翁草.1

 念願叶って希望の高校受験に受かった時、内気剛気は両親や親戚に褒められながらこう思っていた。

 これで高校三年間は安泰だ。と。

 そんな考えは入学初日で無残に砕け散る。

 退屈な全校生徒代表の挨拶を欠伸を噛み殺しながら聞き終え、さて下校しようとしたところで急に呼び出された。

 呼び出してきたのは、知ってはいるが初対面の先輩だった。

 何故知っているのかというと、先程全校生徒を代表して挨拶していたからだ。

「ちょっとついてきなさい」

 有無を合わせず女性は剛気の手を掴んで引っ張っていく。

 その様子を見ていた廊下の生徒達が、海が割れるように左右に散っていく。

 剛気は、歩くたびに優雅に揺れる豊かな黒髪と、自分の手を握る掌を柔らかさに言葉を失う。

 顔が赤いのは、決して周りから見られているだけではなかった。

 そのまま引っ張られるように案内されたのは一つの空き教室だった。

 室内には机や椅子が片付けられて隅に追いやられている。

 だいぶ使われていないのか、二人が教室に入るとホコリが舞った。

 教室の真ん中で立ち止まった先輩は、そこで剛気の手を離す。

 連れてきた訳を話すかと思いきや、先輩は胸の前で腕を組んだまま黙っている。

 時々目線が剛気や出入り口の方に向けられるが、ここに連れてきた理由を言うつもりはないのか、口は閉じたままだった。

 仕方なく、剛気はここに連れてこられた理由を尋ねる。

「あの先輩」

「私の名前は善財ぜんざい結妃ゆうき

「善財先輩。僕は何か悪い事をしたのでしょうか?」

 結妃は何を言っているのと言わんばかりに、目を細める。

「僕がここに連れてこられた理由が思いつきません。だから知らず知らずのうちに何か校則に違反するような事をしたんじゃないかと」

 言っていて段々語尾が小さくなる。

 せっかく希望の高校に受かった矢先に問題を起こしたとなれば、快く送り出してくれた両親や親戚に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 だが、そんな不安は結妃の一言で夏のかき氷のように一瞬で溶けた。

「貴方には何の落ち度もないわ」

 安堵しようとしたが、次の一言でまた訳が分からなくなる。

「私が貴方に用があったの」

 先輩が自分に何の用があるのか見当もつかなかった。

 まさか告白、そんな思春期らしい考えが思いつくもすぐに考え直す。

「僕に用って……?」

「もう少し待って。全員揃ってから話したほうが効率がいいでしょ」

 結妃が自分の腕時計に目を落とすところを見ると、自分達以外にも誰か来るらしい。

 顔を上げた結妃と目が合う。美しく整った顔立ちの結妃に見つめられ、正視できない。

 顔が熱くなった剛気は、不自然に思われないように注意しながら視線を辺りに彷徨わせた。

 彷徨っていた視線が三周したところで、廊下から近づいてくる足音が聞こえてくる。

 扉越しに「大丈夫、大丈夫」と誰かを宥めるような男性の声が聞こえた。

 やってきたのは最低でも二人以上のようだ。

 扉を開いて入ってきたのは、これまた名前を知ってはいるが、全く知り合いではない男女だった。

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