飯屋
外に出ると既に日が傾いていた。
建物の色に赤みがかかり、伸びる影はとても長い。
道を行きかうひとは先ほどより多いように思えた。
「どちらへ参りましょうか?」
私はバーナードを見上げる。
「そうだな。一緒に食事をしないか?」
夕日のせいだろう。バーナードの顔がなんとなく赤らんで見える。
バーナードが行こうとする食事処は、きっと私がめったに行かない店に違いない。
デートの下見だろうか。
そう思ったら、なんか胸が苦しくなった。
「あの。私の
「従弟?」
「はい。もちろん、バーナードさまに相応しいお店ではないとは思うのですが」
これは、ちょっとした意地悪かもしれない。
バーナードが意中の人を絶対連れていけないような店だ。むろん。従弟は腕の良い料理人で、味は天下一品だと、私は思うけど、それとこれとは別の話だ。
「へえ。デートリットの従弟? 身内の話をするのは珍しいな」
バーナードは面白そうに私の顔を覗き込む。
そういえば、話したことはなかったかもしれない。私の身の上話は、面白いものではなくて、どちらかと言えば場を盛り下げてしまうから。
「私は幼少期に魔力を暴走させて、魔術師学校に拾われたのです。だから、両親と過ごした時間はすごく少ないですから、正直、顔もあまり覚えていないので、話しようがないのです」
私は肩をすくめる。
七歳のころから、魔術師学校の寮生活だった。親からの仕送りなど何もなく、学校から与えられる最低限のもので生活する毎日だった。
「……そうか」
バーナードは小さく頷いた。
「でも、父の妹である、叔母だけが私を気にかけてくれました」
私は苦笑する。私の魔力暴走事件のせいで、両親はたぶん、私が怖くなったのだろうと思う。
それはある意味当然のことだ。叔母は、暴走の現場に立ち会ったわけではないから、私のことが怖くなかっただけなのかもしれない。
「従弟の店は、私も資金協力したんですよ」
「なるほど」
下町の路地を抜けて、大衆向けの食堂が立ち並ぶ通りに出た。
「あそこ、なんですが」
飯屋という看板だけを下げている、小さな店だ。
不潔ではないけれど、新しくはなくて、それなりに人気だけど、客は庶民ばかり。
外に流れてくる香りは香ばしいもので、食欲をそそられるけれど、高級感はどこにもない。
「……入れそうですか?」
「何言っているんだ? 入るぞ」
バーナードは、全く躊躇するようすもなく、店の中へと入って行く。客層の違いとか、全く気にしていないようだ。
店内は、既にランプが灯されていた。
武骨なテーブルと、クッションもない木の椅子。掃除はきちんとされているけれど、建物の古さはどうしようもない。
私には落ち着く店だけれど、バーナードはどうだろう。彼の目は興味深そうな色が浮かんでいる。
物珍しいのかもしれない。
客はまだそれほど入っていないようだった。私たちの他には、一人飲みと思われる男性が三人ほど、ばらばらの席に座っている。
「あれ? デートリットじゃないか」
厨房から私の姿が見えたのだろう。従弟のエドウィンが店内に出てきた。
「お客さん?」
エドウィンは、私の隣のバーナードを興味深げに見る。
「久しぶり。今日は私の上司を連れてきたの。おススメをいくつか見繕ってくれる?」
「デートリットの上司って、ものすごく偉いんじゃないか? 俺の店なんかで大丈夫なのかよ?」
エドウィンは私の耳元で小声で訊ねた。
「ものすごく偉いのは事実だけど、大丈夫よ」
エドウィンの気持ちはすごくわかる。
本当に大丈夫なのかは、私にもわからない。ただ、たとえ口に合わなかったとしても、この場では「美味しい」と言ってくれるくらいには、バーナードは心の広いひとだと思う。
それに甘えて、この店に連れてくる私は、酷い女だと思うけれど。
私とバーナードは、店の奥のテーブルに座った。
