第36話 彼の好きな女の子。

* * * * * *


 夜。

 一人の少女が入浴をしながら、ぼんやりと天井を見上げ、こんなことを思っていた。


(明日は土曜日……その次は日曜日……。今週、早かった気がする……)


 彼女の名前は春風あかね。

 最近まで高校を休みがちだった彼女だった少女である。


 こうして温かい湯船に身を沈めていると、今日一日溜まった疲れが、溶けていくようだった。


(時間が経つのが早いのは、やっぱり隠川くんが来てくれるようになったから……だよね)


 すぐに頭に浮かぶのは、一人の男の子の顔。先日まで、高校に来なくなっていた隠川くん。


 一年前の出来事。

 当時の彼女は、隣の席だった隠川くんのことが、気になっていた。


 恋愛感情だったのか……それとも、単なる好奇心だったのか……。

 それを考えるのは、無意味だ。なぜなら、それは考えなくても分かることだからだ。


 でも、同時に、あの時の彼が自分のことを好きではなかったというのも、今なら分かる。


 昼休みに。

 教室で。

 恋話をして。

 その時の彼は、緊張したように顔を赤くしていた。


 はたから見れば、明らかに恋心のある顔。

「隠川くんの好きな人って誰なの〜?」と、そんな彼に聞いた自分。

 あの時は、もしかしたら私かも……? と思ったけど、多分、違う……。私ではなかったのだ、と。


 だけど、あの時の自分は気づけなかった。だから、かまをかけるように「隠川くんの好きな人って、栗本さんなんでしょ〜!」と言ったんだ。栗本さんというのは、隠川くんのもう片方の隣の席だった子だ。


 あの二人は、別に言葉を交わす頻度が高いわけでもない。むしろ喋ったりしているところは見たことがなかった。だけど、よくいい雰囲気になっていた。言葉を交わさずともいい雰囲気になれる二人。それが隠川くんと栗本さんなのだ。


(でも、隠川くんと栗本さん、今日、学校で見たら、本当にラブラブになってた……。この前の昼休み、スマホを取り出してイチャイチャしてたって聞いたし……。確かあれは学校に行けなかった私に、放課後、家までプリントを届けてくれた日なんだよね……)


 噂で聞いた。


 なんでも、先日の、昼休み。隠川くんと栗本さんが、椅子をくっつけてイチャイチャしてたと。

 確かアレは、自分が栗本さんにメールを送った日だ。

 栗本さん経由で『隠川くんに、今日も学校お休みしますと伝えてください』と、頼んだ日だった。


 あの日、二人は昼休みに、スマホで連絡先を交換したり、至近距離で電話をしあって、お互いの息遣いにくすぐったそうにしていたという噂を、小耳に挟んでいた。


 あの二人は、ホットレモンでも、何か思い出があるみたいだし……。


(やっぱり隠川くん……栗本さんのことが好きなのかな……)


 ペタリ……。

 湯船のお湯を手の平で掬い、それを顔にかける。

 暖かいお湯が、長風呂をしている自分の顔を、火照らせた。


「とりあえず……あがろ」


 その後、風呂から上がり、バスタオルで体を拭く。

 水気を取り終えたら、緩めのパジャマに着替えて、自分の部屋へと戻った。


 今日は金曜日。明日は学校はない。

 休みだ。予定もない。

 学校を休みがちだった期間に、十分休んでいるから、今更やりたいこともない。


(隠川くん……明日、何するのかな……)


 ふと、そんなことを思った。


 約一年もの間、学校に来ていなかった彼。

 休んでいる間、暇してなかったのかな……と。彼のことが気になった。


 今や彼は、クラスでも人気者だ。

 色白で、美肌で、細マッチョ、だと、クラスの女子が騒いでいた。

 だから、そんな彼のことだ。この休日は誰かと遊びに行くのだろうか……。


(もしかしたら、栗本さんと遊びに行くのかもしれない……。だって隠川くん、栗本さんといい雰囲気だし……)


 ベッドの上に置いてあるスマホを見ながら、そんなことを考える。


 でも……分かってる。自分にそんなことを気にする権利なんてないことに。


 でも……気になるのだ。

 だって、私は、隠川くんのことが…………。


「”…………っ」


 ベッドにあった枕を抱きしめながら、それに顔を埋め、床の上で悶える乙女。


 もどかしさが止まらない。ばかっ。ばかっ、私のばかっ。


「明日……買い物にでも行こうかな……」


 冷静になり、ぼんやりとそんなことを考える。




 そして、翌日の土曜日。

 少し遠出して、デパートまで買い物に行った時だった。


「ねえ、もおくんっ。次、服屋さん寄ってもいい?」


「うん。どこでも付き合うよ」


「えへへっ。もおくん、大好きっ」



「……え”」


(……隠川くんが、女の子とデートしてる!?)


 そこで見たのは、隠川くんが女の子に腕を抱かれて、デパートの買い物袋を両手に、歩いている姿だった。


(えっ、えっ、誰、あの子……!? ええ!?)


 栗本さんでもない。別の、初めて見る女の子。

 肩ぐらいまで伸びた髪の毛に、明るい顔をしている。可愛い……。かなり可愛い……。人懐っこそうな笑顔に、見惚れてしまいそうになった。


(あっ、でも……)


 ふと、一年前、彼が言っていた言葉を思い出す。


『俺の好きな人は、この学校じゃないよ……。遠くにいる子で……』と。

 あの日、恋話をしていた際に、彼はそんなことを言っていた気がする。


「じゃあ、もしかして……」


 とある可能性が、頭の中をよぎり、その後、視界の中にいる二人はデパートで買い物をし続けていた。



 *************



 そして、月曜日。学校に登校する日、

 六月初めの日、クラスに転校生がやってきた。


「初めまして。栞音詩織と申します。今まで遠いところにいましたが、今年からこの高校で一緒に学ばせていただくことになりました。どうぞ、よろしくお願いします」


(やっぱり……そうなんだ)


 丁寧な挨拶をする転校生の少女。

 休日にデパートで見た、女の子だった。


 チラッと彼の方を見ると、彼と転校生が目を合わせながら、ホッとしたように微笑みあっていて……。


 それで、確信した。


 ……隠川くんの好きな子は、この子だったんだ……と。

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