第16話 今日と明日もここに帰ってきていい?

 「もう少しこのままでいてもいい?」ナオさんの下着お披露目の後だ。ナオさんが「男を感じたい」と挑発してきたので、いつもより力強く、激し目にセックスをした。今は添い寝している俺の上に力なくもたれかかっている。

 「いいよ。」ナオさんにだけ聞こえる程度の最小限小さな声で応えた。

 ナオさんの呼吸が落ち着いてきた。肩や首筋の辺りにナオさんの鼻息や呼気を感じる。ずっと声を出していて口腔内が乾いているからか、少し口臭がする。ナオさんは気にしているが、体調が悪い時や朝一番は誰にでもあり得ることだ。

 身体が重なっている上半身にナオさんの胸の柔らかさ、速い鼓動を感じる。もちろん、肌の感触やぬくもり、匂いもする。ナオさんは俺の匂いが好きだと言ってくれる。ナオさんが俺の家で過ごす時間が多くなり、同じボディーソープを使っているにもかかわらず、俺の肌独特の匂いというか体臭が良いらしい。俺も今なら何となくだが分かるような気がする。至近距離に近づいて意識しないと分からないが、人間は石鹸やシャンプー、柔軟剤の匂いとは違う、文字どおり体臭がするのだ。ナオさんが興奮している時の体臭を嗅ぐとこちらも興奮する。

 俺だけかもしれないが、セックスの醍醐味は女性を裸にして胸やアソコをさらけ出させ性欲を発散するだけではない。行為中や行為後に汗をかき、呼吸も髪も乱れ、肌はベタつき、体臭も口臭もきつくなり、生々しい女性を感じられる事だ。普段物理的に隠している部分を見たり触ったりできるだけではなく、その女性の隠しきれない生き物として本来の姿を堪能できるのが良い。どんなに気を付けていても、灯りを消しても、入浴直後であっても、セックスで全て露顕するのだ。

 ナオさんが今まさにその状態だ。スーツを着れば上品で華があり、会話をすれば頭の回転が速くて楽しい。メイクはナチュラルで、丸顔で童顔が柔らかく優しい印象を与える。よく働き運動も好きで、明るく健康的だ。我が社の設計企画部のエース、美声のプレゼン女王。その半田ナオが股を開いて身体を許しただけではなく、自らのコンプレックスのケアを忘れるほどセックスで消耗して、身体を委ねてきている。男冥利に尽きる。ナオさんには申し訳ないが、今は好意や愛情よりも征服感や独占欲が強く満たされている。


 「身体を起こすのを手伝ってもらっていいかな。」ナオさんが弱々しく言ったので、肩と背中を抱き、上半身を起こす。ナオさんは「ありがとう」と言いながら、ベッドの下半身の周りを手で触り、何かを確認している。

