第7話 風呂での、お互いのこと。


「くらえ、水鉄砲っ」


 ぴゅっっ。


「えへへっ」


 俺の顔が濡れた。詩織は照れたように、笑っていた。それがなんだかくすぐったかった……。


 水に濡れている詩織の髪。それをかきあげているため、詩織のおでこがあらわになっている。

 その顔全体が湿り気と熱気で、ほんのりと赤くなっていた。


 そんなバスタオル一枚の詩織と、裸同然の格好で二人一緒にお湯に浸かって、すぐ目の前に彼女の顔がある。


 ……俺は必死に、心を落ち着けようとしていた。


 平常心……平常心……。


 ……今更意識しなくてもいいとは思う。なぜなら、これは昔もよくあったことなのだから。


 小さい頃も、一緒に風呂に入ると、詩織は水遊びをしてくるし、なんなら平気で俺の男の子の部分を指でパチンっ!と弾いたりしていた。あれはとても痛かった。


 だから、それに比べれば、一緒に風呂に入ることなんてどうってことない。


 そう思っているはずなのに……。



「でも、もお君。ちょっと顔つき変わったね」


「そ、そうかな……」


 湯気が沸き立つ風呂の中で、詩織が俺の顔を真っ直ぐ見ていた。


「うん。最後に会った時よりも、大人っぽくなってる」


 不意に手が伸びて、俺の顔が触れられていた。

 濡れている彼女の手が、俺の頬に優しく添えられる。


「最後に会ったのは、中学の最後の方だったから……もう二年。今は三年目だよね。久しぶりのもお君は高校生の顔になってる。それなら大人っぽくなってるのは当たり前かぁ……」


「……そうだといいけど……」


「自信ないの?」


「うん……。あんまり。だって俺……今、こんなだし……」


「ふぅーん……」


 ……学校に行くこともなく。一日中物置に閉じこもって何もしていない。

 どちらかといえば、中学の頃の方が、大人っぽかったと思う。あの時もあの時で、別に大したものではなかったけど、今よりはだいぶマシだったはずだ。


「まあ、でも……そうなのかな……?」


 同情するでもなく、詩織はそんな感想を言ってくれた。


「今のもお君、自信がなくなってる顔してるもんね。……聞いたよ。振られたんだよね?」


「あ、いや……」


「ふふっ。図星だ」


 ……グサッと心にくるものがあった。

 それを見て可笑しそうに笑う詩織。


「でも、その話は誰から……」


「妹ちゃんから聞いたよ」


 ああ……妹だったか。

 うちの妹は、あの時の昼休みの経緯をどこからか聞いて、知ったのだろう。

 俺はあの教室での出来事は誰にも話していないけど、妹経由で、うちの母まで知っているようなのだ。


「告白したんだ。……私以外の女の子に」


「……いや……してないよ……」


「あっ、そっか。同級生の子と恋話をしてたら、そのお相手の子がその話を聞いてて、「ごめんなさい」ってお断りをされたんだ。そのせいで、みんなが慰めてくれたんだよね」


「……そんなことまで知ってるのか」


 ……全部伝わってるじゃないか……。


「ふふっ。なら、安心したかも」


「……安心?」


「ううんっ、なんでもない。ただこっちの話。もう君が告白したわけじゃないのが分かって、安心しただけ」


 なんだかご機嫌そうに、微笑む詩織。


「でも、その女の子たちは、今のもう君を見ると、きっとびっくりすると思うなぁ。だって、こんなにかっこよくなってるんだもん。こことか男っぽいし」


「あ、こらっ、詩織……」


 俺の頬に触れていた詩織。その瞳が穏やかに細められたと思ったら、一旦立ち上がり、俺の方に身を乗り出すようにして体を正面から寄せてきた。


「ほら、こことか」


 ぺたぺたと俺の顔に触れる詩織。たっぷり触れたあと、今度は俺の胸に触れてくる。

 それがくすぐったくて身をよじると、詩織は俺の腰の上に乗り、前から抱きつくような態勢になった。

 それに構わず、詩織はお湯の中で俺の胸に顔を埋める。


「もお君の体、結構しっかりしてるね。筋肉あるし。腹筋もちょっと割れてるし……。トレーニングしてたの?」


「……トレーニングとも言えないけど、ずっと学校に行ってなかったしさ……。運動不足になると体が重くなったから、物置にあったダイエット器具とかで少しやったりはしてた」


「ふぅん。あと、肌とかも綺麗だね。美肌で美白じゃん」


「あんまり日に当たってなかったから……」


「そうなんだ……。でも、ほんと、すごい……」


 頬擦りをするように、詩織は俺の胸に顔を擦り付けていた。

 手では俺の背中や腹や腕を触っていて……どうしたって意識してしまう。


 バスタオルだけなんだ。

 布越しに詩織の体温を感じる。


 そのバスタオルも、今はズレていて、ほとんどないも同じだ。詩織の肌は、きめ細かくて、すべすべとしていた。


 女子と裸で触れ合うなんて、焦って、動揺すると思っていたけど……今は逆だった。

 心は落ち着いていて、俺は自分の胸に顔を埋める詩織の頭をそっと撫でていた。水に濡れている詩織の髪は、それでもなお、艶やかで、雫がこぼれ落ちていた。


「もお君……私はどう? 少しは変われたかな……?」


「……うん……。前よりも可愛くなった……」


「前は可愛くなかった?」


「……可愛かったよ。今はそれよりももっと可愛くなってる……」


「ふふっ。でしょっ」


 くすぐったい息が耳に入ってくる。

 詩織は俺の腰をぎゅっと抱きしめて、笑った。

 その彼女の背中を抱きしめると、詩織の白い肌の色付きがもっと赤く色をつけた。


 全体的に華奢な詩織の体。

 少しでも力を入れてしまえば、詩織も力を入れ返してくれる。

 隙間を無くすぐらい、俺たちの体の前の部分が、お湯の中で触れ合っていた。


「あのね、もお君……。あれからの私は、ずっと田舎の方で野菜とか、山菜とか、果物とかばっかり食べてたの。移動は基本歩きだから、運動にもなったし、やることないから自分磨きとかしてた。だから可愛くなれたんだと思う」


「……そっか」


「褒めてっ」


 俺に頭を向ける詩織。

 俺はその頭を撫でた。すると、詩織は嬉しそうにしたあと、俺の首に頬擦りしてきた。甘えるような、人懐っこい仕草。


 ……本当に可愛くなっている。

 前までもそうだった。詩織は美少女だった。


 詩織はモテたりもする女の子だったのだ。


 だから、気になったこともあった……。


「それでさ、あの、……詩織……向こうはどうだったのかな……。その、出会いとか」


「? 出会い?」


「……ほら、詩織は可愛いし……。引っ越してから、もう結構経ってるし……」


 だから、そっちにもそっちで、新しい出会いがあって…………彼氏とかができたりはしなかったのだろうか……。


 ……聞かなくてもいいことを聞いてしまったのは分かっている。


 でも……情けないとは思うけど、どうしても気になったのだ。


「……ふふっ。そーゆーことなんだっ」


 詩織は八重歯を尖らせながら、小悪魔のような笑みを浮かベるのだった。

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