探偵と作家の春.2

 「シーくん!」

 血相を変えてやって来ると、ぼくに飛びつくような勢いで隣に座り込んで様子を伺ってくる。

「どないしたん? 具合でも悪い?」

 本当にぼくの事を心配してくれているのだろう。

 話す京都弁に恐れと不安が見え隠れしているのが分かる。

 悪い事をしてしまった気持ちと、心配してくれる嬉しさを抱きながら謝る。

「ごめんなさい。ただに会いたくなっただけだよ」

 お母さんの顔が驚いたように固まり、ぼくの頬に手が伸びて来た。

 怒られるかと身構えたが、両手は頬を通り過ぎてぼくの後頭部に伸び、頭がお母さんの胸に吸い込まれる。

「もう、うち本当に何かあったのかと思って、あんじてたんやからなぁ」

「ごめんなさい」

 ぼくは割烹着の素材の滑らかさと胸の柔らかさ、そしてお母さんが発する甘い匂いを胸いっぱい吸い込みながら謝った。

「もう大丈夫だよ。わがままいってごめん」

 名残惜しくも柔らかな胸から離れる。

 お母さんは大事な用事があって、今日一日その準備に費やしていた事を知っていたのに、邪魔をしてしまった。

 けれど怒られることはないようだ。

「ううん。もう準備は殆ど終わっているから。後は帰ってくるのを待つだけだったんやぁ。今は連絡待ってるとこ」

 お母さんの言葉から、まだ時間があるかも知れないことに気づく。

「まだ大丈夫なら、お願いがあるんだけど」

「なんやぁ〜」

 小首を傾げて尋ねてくる表情から、どんなお願いが来るか分かっているようだ。

「少しでいいからさ。膝枕して欲しい」

「よろしおす。お安い御用やぁ」

 躊躇うことなく了承すると近くに座り、割烹着で包まれた膝をポンポンと叩いて手招きしてくる。

「ほらおいで〜」

 何度もしてもらっているのに、この時ばかりは少し緊張する。

「失礼します」

 全身に力を入れて立ち上がり、顔の右側を太腿に乗せた。

 最初に顔に感じる柔らかい脂肪。

 まるで吸い込まれるような柔らかさだけでなく、その下にある筋肉の弾力が、ぼくの頭をしっかりと支えてくれる。

 おかげで首に負担がかかることもなく、ずっとこの状態でいられるんだ。

「痛いとことかあらしまへん」

「うん。ちょうどいい」

 お母さんは「良かった〜」と言いながら、ぼくの真っ白な頭を撫でてくれる。

「ねえ。ぼくの頭気持ち悪くないの」

「シーくんは自分の髪の色嫌いなんかぁ?」

「うん。日本こっちに戻ってからは、学校で何度も言われたから、嫌い」

「うちは好きやで。真っ白でサラサラしてて、まるで新雪みたいやぁ」

 話している間も撫で続けてくれる。

「そう言えば、テレビで枝垂れ桜の特集やってたわ。とっても綺麗でな。京都の枝垂れ桜思い出してしまったわ」

 太ももの心地よさにため息をつきながら、他愛のない会話をしていると、ぼくは気になる事を聞く。

「今新しい小説書いてるの」

「へえ。と言いたいところなんやけど、まだ新しい作品思いつかなくてなぁ」

 お母さんは花蘇芳包美というペンネームで活動する小説家だ。

 一年に一冊のペースで最新作を出し、書く本全てがベストセラーになる大人気のミステリー作家だった。

「じゃあぼくが最近解決した事件の話してあげるよ」

 顔を上げると、いつもなら喜んでくれるお母さんはちょっと申し訳なさそうな表情をした。

「かんにんな。あの人そろそろ帰ってくるさかい。今日はシーくんの話し聞いてる時間あらへんのよ」

「え〜」

 分かっているのに、ついつい不満が出てしまった。

「ほんま、かんにんやで」

 謝るお母さんの割烹着のポケットが細かく震えた。

 取り出したのはスマホだ。どうやら誰かからの着信らしい。

 画面を見たお母さんの顔が花咲いたように綻ぶ。

 ぼくは誰からの電話か察し、邪魔になるといけないからと心地よい太腿から離れる。

「はいもしもし。ええ、うちは準備できてます……え、そうなんですか」

 弾んでいた声が沈み、眦が下がる。

「分かりました。早く帰ってきてくださいな。連絡待ってますから」

 電話を切って小さくため息をつく。

「何かあったの」

 半ば分かっていたけれど、答えを確認するつもりで尋ねた。

「葵さん。空港でトラブルがあったみたいで、帰ってくるの遅れるって」

「そっか。それは残念だね」

 同情しながらも内心ぼくは喜んでいた。だってお母さんを独り占めできるんだから。

「大丈夫ならさ、さっきの推理聞かせてあげるよ。まだ時間あるでしょう? 連絡きたら途中で切り上げるから。ね、お願い」

「ん〜〜分かった。それならシーくんのお話聞かせてもらおうかな」

「うん!」

 途中で切り上げる気なんてない。どうしてもぼくの推理は最後まで聞いてもらうんだから。

 叔母からスマホに届いた捜査資料に再度目を通し、鼻を触りながら推理話を始める。

「これは、ある枝垂れ桜の下で二体の遺体が発見されるところから始まるんだ」

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