

しかしそれはできない。

 なぜなら、今一歩でも踏み出してしまうと、今まで積み上げてきたものが全て水泡に帰してしまうからだ。それだけは絶対にできない。これまでずっと焦がれて、待ち望んで、望み続けた願望が遂に叶ったのだ。

 だがこの状況を一体どうすれば良いのだ。

 足元の遥か彼方先に目を遣ると、右側には軽く100 km/hを超える速さで鉄の塊が高速移動している。左側には真っ黒な瀬戸内海が延々と広がっている。

 

 一歩踏み出したら即死じゃん。


 海がざわざわと騒ぎ始めた。こっちにおいで、こっちにおいでと手招きしているように思える。

陸から海に吹き込む冷涼な宵の風が男の脇を吹き抜ける。陸風は私たちと一つになろうと誘っているようだ。

 以前の俺ならば素直に誘いに応じたのになぁ。

男はぼりぼりと艶のある黒髪をかいた。


⚾️


 思い起こしてみると、ろくな人生ではなかった。

働き者の父と慈愛深き母の元に生まれた。2人はおしどり夫婦で俺は幸せだった。

 だが働き者だった父は、育ち盛りの俺にたくさん食わせてやろうと無理をして死んだ。父が倒れてすぐに母も病で死んだ。烏に反哺の孝あり、苦労をかけた分だけ恩返しをしたかったのに。

 濡れた虚ろな眼差しで神戸の街並みを俯瞰する。もう日も暮れて随分時間が経つというのに神戸の街並みはチカチカと輝いている。それが眩しすぎて、すぐに暗い海へと目を逸らした。


 母が死んでから俺はずっと1人で生きてきた。毎日生きることに必死だった。何度も人を騙したし、利用もした。身を守るためなら人を傷つけもした。それが悪いことだとは思わなかった。そうしなければ生きていけなかったから。

 伸びきった爪で太腿をガリガリと掻き毟ると、脆い皮膚は簡単に破れ血が滲んだ。

 

 だから俺は穏やかな暮らしに憧れた。喉から手が出るほど欲した。

俺は毎日、食事にありつく為に、惨めにゴミ箱を漁らなければならなかった。そんな俺を傍目に、幼子が父親と母親に幸せそうに手を繋いでいる姿を見ると、妬ましくて気が狂いそうだった。この状況を変えられるならなんでも良い、本気でそう願った。

 そんな時だった、あの幼子が無邪気に呟いたのだ。

「パパ〜、お星様が流れる間に願い事を3回唱えると、願いが叶うって本当?」

 

 俺はそれを聞いて、心底馬鹿なものだと軽蔑した。呑気なものだ。

 

 だがその父親は頬を緩め、幼子の頭をワシャワシャと撫でながら言ったのだ。

「ああ、本当だよ。僕が星にお願いしたから父さんと母さんは出会えたし、君は生まれてきたんだよ。今日は父さんと母さんが出会った天文台にペルセウス座流星群を見に行こうね。」

 幼子はそれを聞いてやったー!と飛び上がった。

 

 俺も驚きのあまり飛び上がった。

そんな都合の良いことあるわけないと心の奥底では思っているのだが、体は素直だった。誰よりも高い場所でそのペルセウス座流星群とやらを見てやろうと動き出していた。


 だがそれは迂闊だった。よほど浮かれていたのか、いつもならばすぐに気づく奴の存在に全く気がつかなった。俺は忽ち捉えられ、逃げられないようにと身体中を傷つけられた。

 視界はかすみ、身体中から正気が抜け落ちていくのを感じたが、俺は諦めなかった。目的の場所は目と鼻の先だったのだ。

 最後の力を振り絞り、不意をついて奴の片目を潰し、逃げ出した。

そして真っ黒な翼で夜の闇を切り裂き、明石海峡大橋主塔に飛び上がり、星空に懇願した。


「どうか俺を人間にしてくれ。どうか俺を人間にしてくれ。どうか俺を人間にしてくれ。」


 ちょうどその時、ピカッと一筋の燦然ときらめく流星が視界を横切った。


⚾️


 かくかくしかじかで俺の願いは叶い、晴れて俺は人間になった。

だが本当にどうすれば良いのだろうか。空を自由に駆ける翼は失ってしまった。

最悪のタイミングだなと肩をすくめ、自嘲的な笑みを浮かべる。

 ちょうどその時、腹がぐうと音を鳴らした。

何もないとはわかっているが、辺りを見渡すと、一匹の鷹がこちらに向かって近づいてくるのが見えた。

 まずは食事にしようか、そう思った。






終わり


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