第2話

 ああ、これはきっと、脳が記憶の整理を始めたのだろう。


 思い出したのは、涙がでるほど懐かしい人の顔だった。




 恐怖に彩られた毎日を送る私に、ある日転機が訪れた。



 子供の私の狭い世界では、両親たちはなんでもできるヒーローのようなものだ。だから、二人なら私が視えているこの世界をなんとかしてくれるはずだと、助けてくれるはずだと信じていた。



 私の助けを求めた声は届かなかった。そんなことがあるはずがないと、にべもなく切り捨てられたのだ。



 しかし、自分たちの気を引きたくてついた嘘だと決めつけていた両親が、私に重要なことを気づかせてくれた。


 視えない人たちのように、気づかなければいいのだと。今、目の前の両親を見習えばいいのだと。


 何かを言い続ける両親の言葉は、私の耳には入ってこなかった。

 二人の周りに纏わりついている人たちを、ホコリをはらうように振り払っていた両親に、私の目は釘付けとなっていた。


 衝撃だった。そんな方法があったのか。

 おそらく二人はホコリをはらっているつもりなのだろう。現に、きちんと掃除はしているのかと文句を言っている。

 まさかホコリではない、他のものがついていたなど思いもしないはずだ。

 しばらくすると、 纏わりついていた人たちは興味を失ったように、そそくさと離れていった。


 ただ、父の背中におぶさるように張りついている女性は、離れていかなかった。


 その日から、両親の中で私は、嘘で親の気を引きたがる『かまってちゃん』になった。


 無駄に広いこの家で、私が一人で過ごすのが増えたのは、この頃からだったのかもしれない。





 6歳の夏休みのそんなある日。

 動物特番を見ようとして、うっかり見てしまった心霊特番。

 おかげでその夜は、恐怖の祭典だった。


 ピシッ、ピシッといたるところで鳴るラップ音。

 私以外いないのに、家中から聞こえる複数の足音。

 窓ガラスについた、様々な大きさの手形。

 テレビの画像にあわせて、飛び出してくる顔。

 熱帯夜のはずなのに、キンキンに冷えた部屋。

 ちなみにエアコンは、28度で運転中である。エアコン以上に使える冷気。これは、エコかもしれない。


 それらすべてをスルーして、何事もないようにソファーに座り、私はテレビを見続けたのだった。




 次の日、少し体がだるいなと思いながらも商店街にある本屋さんへと向かった。


 以前よりも格段に恐怖体験が減っていた。

 その事でスルースキルが磨かれたと、少し気が緩んでいたのかもしれない。



「ねえ、視えてるよね」

 突然、隣からささやかれるように問われた声へ顔を向けてしまった。


 覗き込むように、髪の長い女の濁った目が私を捉えていた。


「ふふふ。 みいつけた」


 ぶわりと全身に鳥肌が立った。

 女から漂うすえた臭いが鼻をつき、吐きそうになる。

 呆然とする私に、血の気のない青白い手が伸ばされた。

 ひやりと冷たい手でしっかりと掴まれた腕は、振りほどくことができなかった。


「いや……。 はなして……」

 女は聞く耳も持たず、私を引きずるように歩き出す。


「いこう、いこうね。いっしょにいこう」

 歌うように紡がれる言葉に恐怖でいっぱいになる。


 助けを求めようと周りを見渡しても、どこにも人の姿はなかった。先ほどまでの喧騒が、まるで嘘のように静まりかえっていた。

 絶望に涙がこぼれ続ける。




「嬢ちゃん、そっちは危ないよ」

 その声に振り返れば、白髪まじりの男性が穏やかな笑みを浮かべそこにいた。


 ただ「……たすけて」と一言を震える声で発した私に男性は頷きながら「もう、大丈夫だよ」と優しく言ってくれた。



 瞬間、男性の持つ曲り型の杖の柄で私を掴む女の手を叩き落とすと、私を抱き寄せ後ろへと隠しながら、杖の握りを女の首に引っ掛けた。そのまま後ろへ引き倒し、片足で女を踏みつけた。


「あきらめて、大人しく自分の意思でさっさと逝きな」

 冷たい声音で伝える男性を睨みつけ女はニタリと嗤う。


「そうか、そうか。じゃあ、強制退場だ」

 杖の握り部分で女を殴りつければ、砕けるように消えていった。





「さっそく役に立つなんて、いい買い物をしたなぁ」

 ほくほく顔の男性が、何度かスイングをしてからしみじみと眺めるその杖に、見覚えのあるタグが括りつけられていた。50%OFFのタグである。


 男性が殴りつけるのに使っていたのは、先ほど通りすがりに見かけた雑貨屋で、半額セールで売っていた杖である。

 買う人いるのかなとぼんやり思ったあの杖だ。

 決して護符など貼りついていない、由緒正しい歴史ある代物でもない。

 商店街の雑貨屋で、巻かれたビニールにはホコリが被るくらいに、長きに渡り売れ残りとして鎮座していた杖である。


 私の涙は驚きとともに消え、どこにそんな力があるのだろうと杖を凝視していた。


 そんな私を見ながら男性は、にこにことあの穏やかな笑みを浮かべている。


「嬢ちゃん。ソフトクリームを食べにいこう」

 そう言いながら、私に手を差し出した。

「……うん」と頷き、ためらいながらもゆっくりとその手をとる。

 暖かい大きな手だった。

 止まっていた涙がまた、零れ落ち始めた。



 いつの間にか商店街には、人の動きと音が戻っていた。

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