 「何か落としたんですか。」

 「うううん、違うの。ベッドを濡らしてたらゴメンと思ったけど、大丈夫だったみたい。よかったぁ。」

 「シャワー、先にどうぞ。」もう俺の身体もナオさんの身体も唾液や我慢汁、愛液が乾きはじめている。ナオさんに早くシャワーを済ませてもらって自分もシャワーを浴びたい。

 「そうするよ。」ナオさんは少しふらつきながらだったが、自立して歩けるようだ。

 「ショーツも手洗いして洗濯籠の近くに置いておいてくれたら、後で干しますよ。」

 「はーい。」


 23時。二人とも2度目のシャワーを浴びてベッドで向かい合っている。ナオさんは俺に顔を近づけ、鼻の先を自分の鼻先でツンと突いた後、俺の右腕に抱き着いて甘えてきた。

 「今日、激しかったね。ユウジ君も気持ちよかった?」

 「気持ちよかったよ。」

 「クンニでイった後にすぐ入れてくると思わなかった。いつもだったら落ち着くまで待ってくれるのに。」

 「嫌だった?」

 「あー、ユウジ君スイッチ入ってるなぁって思った。」ナオさんが笑う。

 「ははは、ナオが挑発してくるから少しイジメたくなった。」

 「えっ、私のせいだって言いたいの?」顔を上げて上目遣いで見上げてくる。

 「そうだよー。だから絶対イカしてやる!って思った。」

 「エッチ。」

 「実際、気持ちよさそうだったじゃん。声も綺麗だったよ。」

 「声も出てたの?」

 「自分じゃ分からなかった?お隣さんにも聞こえちゃったかも。」

 「やっばー。自分では全然声出してるつもりじゃなかったのよ。途中からなんかフワフワして、分からなくなっちゃったの。」

 「まぁ大丈夫だよ。このマンション独身用だから、窓開けたままだったりすると他の部屋でもやってる声が聞こえる時があるけど、どの部屋でやってるか分からないから。」

 「ふはは、じゃあ、みんなもエッチだね。」ナオさんが満面の笑顔になった。パジャマの下はノーブラだろう、柔らかみを腕に感じる。替えのショーツはあったのかなと思いつつ二人で眠りに就いた。手洗いしたナオさんの新しい下着は、ベランダで夜風に揺れている。


 次の木曜日の朝、トーストを食べている時だった。

 「あのぉー。私、月の日が来ちゃったんだけどさ、今日と明日もここに帰ってきていい?」遠慮がちに聞いてくる。今までナオさんは月の日が来ると、お泊りを中止して自分の部屋に帰り、辛い期間中は俺の部屋に来ることはなかった。

 「もちろん。」

 「エッチできないし、料理も凝ったのできないよ。」

 「いいですよ。しんどいんだったら尚更、俺がいた方がいいじゃないですか。」

 「へへへ、優しいね。」

 「ははは。これから先、生理の度に家出するつもりですか?」自分で言ってしまった後、ヤバイ事を言ったと気づく。まだプロポーズ前だ。

 「へ?」ナオさんは少し驚いた顔をして、コーヒーを急いで流し込む俺を見ていた。

 「先に洗面所使います。」俺は誤魔化すようにその場を離れた。


 その日の仕事もナオさんはそつなくこなす。体調が悪いとは思えない。振り返れば、一緒に仕事をしていてナオさんは体調が悪いとか、月の日を感じさせる事はあまりなかった。年中仕事のクォリティーや気分にムラがなく、ハイパフォーマンスで落ち着きがある。付き合いだしてから「この人にもやはり生理はあるんだ」と改めて思ったくらいだ。

 21時くらいに別々に退社。俺の方が先に職場を出たが、途中で買い物をしていたのでナオさんの方が先にタクシーで帰ってきていた。

 「おかえりなさい。」ナオさんが玄関まで来てくれた。

 「ただいま。今日は俺がご飯作りますね。スーパーで買ってきました。」買い物袋を持ち上げる。ナオさんは「サンキュ」と言って俺の鞄の方を持ってくれた。

 俺は独身生活が大学時代と合わせて10年近くなる。就職してからは外食が多くなったとは言え、簡単な料理なら多少できる。独身男の料理はいかに簡単で、速く、後片付けが楽かが重要だ。この点、本や動画で気に入った新しいレシピを作るナオさんは偉い。

 今日は豚の生姜焼きとポタージュスープだ。ただ実際は、豚ロース薄切りをフライパンで焼いて市販の「生姜焼きのタレ」で絡めるだけ。これをゆで卵と、スーパーで買ったカット野菜とをお皿に盛りつけただけだ。後はカップスープをマグカップでお湯に溶いて出来上がり。

 「仕事でもそうだけど、ユウジ君本当に要領が良いわね。」ナオさんが感心してくれる。

 「今、褒めてもらってます?」

 「褒めてる、褒めてる。」ナオさんは嬉しそうだ。

 「瞬殺簡単メニューですけど、どうぞ。」

 「いただきます。……嬉しいよ。彼氏が作ってくれた料理を食べられる日が私にも来るなんて、2年前までは想像もしなかった。」恋愛経験が乏しいナオさんの残念な過去を聞かされてもリアクションに困る。

 「ナオさんは彼氏に求めるハードル低すぎですよ。仕事での要求はハードなのに。あ、でも、やっぱりナオさんが前に作ってくれた生姜焼きの方が美味しいですね。」自分で作った生姜焼きを食べて率直に思う。

 「そんなことないよ。ユウジ君のも美味しいし、温まる。」

 「私さ、男に負けない!仕事に生きるって考えてたけど、バカだったなぁ。やっぱり負け惜しみだったよ。今めっちゃ幸せだもん。」ナオさんが「へへへ」といつもの照れ笑いをする。

 食後「後片付けも簡単ですから、先にシャワー浴びてくださいね」と促すと、ナオさんは「じゃあ、お言葉に甘えて」とタオルや着替えを持って浴室へ向かった。ナオさんがシャワーを浴びている間、ご飯の後片付けはもちろん、ベランダに干していた洗濯物の回収、クイックルワイパーで簡単な床掃除もする。俺の部屋だからというのもあるだろうが、掃除は俺の分担だ。


