第121話 外伝 ヘルマン・エーペンシュタイン1

 これはある飛行士がヴォージュ要塞攻防戦の最中に行った話である。


「今日は最高の飛行日和だな」


 後席に座るヘルマン・フォン・エーペンシュタインが前席の友人レールツァーに言う。


「全くだ」


 エーペンシュタインの言葉にレールツァーも同意する。

 青い空、白い雲、絵地図のような地表。空を飛ぶと言うことは、この光景を見るだけでも素晴らしい。

 ただ、突如、機体の脇に火の玉が広がり一瞬にして衝撃波が彼らの乗った飛行機を襲う。


「敵の対空砲火が無ければな」


 彼らが飛行しているのは攻撃目標となっているヴォージュ要塞だ。

 連合軍も防衛のために多くの戦力を派遣していた。

 その一つが対空砲だった。

 新開発では無く、すでに二十年ほど前、飛行機が開発される前に実戦配備されていた。

 当時は気球が実用化され砲撃の観測、籠城した要塞との連絡に使われた。

 時に大都市の包囲線で悠々と包囲軍の上空を飛んで行き、包囲を突破することさえあった。


「何としても、あの卑怯な兵器を打ち落とせ!」


 悠々と包囲網の上空を通り過ぎていく気球に苛立った指揮官が叫んだために開発されたといわれている。

 その後、気球が増えるにつれて旧大陸の各国でも対空砲の配備は進んでいった。

 飛行機が登場した時には、既に一定数の対空砲が配備されていたのだ。

 戦場に飛行機が登場すると、迎撃のため多数の対空砲が増産され前線に配備された。

 特に攻防戦の焦点となっている要塞には帝国軍の偵察機を排除するために大量配備がなされていた。


「引き返さないでくれよ。なんとしても要塞の写真を撮らないと味方が危険だ」


 それでもエーペンシュタインが飛んでいるのは要塞の地図を帝国軍が欲しがっているからだ。

 要塞から放たれる砲撃が帝国軍歩兵部隊の接近を阻んでいる。

 上空から敵の砲兵の一を掴むのが、彼ら偵察機の役目であり命令だった。


「砲兵を潰せば味方を助けられる」


 何より味方の損害を少なくすることが出来る。

 貴族として生まれたエーペンシュタインは、元部下や仲間がこれ以上死なないように敵の砲兵を潰したいと思っていたからだ。


「そうは言っても敵の反撃も厳しい」


 だが、味方の被害を減らしたいのは連合軍も同じだ。

 砲兵を潰されたら帝国軍の歩兵が殺到し要塞を制圧される。

 戦場の女神である砲兵の祝福――敵を地面ごと掘り返すほどの猛砲撃は要塞の命運を決すると言って良い。

 だから砲兵の配置を帝国軍に知られたくないために、偵察機を執拗に追い返していた。


「下手したら戦闘機が来るかもしれない」

「だが、今はいないんだろう」


 レールツァーにエーペンシュタインは言った。

 連合軍も戦闘機を配置していたが、都合良く何時も上空にいるわけでは無い。

 忠弥も重要性を認識しており、できるだけ戦闘機を上空に上げていた。

 だが飛行機の稼働率はこのときはまだ低かった。

 一回の飛行でエンジンのオーバーホールが必要な程脆弱で、空を飛ぶ度に整備が必要だ。

 大量の飛行機を一時に上げても、すぐに飛行不能になり、上空に上げられなくなる。

 少数を上げても、すぐにベルケの戦闘機隊が大軍でやってきて撃墜してしまう。

 そのため要塞上空に常に戦闘機がいるわけではない。

 要塞から少し離れたところにいて偵察機が来たら、迎撃に赴くようにしていた。

 そして戦闘機が来る前に撃墜して、逃げ帰るのが当時の連合軍航空部隊の作戦だった。


「今がシャーンセ――絶好の機会なんだ。もっと高度を落としてくれ。敵の砲兵陣地を撮る」

「危険だぞ戦闘機が来た時、逃げられないぞ」

「その時は、味方の陣地に逃げ込めばいい」

「危険だぞ」

「これくらいは必要さ」

「相変わらず勇猛だな。巻き込まれる哀れなパイロットの事も考えてくれ」

「見舞いの土産話に航空機の話を聞いて、その道へ突き落とされた哀れな友人を助けると思え」


 エーペンシュタインが航空隊へ入ったのは前線でリウマチ熱に掛かって入院中、航空隊へ転籍したレールツァーの見舞いを受けたからだ。

 病室で航空隊の活躍、自分の功績を自慢げに話すレールツァーの話しに感化されたエーペンシュタインはすぐさま航空隊への転属願いを提出。

 退院すると、すぐにベルケの元へ行った。

 そして偵察員としての訓練を受け前線に出ていった。

 だが一つ問題があった。


「転属が受理される前に勝手に入ってきたのはお前だろうが」


 ヘルマンが退院した時点で転属願いは受理されて居らず、むしろ優秀な将校であるエーペンシュタインを手放したくなかった連隊は、転属願いを却下した。

 しかし、少年時代手の付けられない悪童だったエーペンシュタインは、その頃の冒険心と向こう見ずな性格が再び現れて、退院と同時に航空隊へ勝手に乗り込んだ。

 ベルケも突拍子も無い行動に驚いたが、そのような事は日常茶飯事で手慣れていた。

 空高く悠然と飛ぶ飛行機は若々しい心を持つ青年将校には、魅力的に見えており、多くの若者が航空隊へ転属を志願していた。

 特に塹壕戦が始まってからは、活躍の場が無くなった騎兵将校が新たな戦場として、地上を駆ける馬から空を飛ぶ飛行機に、文字通り鞍替えする者は多い。

 中には転属願いを出す前に、勝手に駆けつける強者もいた。

 エーペンシュタインもその一人だった。

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