幼馴染の作ったクッキーは苦かった
月之影心
幼馴染の作ったクッキーは苦かった
「明日、告白するわ。」
学校からの帰り道。
僕の隣を歩く女子高生から、決意に満ちた力強くも透き通った声が耳に入ってきた。
彼女は
活発で性格も明るく容姿端麗な隣の家に住む同い年の幼馴染。
学校でも相当モテていて数多の告白を受けては断りを続けているのだが、勉強があまり得意では無い事と、恋愛に関してはヘタレなところが欠点だろうか。
「告白って、あいつ?」
「彼以外誰が居るのよ。」
「そっか。頑張れよ。」
千尋が心を寄せているのは、学校で一番と言われるイケメンの
勿論、千尋と同様に学校では相当モテるし、街を歩けば確実に女性の視線を集める。
更に、何処かの執事かと思える程の気遣いと優しさに満ち溢れた甘いマスクで、彼を悪く言う奴は単純に嫉妬心でしかないであろうと言われている、高校のクラスメートにして……
……僕の親友だ。
今回はどこまで言えるのかな?
前は呼び出しておいて『好きです』の『す』も言えずに雑談だけして解散したんだったな。
僕も千尋も淳も同じクラスメートなのと、淳があまり鋭い方では無いのもあり、千尋が告白しようとしている空気を掴まれず仕舞いだったとか言っていたな。
「何か
「そんな事無いよ。」
千尋が淳に告白しようとしてるのって一体何回目だ……何回告白出来ずに先送りにしてるんだ……と思いつつ、確かに素っ気なくしてしまっているなぁと自覚もしていた。
そりゃあ素っ気なくもなる……僕は幼い頃から……千尋が好きなのだから……。
「それで、今回はどうするの?」
「今回はお菓子を作ろうと思うの。」
食べ物作戦は、バレンタインデーにデパートでちょっと高級なチョコレートを買ったが結局渡せず、何故か僕が買い取らされて胃の中に収まったのがあるだけ。
と言うか、お世辞にも千尋は料理が上手なわけじゃないのであまりお勧めは出来ないのだが。
「シンプルに家庭的な女性の魅力を伝えるのよ。」
「はぁ……いいかもね。」
「それで、じゅ、じゅn……狭山君の好みって知らないかな?と思って……」
本人の居ない所でさえ名前を呼ぶ事を躊躇ってるのに告白って……大丈夫か?
「あぁ……あんまり好き嫌いのある奴じゃないから何でもいいんじゃない?」
「ほら素っ気ない。」
「だってあいつが『これ食べられない』とか言ってんの聞いた事無いし。定番のクッキーとかでいいんじゃないかな?」
「クッキーか……うん!頑張ってみるよ!」
頭に浮かんだものを適当に言っただけだが、千尋は妙にやる気になっていた。
僕は、少し早足になって僕より一歩前に出て歩く幼馴染を、複雑な思いで眺めながら後を着いて歩いた。
**********
僕、
淳はその甘いマスクと執事を思わせる気遣いで、女子にはモテるし男子にもそれなりに人気があった。
何故そんな人気者と僕が親友なのかを千尋も不思議そうに思っていたようだが、実はそんなに深い理由など無くて、単に中学1年から現在高校3年までの6年、唯一ずっと同じ学校同じクラスという偶然から一番よく話をしたというだけの事だ。
馬鹿話もするし真面目な話も難しい話もする。
気が付けばお互いに『親友』と呼べる間柄になっていた……という感じ。
そして、淳には意中の人が居る。
僕と淳がよく行く喫茶店でアルバイトをしている女の人。
大学生で名前を
異性の扱いに慣れていない高校生なら、意中の人に何とか見てもらおうとおチャラけた行動でアピールして失敗するのがオチだが、淳はそれこそ『執事の次は紳士か』と言わんばかりの姿勢で、決してがっつく事も無く、高校生らしからぬ態度で遥さんといつの間にか仲良くなっていった。
僕も『狭山君のお友達』として遥さんと仲良くなれたのは幸運だったかも。
淳は遥さんへの好意を直接的に押し出す事が無いまま、ある日僕に言ってきた。