 二人ともシャワーを浴びた後のゆったりした時間。ナオさんはベッドの上で横になりながらスマホをいじっている。俺は回収した洗濯物を畳んでいる。ナオさんは部屋着とパジャマ、ハンドタオルやちょっとした外出用の服以外は持ち帰って洗濯やクリーニングに出すので、半分以上俺の洗濯物だ。以前「ナオさんの靴下や下着もネットに入れて一緒に洗濯しますよ」と言ってみたが、「恥ずかしいから嫌だ」とのことだ。同じ洗濯機で洗うのはともかくとして、俺に下着や靴下を手洗いしてもらったり、干してもらうのが恥ずかしいらしい。だからナオさんが手洗いした新しい下着を昨日俺が干したのは珍しいことだった。

 ナオさんはいつも下着を上下お揃いにしてくれている。365日ずっとそうなのかは分からないが、少なくとも俺が脱がせた時はバラバラだったことがない。あるとすればシャワーを浴びた後で寝る時にショーツだけ履いて、ブラを着けないことがあるくらいだ。そういえば前に「ユウジ君と出張に出ると下着が何枚あっても足りない」とボヤいていた。下着と言ってもショーツだけだろう。行為に及ぶ前にじゃれ合ったり、愛撫しているとナオさんも盛り上がってアソコが濡れる。もちろん俺も濡れるまで入れないのだが、美乳や上半身に触れている間に下半身も出来上がり、脱がせる前にクロッチが濡れている場合が多い。1日当たり何枚必要かクローゼット前で計算しているナオさんの姿を想像すると面白い。

 「何をにやけてるの?」ナオさんがベッドから聞いてくる。

 「いや。何でもないです。それより新しい下着乾いていますよ。」

 「ありがとう。えっと…、私の部屋着と一緒にスーツケースの近くに置いておいて。」自分が下着を着けている時は堂々としたものだったが、下着だけを触られたり見られたりするのは、やはり恥ずかしいようだ。

 「ユウジ君。今晩私が隣にいても寝れる?エッチできないよ。」

 「分かっています。寝れますよ。」

 「パンツが膨らんでるのに生殺しみたいで、なんか悪いなぁと思って。私、コタツで寝ようか。」

 「ダメです。風邪ひくし、背中や腰が痛くなりますよ。」半ダチなのがバレて恥ずかしいが、毎晩出さなくてもいずれ収まることは織り込み済みだ。

 「ふふふ、優しいね。」

 「4、5日くらい全然大丈夫ですよ。」

 「だと良いけど。」ナオさんはクスクス笑っている。


 「ねえ、ナオさん。もうすぐナオさんの誕生日じゃないですか?」

 「ふーん、覚えててくれたんだ。」ナオさんは嬉しそうだ。

 「誕生日だけ特別に外でデートしません?」

 「うん、いいよ。私、アニバーサリー休暇取ろうと思っててさ。1日空けてるよ。」あっさり快諾してもらえた。我が社はタフだが休暇に関する福利厚生はしっかりしている。「その手があったか!」と感心した。

 「じゃあ、夜に。俺は仕事に行きますし。」

 「うん、そうだね。で、どこに行くの?」

 「スカイツリーってナオさん行ったことあります?俺、行ったこと無くて。」

 「ああ、私も無い。いつでも行けるやと思ってたら行かず仕舞いだわ。」

 「俺もです。…では、時間とかはまた相談します。」

 「ははは、仕事のアポイントじゃないんだからさ、そんなガチガチじゃなくてもいいよ。」ナオさんが優しく微笑みかけてくれた。

 「あまり張り切って、気を遣わないでね。一緒にお祝いしてくれるだけでも嬉しいんだよ。」ナオさんは多分、高価なプレゼントは不要と言いたいのだろう。しかし、生憎俺は自分ができ得る最も高価なプレゼントをしようとしている。ここで言う高価とは物質的な意味でも金額的な意味でもない。俺自身がかかっているという意味だ。

 「分かりました。そろそろ寝ましょうか。」

 「うん。」ナオさんはスマホを閉じて横になった。俺も隣に横になり、手を繋いで眠りに就いた。俺達は身体だけの関係ではない。セックスをしなくても一緒に居ることができる。

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