第4話 帰り道とエア風呂の罠

 振り返ると白衣を羽織ったジャージ姿の女性の姿があった。

 年齢の頃は20代後半から、30代中盤くらいだろうか、背中まで伸びた髪はボサボサで、下の方にパーマをかけてるのか、それとも手入れのしなさすぎでこうなっているのか分からない程だった。


 私は、この人に見覚えがある。

 確か、1年生の頃の化学の先生だったはずだ。

 確か名前は……


 「水野沙和子みずのさわこよ。久しぶり、猿渡」

 「『沢渡』です」

 「スマンスマン。名前なんて記号としてしか認識してなくて」

 「それは、こちらが言って初めて意味が発生する言葉で、そちらが言うと、開き直りにしか聞こえないんですけどー」


 前から雰囲気のおかしな先生で、若い女性の教員なのに、男子からの人気も皆無だった。

 正直、2年生になって以降は、この先生の授業に当たっていないので、会話することは勿論、会う機会もほとんどなくなっていた。

 今更、何の用だろう? すると


 「実は、その車なのだが」

 「はぁ」

 「私の会の貴重な実験材料として、供出して貰うべく、足を運んだ次第だ」


 はぁ? 何言ってるのこの人、大体、私この女の会になんて入ってないし、実験材料として供出って、この車を持っていっちゃうってこと?


 いや、別にこの車なんてどうなってもいいけど、無くなっちゃったら、明日からまた原付通学に戻っちゃうじゃん! お母さんに言ったら


 『舞華が勝手にあげてきちゃったんだから、知らないわよ。明日からまたバイク通学しなさい』


 とか、絶対に言われちゃうよ!

 となれば、選ぶ道は1つ。

 私は


 「失礼します」


 と言うと、素早く車に乗り込み、キーを捻ってエンジンをかけると車を発進させた。


 ミラーを見ると、アイツ、何か言いながら追って来てるよ! マジヤバい……けど、時速8キロは厳守しないと、生徒指導の加藤が見てるし。

 水野、アイツさ、体力ないにも程がなくね? 時速8キロって、普通にランニングすれば追いつくのに、全く追いつかないし……。


 校門を出た。外に出ちゃえばこっちのもんでしょ。

 帰りは下り坂だし、この車は速いし。

 ミラーを見る……アイツ、車で追ってきてるよ!


 銀色の軽で、凄く小さく見える。

 ついで言うと、屋根が異常に低くて、あれに人が乗れるの?……って感じ。

 猛烈な勢いで迫ってきている。


 さすがに驚いたが、私は落ち着いて2速に落としてアクセルをぐっと踏み込んだ。

 速いって言っても、相手は、あんなちっこい軽でしょ。この車が、朝見せた猛烈な走りをしてやれば問題ないでしょ。アイツも諦めて帰るでしょ。


 ううっ、直線では引き離すんだけど、下り坂に入った途端に、向こうに勢いがついて追いつかれそう……。

 軽に追いつかれるなんて、この車、どうかしてるんじゃない?


 しかし、冷静に考えてみれば、下り坂になると追いつかれるんだったら、平地まで降りてから撒けばいいんじゃね?

 もし、アイツに捕まりでもしたら、車取り上げられるだけじゃ済まないかも……下手したら、私も捕まって、訳の分からない実験の検体とかに使われるかもしれない。


 いやだぁ~……アイツに捕まって、変な実験の検体に使われる前に、イタズラされたりしたら……考えただけでも恐ろしいよぉ。

 これはマジで逃げよう。とにかく逃げよう。


 ギアを3速に落として、アクセルを思いきり踏み込んだ時だった。

 あれ? エンジンの回転数が上がらなくなっちゃった。なんで?

 おかしいな。ギアの落とし過ぎ? 4速に上げてアクセルを踏んでみるけど、ガフガフいって加速しないから、ギアは合ってるハズ。


 別に回転が上がらないだけで、止まっちゃう訳じゃないから、何とか走らせはするけど、突然決まった回転数になると一気に、回転が止まってパワーが無くなるから、速く走ることが出来ないよ。


 ああ~……こんなことやってる間にドンドンと失速していっちゃったよぉ……。

 その間に、アイツの軽が前に回り込んで止まっちゃったよ。

 まだ動くから、何とかかわして逃げようか……でも、その後もスピードが出ないから同じことの繰り返しだよぉ。


 アイツが車から降りてきて、こっちに向かって来る。

 どうしよう! 捕まったら、どこかにある怪しい施設とかに連れてかれるのかなぁ……取り敢えず、鞄で殴りかかって怯んだ隙に逃げるとか……あっ、鞄に防犯ブザーがついてたんだぁ。


 アイツがドアに手をかけてくる。ブザーを構えて、いつでも鳴らせるようにしておかないと。


 “ガチャッ”


 えいっ


 「コラコラコラ! そんな物騒なものを鳴らすんじゃない! 」

 「来るな~! 」 

 「何を勘違いしているんだ? 」

 「私をどこかに連れて行って、実験台にするつもりでしょー! そうはさせないんだからー」


 失笑したアイツにブザーを取り上げられて、ストッパーをかけられてしまった……。


 「何を言っているんだ? 」


 アイツは運転席に向かうと、アクセルを吹かして、状況を見ていたが、やはり回転数は一定以上上がらない。

 何度か、繰り返してから、降りてくると


 「エアフロ、パワトラ、クラセンのどれかが怪しい……」


 と、訳の分からない呪文を唱え始めた。

 大体何語だよそれ? もっと理解できる言葉で話せよ……って思っていたら、いつの間にかアイツが近づいてくるし。


 「まずは、エアフロだな。やってみよう」


 って言って、アイツは自分の車に戻っていったけど、エア風呂って何?