「今度、遥さんに告白しようと思う。」
僕は淳の気持ちが中途半端なものでは無い事くらい分かっていたので、心底『頑張れよ』と応援する気持ちになっていた。
「根拠は無いけど、淳なら上手くいくさ。」
「自信は無いけどね。」
「けどこれ、学校の女子連中が知ったら暴動が起きそうだな。」
「恐い事言わないでくれよ。僕にだって好きな子が居たっていいだろう。」
「そりゃそうだ。」
覚悟を決めた風な話ではあるが、相変わらず落ち着いた感じで話す淳。
言葉とは裏腹に、自信に溢れているように思えるのだが……。
「ダメだったよ。」
数日後、遥さんに告白したらしい淳が僕に報告してくれた。
『ダメだった』と言う割には明るい顔をしている淳が言った。
「あぁ、その前に『今は』って付けておくよ。」
「今は……?どういう事?」
「うん。僕が高校を卒業するまで保留って事。卒業しても気持ちが変わっていなければ付き合ってくれるってさ。」
淳の目は、前に『告白する』と宣言した時以上に自信に満ちていた。
きっと、淳の気持ちは高校卒業までの時間程度じゃ変わらないだろう。
「そうか。一応、おめでとう……って言っていい……のか?」
「僕としてはありがとうだけど、遥さんの気持ちは条件に無いからね。僕が卒業するまでに遥さんに好きな人が出来たら、その時は本当に失恋した事になるかな。」
言いつつ、淳の顔からは少しも揺るがない自信が伝わってきた。
まったく……淳はこれだからモテるんだろうな。
そんな淳を羨ましく思いつつ、僕はもう一人の想いにどう接していけば良いのかという悩みを膨らませつつあった。
**********
放課後になったと言うのに、朝からいつもと違っていた千尋の顔は少しも変わらず緊張しっぱなしの様子だった。
目は引き攣っているし耳は赤いしで、見ているこっちが心配になる顔をしている。
「大丈夫か?」
「だ、だだ大丈夫……と思う……」
あと少しで淳を呼び出した約束の時間だと言うのに、千尋の緊張は全く治まっていない。
そろそろ僕はこの場を離れておかないといけないのに……だ。
僕は小さく溜息を吐くと、千尋に手招きをした。
「千尋、ちょっとおいで。」
「う、うん?」
目の前に来た千尋の頭に手を乗せてぽんぽんと撫でる。
昔から千尋はこうしてやると多少落ち着いてくれる。
「想いを伝えるんだろ?しっかりしろよ。」
「う……でも……昨日から緊張が止まらなくて……」
「頑張れ。僕はいつでも千尋を応援してるから。」
「う、うん……仁……ありがとう……」
心細げな笑顔を見せる千尋を見て、僕の心臓が『ドクンッ』と大きく跳ねる。
胸が痛い。
その痛みを悟られまいと千尋に背を向ける。
「あ、改まるなよ。僕と千尋の間だろ?当然だよ。」
「ううん。私は仁にいっぱい勇気を貰ってる。本当に感謝してるよ。」
鼻の奥がツンと痛む。
目頭が熱くなる。
胸の痛みが更に強くなる。
違う……僕は、結果が分かっているのに応援しているフリをしているだけだ……こんな事をしても、千尋の想いは僕の方へは向かないと分かっているのに……。
「じゃ、じゃあ先に帰ってるよ……報告出来そうだったら教えて……」
そう言って千尋の方を振り返る事無く、僕は家への道を歪む視界のまま走って帰って行った。
僕は、千尋が淳を想う気持ちを知っていた。
僕は、淳が遥さんを想う気持ちの強さを知っていた。
僕は……千尋が淳に振られる事を……知っていた……。
家に着いた僕は鞄を部屋に投げ入れ、そのまま布団に潜り込んで目を瞑り、恐らく来るであろう千尋の報告を待ちつつ、いつの間にか浅い眠りについていた。
どれくらい時間が経ったのだろう。
外はすっかり暗くなっていて、虫の声が小さく聞こえていた。
手に持っていたスマホが、メールの着信を教えるランプを点滅させていた。
差出人:千尋
本文:公園に来てくれるかな?