高貴なバーナードが入り口付近にいると、ある意味店の迷惑になるかもしれないし、防犯上もその方がいい。
「従弟と仲がいいんだな」
テーブルに着くとバーナードがそう言った。
「唯一の親類ですから」
私は苦笑する。
「それより、バーナードさまのお口に合うといいのですが」
「誰が食べたって、うまいものはうまいさ」
バーナードの瞳が優しい光を帯びている。胸がドキリとした。
「お待たせいたしました」
女性が大きな皿を何皿も運んできてくれた。
焼いた魚。いためた野菜。筋張った肉を煮込んだスープ。
エドウィンの自信作なのは、私にはわかった。
粗野に見えるけれど、実際には丁寧な仕事をしている料理だ。
「うわっ、旨そうだな」
バーナードがうれしそうに手をのばす。
「旨い。これ、めちゃくちゃ旨いな」
社交辞令を通り越えた笑顔で、バーナードは食べ始めた。
「……美味しい、ですか?」
「旨いから、連れてきてくれたのだろう?」
もちろん、それはそうなのだけど。
「砦の飯もこれくらい旨いと士気がもっと上がったのだろうがなあ」
バーナードは笑う。
そうか。このひとは貴族ではあるけれど、軍人だ。軍の飯は、将校だって、一般兵だってほぼ変わらないのだ。美食だけ食べて生きてきたひとではなかった。
「砦の軍食は、美味しくなかったのですか?」
「酷いもんだった。まあ、物資の供給が限られていたっていうのもあるけれど。あと、水が悪くてな」
「ご苦労なさったのですね」
バーナードが砦でこの国を守っている時に、私は帝都で研究をしていた。もちろん、自分も国家に貢献はしていたとは思うけれど。
「あれは昇進のように見えて、事実上左遷だったからな」
「左遷?」
バーナードがなぜ左遷される必要があるのだろう。
「リドメード・オーズロワを覚えているか?」
「えっと。素行不良で、軍を追放されたひとですか?」
確かバーナードと同列で隊長までつとめた男だ。オーズロワ侯爵家の次男坊で、侯爵家が握りつぶしてくれるのをいいことに、強姦、賭博と好き放題やりまくって、最後には公金横領が発覚し、侯爵も庇いきれずに、四年前に軍を追放された男。
「あいつを告発したために、私はオーズロワ侯に睨まれてな」
「でも……」
オーズロワ侯爵は、国の重臣ではあるけれど、ルイズナー公爵家のほうが格上だ。意趣返しでそんなことをしたら、侯爵家としてどうなのだろう。もちろん、オーズロワ侯爵家は軍務に詳しい家柄ではあるのだけれど。それにどう考えたって、バーナードに罪はない。
「だから、将軍に
バーナードは肩をすくめる。
「そうでしたか」
私はリドメード・オーズロワの下で働いたことはないから、よくは知らない。ただ、漏れ聞く話では、軍内でも強姦をしていたという話だ。
被害者のほとんどは、はした金を渡されただけで、悔しい思いをしたと聞く。
よくそんなやつが、のうのうと隊長をしていたもんだと思う。
「本当は一年で帰ってくるつもりだったのに、三年もかかってしまった」
「お疲れさまでした」
本当に大変だったのだなあって思う。
「帰ってきたら、デートリットをまたそばにおきたいと思っていたのに、随分と出世してしまって、できなくなってしまったのは一番の誤算だったな」
「そんなふうに思っていただいて、ありがとうございます」
私は頭を下げる。
嬉しかった。部下として私を信頼し、必要と思ってくれていたことは、素直に嬉しい。嬉しいはずなのに。
「デートリット、デザート、食べるか?」
厨房から、エドウィンの声。
「はい。お願い!」
返事を返しながら。
自分とバーナードのつながりが軍の上下関係でしかないという事実に、心の中のどこかにぽっかりと穴が開いたような、そんな気がした。
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