ワルキューレの奇行 ~見知らぬ美少女が俺を殺しにやってきた~

朝食ダンゴ

序章

プロローグ

 この殺風景な部屋を訪れるのは、もう何度目だろうか。


 ベッドとイスとテーブル。最低限の物しかない無表情な部屋だ。簡素なベッドの上には、年若い女性が横たわっていた。身目麗しい目鼻立ちを、輝くような金髪が覆っている。その表情に色は無く、瞳には意思が見えない。


 部屋を訪れた山音アツは、ベッド脇のイスに腰を下ろす。そばに人がやってきても、金髪の女性は微動だにしない。ただ虚ろな碧眼が窓を模した有機ELに向けられているだけである。

 テーブルには女性が食べ終えた料理の皿があった。女性の口元にトマトソースが付いているのを見つけ、アツはハンカチでそっとそれを拭う。

 この行為も何度目か解らない。五つも年上の人の口元を拭うなんて。ここに通い始めた当初は、子どもみたいだと少しだけ笑いが漏れた。今はただ、悲しみと怒りだけが込み上げる。


 この人は、昔のように明るい笑顔を向けてくれない。優しい声をかけてくれない。手を取って導いてくれることもない。

 両親の顔を知らないアツにとって、この人は姉の様な存在――否、血は繋がっていなくとも彼女は紛れもなく姉であった。辛い時も幸せな時も、いつも一緒にいてくれた。

 それが今は、目を合わせることも叶わない。


 憧れの澄んだ碧眼は、有機ELが映し出す虚偽の風景を見つめるのみ。言葉を交わすなど望むべくもない。

 だらりと放り出された女性の手を、アツが両手で包んだ。

 衰弱して細くなった手には、以前の健康的な美しさの名残だけがある。かつては大きく包み込んでくれた手が、こんなにもか弱く感じるものか。

 日に日にやせ細っていく彼女を見る度に、アツの目からは涙が止まらなかった。一体、この人が何をしたというのだろう。自分が、どんな悪いことをしたというのか。

 なぜ、こんな目に遭わなければならないのか。


 何度も自問した。答えなど、あるはずもない。

 握った手に少しだけ力を込める。か細い手を壊してしまわないよう、そっと。

 こんなに細くなってしまっても、この手はまだ温かい。心がどこかにいってしまっても、この人は確かに生きているのだ。

 いつかきっと、取り戻してみせる。

 そう決めて、努力して、努力して、努力した。

 この人から心を奪った大罪人を討つために。

 地位と、力を手に入れた。


「ウェンディ」


 アツは握った手を額に当て、女性の名を呟いた。

 もうすぐだ。

 もうすぐ。きっと。


「あなたの心を、取り戻してみせる」


 涙を堪え、噛み締めるように。

 誓うのだ。必ず彼を討つと。

 女性の手を離し、そっと置く。

 アツはいつもよりも早くこの部屋を後にする。

 部屋を出たところで、薄暗い廊下で長身白貌の男が待っていた。


「もう、よろしいので?」


「ええ」


 短く答え、アツは足早に歩き出す。

 男もアツを追って歩を進める。

 今にも駆け出したい衝動を抑えんと、アツは拳を握り締めた。

 アツがこれからやろうとしていることは、決して褒められることではない。それどころかあらゆる派閥から問題視されることは明らかだろう。現在の複雑な情勢に与える影響は計り知れない。

 だが、それがどうした。そのために死に物狂いで今の地位を手に入れたのだ。

 周りを黙らせるに足る〝ワルキューレ〟の称号を。


「やっと」


 潮は満ちた。あとは前に進むだけ。

 これは任務ではない。私情と私怨による、復讐である。

 それでもいい。全てが敵に回っても、何を失ったとしても。

 彼女の心を取り戻せるのなら、たとえどんな障害があろうとも。




 岸本ダイスケを殺す。そう決めたのだから。

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