着信して10分も経っていなかった。
僕は『すぐ行くよ』とだけ返信して部屋を出た。
公園までは5分も掛からず、家を出て1回曲がるとすぐ見えてくる距離だ。
公園に入ると、道から少し奥まった所にあるベンチに人が座っているのが見えた。
千尋だ。
僕はゆっくり歩いて千尋に近付いていった。
「お待たせ。」
「ううん。」
公園の外灯が遠く、千尋の表情は伺う事が出来なかったが、その声は明らかに沈んでいる。
僕は出来るだけ歩いてきたままの自然な流れで千尋の隣に座った。
ちらっと千尋の方を見た時、僕が座った場所と反対側にリボンの付いた小さな袋が目に入った。
「これ……食べてくれる?」
僕が見た事とは関係無いのだろうけど、僕がベンチに座ると同時にその小さな袋を僕の方に差し出して千尋が言った。
「いいの?」
「うん……全部食べちゃって……」
「じゃあ頂くよ。」
僕は何事も無かったような雰囲気で小さな袋を受け取る。
袋の中には透明のセロファンでラッピングされたクッキーが入っていた。
可愛らしいピンク色の紙に包まれたクッキーは、どことなく形が歪でいかにも手作りという感じがした。
僕はゆっくりとリボンを解き、中からクッキーを一つ取り出して口に運んだ。
『サクッ』という音と共に、口の中に程良い甘さとカカオのほろ苦さが広がる。
「美味しい。」
「ホントに?」
「うん。甘過ぎないし生地の歯ごたえもちょうどいい。」
「そう……良かった……」
静かな公園に、クッキーを食べる『サクサク』という音が妙に大きく響いていた。
「私……仁に応援して貰って……頑張ったよ……」
「うん。」
「凄い緊張したけど……ちゃんと気持ちを伝えたよ……」
「うん。」
「でも……ダメだった……狭山君好きな人が居るんだって……」
「そっか。(知ってる……)」
「その人じゃないと……ダメなんだって……」
「そっか……(知ってる……)」
千尋が僕の肩に頭をちょこんと付けてきた。
僕は千尋の頭に手を乗せてぽんぽんとしてやった。
「私……振られちゃった……」
「うん……」
「もう少しだけ……このまま慰めてて……」
「うん……分かった……」
僕は千尋の頭を撫でながら、反対の手に残ったクッキーの半分をかじって『サクッ』と音を立てる。
カカオの塊だろうか、明らかに一口目とは違う、やたらと苦い部分が口の中を占めた。
僕は千尋に悟られないように苦味の塊を何とか咀嚼して飲み込んだ。
『ふあ……』と変な声が出る。
「どうしたの?」
「いや……料理……ちゃんと練習した方がいいと思って。」
「え?美味しくなかった?」
「ううん。大体美味しい。時々美味しくない。」
「何それ。」
千尋が僕の肩に頭を乗せたまま少し明るい声で言った。
「生地は本当に上手に出来てるけど、時々変な味が混じってるから……」
「そっかぁ……それも失敗だったのかぁ……」
寂しそうではあるが、どこか吹っ切れた感じがしないでもない口調だった。
僕は残ったクッキーの欠片を口の中へ放り込み、サクサクと音を立てて食べきった。
「でも、経験にはなっただろ?」
「ん……そう考えて前を向くしか無いんだよね……うん……」
千尋は自分を納得させるように、最後は自分に言い聞かせるように言って、僕の肩に乗せた頭を上げ、すっと立ち上がった。
「ふぅ……だいぶ楽になった。仁、ありがとう。」
「どういたしまして。」
「次は仁の番だね。」
「え?」
千尋が僕の正面に立って僕の方を覗き込むようにして言った。
「仁が好きな人に告白して、振られて、そして私が慰めてあげる番!」
千尋は僕の事を何とも思っていないという事を決定付ける言葉は、多分、一生僕の耳の奥に残って消えないのだろう。
僕は小さく溜息を吐いて立ち上がった。
「そうだな。その時は頼むよ。」
「任せなさい!」
僕と千尋は公園を後にした。
いつもとは反対に、右に千尋、左に僕。
付かず離れずの距離を保ちながら、家への道をゆっくり歩く。
左の頬を伝う涙を千尋に見られないように。
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