 エアギターが、ギターが無いのにそれっぽく動いて、あるように振舞う競技だから、えっ!? ここでお風呂に入ってるように振舞えっての? 


 こんな山の中の道端で、生徒にそんなことさせるなんて、コイツやっぱ変態教師だよ! 無事に家まで帰ったら絶対に教育委員会に訴えてやるからな!……って、その前に警察だ。「おまわりさーん、コイツです」ってな!


 でも、こんな人気のないところで、下手に抵抗して、アイツがスタンガンとか、ナイフとか持ってたら危ないから、まずは従順なふりをしてやり過ごそう。

 そうやって油断させておいて、身の安全を確保するんだ。そして、後日


 『チョロい雌ガキだな……グェヘヘヘヘヘヘヘヘヘ』


 とか言って襲い掛かって来たところを、潜んでいた機動隊に確保してもらおう。

 ウン! イメトレは万全だ。


 取り敢えず、油断させるためには、お風呂のフリしないとなぁ……って、まさかここで全部脱げとか言わないよね!? もしかしてそれも狙いなのかぁ~、このド変態!


 とは言え、このカッコでお風呂のフリってのも、ちょっと無理があるから、ブレザーだけは脱いどこう。

 取り敢えず、浴槽はこの辺にあると仮定して、洗い場はここな訳でしょう。

 まずは温まっておこう。肩まで浸かって……っと。


 なんかアイツが、自分の車のトランクの中から、何か持って来て、こっちを凄い可哀想なものを見るような目で見てるぞ。

 車の方へと向かうみたいだから行ってみよう……って、浴槽から出る時はちゃんと跨がないとね。それから、タオル無いから胸は隠してかなきゃ。


 「君は何をやってるのかね? 手伝いをするから、上着を脱いだのは感心だけど……」


 えっ!? 手伝い? 意味分からない。

 あんな恥ずかしい風呂の真似をさせておいて、まださらに手伝わせるの? 今度はどんなえっちで恥ずかしい事させる気?


 「ちっが~う!! エアフロだよ、エアフロメーター。R32の定番故障箇所の1つだ」


 私の話を訊いた変態教師水野は、ボディランゲージを交えて捲し立てた。


 「そもそもR32ってなんですか? 」


 と、訊くと、水野は、えっ!?という表情になって言った。


 「知らんのか? R32を。8代目スカイラインR32型。至高のスカイラインと呼び声の高い、世界に誇る日本の名車だよ。その名声はだな……」


 この調子で、10分近く話は続いたが、要点は初っ端だけだということが分かった私は、後を訊いていなかった。

 しかし、これで昼間の事の説明はついた。後輩男子共の『サンニー』という言葉は、この車を指していたという事をだ。

 R32だから、サンニーか……。


 そして、話の中から1つ訊いたのは、この車がデビューした頃はバブル時代で、色々な新素材や、新機構が採り入れられたそうで、それが故に、それまででは考えられないような故障やトラブルなどもあるそうだ。


 ようやく作業に取り掛かる。

 ボンネットを開けて、助手席側の最も手前にある、黒っぽい網のようなものを外していく。

 すると、水野が


 「ああ~。社外品のキノコクリーナーのフィルターも交換しないで使ってれば、エアフロがおかしくなっても不思議じゃないぞ! 」


 と、言って、指さしたスポンジ状のものはボロボロになっていた。


 「でもって、車検から帰ってきたばかりだし……」

 「普通の車検業者じゃ、社外品のクリーナーのフィルターは交換しないの! 」


 キノコの奥をネジで回して取り外すと、さっき、自分の車の中から取り出した部品と取り換えて、取り付けた。

 そして、いったん元に戻すと、運転席に回ってエンジンをかけた。

 さっきとは違って、綺麗に高回転まで回るようになった。


 「あの……ありがとうございます」


 私が、言うと、水野は


 「礼には及びません。外した方のエアフロは頂戴しますよ。それから」


 ? って、まさか、このお礼に毎日のように私を呼び出して、さっきみたいな恥ずかしいことをさせようっての? と思っていると


 「さっきは申し訳ない。言葉が足らなかった。供出と言ったのは、車を没収という意味では無くて、定期的に診せて欲しいんだ。今みたいな故障や不調のデータを取りたいし、私が持っているパーツの提供も出来るし。なので、明日、待っている」


 と、言ったかと思うと、銀色の軽はキュルンと回転するように向きを変えると、走り去っていった。

 慌ただしい放課後だったが、登校デビュー日に、故障って、先が思いやられるなぁ……と思いながら、車に乗り込んだ時、気付いた。


 「アイツ、明日待ってるって、何処にだよぉ! アイツの居場所なんて知らねぇし」



──────────────────────────────────────

 ■あとがき■


 ★、♥評価、多数のブックマーク頂き、大変感謝です。

 毎回、創作の励みになっております。今後も、よろしくお願いします。


 感想などもありましたら、どしどしお寄せください。


 次回は

 舞華の前に現れた謎の女教師、水野。

 彼女の居場所を突き止めた舞華は、柚月と共に乗り込むが……。


 お楽しみに。

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