第6話
ゆっくり長々と肺の全てを絞るが如く息を吐く。バットの握りを確認する。構える。足を踏み込む、踏み込んだ力を太もも、そして腰から腹へ捩じり上げる。使い終わる前のマヨネーズを少し振ってから絞るくらいの力み。
肩から少し先まで力が届いたら無理に力を肘へ伝える必要は無い。
力は、バットに降りてくる。
そこに——、魂があれば。
スゥ……。
帰還した校舎のグランドにて、監督と他のチームメイトを待つ。帰りのバスは渋滞に巻き込まれたらしく、少し遅れているようだ。
それを待つ間に、暇と渇望を紛らわす為に日課の素振りをこなす。
「相、変わらず意味、分かんねー素振りだよな、ソレ。一回に何分くらい掛けてんだよ。それに、そんなに汗を掻くような運動量じゃねぇだろ」
何故かは知らんが藤宮も、わざわざ俺の直ぐそばでマネージャーに付き添われ、軽いダンベルを用いた体幹トレーニングをしていて。
鬱陶しい事この上ない。
「イメージトレーニングとフォーム強化を兼ねてるんだって。真似した人を見たことあるけど、完璧にやると一回でも相当キツイらしいよ」
この精神力が重要なファクターになる自己流の素振り中は、如何なる外野の声だろうが邪魔でしかない。どちらも大事だから質より量を否定するつもりこそ無いが、これでは質も量も下がるというものだ。
そうは思いつつ、文句を言う労力を使うのも憚り、俺は改めてバットを構え直す。
無視の一択。細胞一つ一つの点在する全ての煩悩を振り払え。
「はい。ワンセット終了、二分休憩で次は体勢変えて右半身ね」
「うぃー、っと。その素振り終わったら軽く投げ込み付き合えよ、静山」
「そろそろ監督たちが帰って来るし、それも無視して続けるから無理だと思うよ」
「いやいや! なら今の内に勝負しとこうぜ‼」
「今日の感覚が残ってる内に、体に覚えさせたいし今日の調子なら、お前に勝てそうな気がするからよ」
「……」
うるせぇ。うるっ、せぇ。
「三球で良いから。なっ?」
感覚を体に馴染ませたいなら普通、投球練習だろうが。
投げ込みの話から何でイキナリ勝負に変わる。だいたい、人が素振りに真剣に取り組んでいる横でゴチャゴチャと言葉を並べ立てんじゃねぇよ。それでも野球人と言えるのかクソが。
右半身トレーニングはどうした、バランスが崩れるだろうが。
トレーニングは真剣にやれ、真剣に。
だが、まぁ……そんな事は最早どうでもいい。些細な事だ。
ふと俺に勝てそうなんて傲慢が、やや気に障る。
そんな事を想う俺もまた、傲慢なのではあるが。
『三球だけだ』
無論、気が散る事に耐えかねてという事もあった。俺は指を三本立てながら首に掛けていたタオルで顔を拭って。軽く打ち込んでやれば暫く大人しくしてくれるだろう。そんな安直な願いを想いながら誰も居ない広々としたグラウンドで肩を回しつつ、バッターボックスへと向かう。
「しゃあああ、気合い入るぜ‼」
「あんまり本気でやっちゃ駄目だよー、二人とも‼」
——くだらない寄り道だ。きっとこれまでの俺らしくないのだろう。
《チームの影響を受け、育っていく》
やけに骨身に染みた言の葉を、実感する。
いいや、些か短気になっただけさ。ストレスが溜まり過ぎて狭量になっただけ。
そう後悔に更けつつ、スパイクの具合と共に確認した木製のバット。
なぜ金属ではなく木製を使うのかと、幾度となく責め立てられるように問われた事も思い出す。答えは単純明白だ——魂がこもりやすい気がするから。
そして何より、音が良い。あの時に聞いた、一番初めに憧れた音。
——俺のバッティングの原点は、野球では無い。
さまよい果て、辿り着いたバッティングセンターの網の向こう側。くたびれた若いサラリーマンのような風体が奏でていた音。
——本当に叫んでいるようだった。
怒りを、無力感を、絶望を、悲哀を、虚しさを。
俺が——血を流し倒れた母の目の前ですら叫べなかった、その全てを。
「三球勝負だ。ボールは俺の負け、お前は外野に飛ばせなきゃファール以外は負け」
「いいな!」
「……」
御託は良いから掛かってこい。俺はそう言わんばかりに、ゆらりバットの先を空に向け、そして構えた。
一球目、誰が為に何を投げ、何を打つ。
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