初恋と就職を天秤にかけて不惑まで独り身ですが、何か?
秋月忍
お茶会
昔、好きな人がいた。
相手は、レイモンド・ルイズナー公爵。
すらりとした長身で、端整な顔立ち。物腰は穏やかで、誰にでも優しいひと。
完全に片思いで、身分もずっと上で、もとより遠いひとではあった。今思えば、好きというより、憧れに近かったのかもしれない。
私は当時、魔術師学校の研究生。平民出身だからどう頑張っても貴族と結婚は無理。そんなことはわかっていたけれど、若かった私は、遠くで眺めているだけで幸せな気分だった。
そんなある日、私、デートリット・バルモンは、この国のプリンセス、レイラ皇女に相談を受けた。
彼女は幼馴染のルイズナー公爵に、いつも思ってもいない憎まれ口をたたいてしまうらしい。素直になりたいの、と言われた。
レイラ皇女は、輝くばかりに美しい姫で、私は迷った。彼女の目には恋の色が見える。
こんな美しい皇女が、素直に微笑んだら、私の恋は破れてしまうだろう。
「お礼はきちんと致しますから」
私は、自分の『初恋』と、『お礼』を天秤にかけ、『お礼』を選択した。
「公爵さまに話したいことをこれを飲んでから、お話しください。たぶん、嘘はつけなくなります。」
私は、レイラ皇女に『自白剤』を渡したのだった。
そして。
レイラ皇女は公爵に素直な自分の気持ちを告げ、二人は婚約し結婚。
私はレイラ姫の口添えで、軍の魔術師になることができた。
もともと失恋確定の初恋だったのだから、そのせいとは言えないのだけれど。私は仕事に没頭し、恋をすることも忘れた。やがて軍の研究室勤めになり、気が付いたら首席魔術師になっていた。四十歳の独身であるから、いろいろ揶揄されることもあるけれど、平民出身の私としてはこれ以上の出世も幸せもないと思う。
生活に困るどころか、使用人も雇っているしほぼ貴族並みの生活ができる。夫や恋人がいなくてもどうということはない。私は幸せなのだ。
ちなみにレイラ皇女は公爵家に嫁いで、子供も三人いる。
私の力などなくても手に入れられた幸せだとは思うが、彼女は今でも私に感謝の念を抱いているらしい。
今日も公爵婦人主催のお茶会に招待された。
研究室に配属されるまでは、なかなか行けなかったけれど、最近は帝都にいるため断ることは出来ない。
正直、貴族の貴婦人がたの間に挟まっても、どうしたらいいのかわからない。
貴婦人がたも私と何を話していいのか困っているとは思う。
最初の頃こそ、ルイズナー公爵の顔を見ると胸が痛んだが、一過性の熱病のような病が消えた後は、レイラ公爵夫人の『夫』にしか見えなくなった。初恋というのは、きっとそういうものなのだろう。
「よく来てくれたわ。デートリット。こちらへどうぞ」
「お招きありがとうございます。レイラさま」
私は丁寧に頭を下げた。
レイラ公爵夫人は確か私と同じ年だったと思うのだが、今も輝かんばかりの美貌である。結い上げた金の髪はつややかだし、しみひとつない美しい顔立ち。
シンプルで落ち着いた色めのドレス姿だが、どこにいてもわかるほどの存在感だ。
対する私は黒のドレス。世間の魔術師のイメージに寄せている。単に考えるのが面倒なだけなんだけれども。
レイラに案内され、中庭のお茶会の会場へと向かう。
「今日は、あなたに会ってもらいたいひとがいるの」
レイラはくすりと笑う。
「どんなかたですか?」
「正確には、あなたに会いたがっているひとなんだけど」
「私にですか?」
私に会いたいというと、魔術系のことで何かトラブルを抱えた人間だろうか。思わず眉間に力が入ってしまった。
「大丈夫よ。別に厄介事を押し付けるつもりはないわ」
私の考えを読まれてしまったらしい。レイラは苦笑した。
「……どなたですか?」
ちょっと気まずさを感じつつ、私は質問した。
「そうね」
いつもの中庭につくと、一人の長身の男性が立っていた。その顔には見覚えがある。
「バーナードさま?」
思わず呟く。
「久しぶりだな、デートリット」
にこりと笑った男は、公爵の弟バーナード・ルイズナーだった。背がものすごく高い。たぶん、公爵より高いのではないかと思う。
そして声はドキリとするほど低い。年齢は公爵より二つ下で、私より一つ上。
この国の軍を率いる将軍である。実は十年くらい彼の下にいたことがあった。もうかなり前の話だけれど。
顔は兄弟だけによくみれば公爵と似ているが、バーナードは武人なだけにかなりゴツいので、違う印象を受ける。
合理的な考え方をする人物で、一緒に仕事するには非常にやりやすかった。
「二人とも座っていて? 今、お茶を運ばせるから」
「そうだな。デートリット、こっちへ」
バーナードが庭園に置かれたテーブルのそばの椅子を引く。
テーブルの周りには椅子は四つ。お茶会にしては随分と少ない。
「……恐れ入ります」
元上司、いや、今でも直属じゃないにしろ上司であるバーナードに椅子を引いてもらうのは非常に気が引けた。
「それじゃあ、ちょっと待っていてね」
ニコリと笑んで、レイラが奥へと消えていく。
バーナードは何も言わずに、私と向かい合わせに腰かけた。
レイラの話にあった、私に会いたいと思っているひとはこの人なのだろうか。
普通に考えたら、私は軍属なのだから、用があるなら、軍の執務室に呼べばいい。それができないとするなら、きっと個人的な用事なのかもしれない。
「あの……ひょっとして、何か私に御用ですか?」
非礼は承知で、私は口を開く。
レイラが私とバーナードを二人きりにしたのは、バーナードの話が個人的なものだと判断したからなのかもしれない。
「実はその……義姉に渡した薬を私に作ってほしいんだ」
それだけ言うと、バーナードは顔を赤らめた。
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