第60話 義彦の決意

 戸惑っている忠弥に義彦は改めて尋ねた。


「君の夢が叶う時、世界中の空を飛行機が空を飛ぶようになるんだよね」

「はい」

「その時空を飛んでいるのは島津の飛行機だけか?」

「いえ、多くの人が島津以外も飛ばすようになるでしょう」


 飛行機の技術は多くの人が利用できる、いや技術を正しく使えば誰でも空へ行くことが出来る。

 航空機の製造メーカーや運用する航空会社は少ないが、これは安全性や製造コストなどを考えると大勢の技術者や管理者を抱えた方が結果的に効率的だからだ。

 膨大なコストと時間を掛ければ個人でも飛行機を作れる。

 安全は保証できないが不可能ではない。

 でなければ世界中に航空会社や航空機メーカーが生まれることはなかっただろう。


「多くの人が飛んだとき島津が飛べる空はあるかな、島津以外が飛んでもその空に余裕はあるかな」

「空は無限に広いんです。十分すぎるほどです。むしろ他の人にも飛んで貰いたいです」


 忠弥は明るく答えた。


「そのために協力できるかい? 他の人に飛行機の技術を教える事は出来る?」

「勿論です! 空を飛びたい仲間に手を差し伸べることに躊躇はありません。むしろ全力で話します」

「分かった」


 義彦は玄関に向かった。


「どちらへ?」


 何処へ行くのか昴が尋ねた。


「打開策を持っている人のところに行く」


 それだけ言って近所の人に話に行くような気軽さで義彦は出ていった。




 義彦が自動車で乗り付けたのは岩菱の屋敷だった。

 来客を迎える迎賓館として使われている洋館のエントランスで降り立つと屋敷の中に案内された。


「こちらでお待ちください」


 ガラス張りの応接間に案内され洋風の椅子に座って主を待った。


「儂に会いたいというのはお前か」


 出てきたのは岩菱財閥の総帥岩菱豊久だった。


「ふん、島津の若造が何か用か」

「突然の来訪、お許し下さい」


 身がすくむような声色で毒舌を吐く豊久に怯える事無く、義彦は優雅に席を立ち頭を下げた。

 既得権益に縛られず次々と事業を興し発展させてきた義彦の性格は傲岸不遜で、財界でもその行動は鼻つまみものだった。

 例え、相手が皇国最大の財閥である岩菱でも義彦は一切退かなかった。

 それが、頭を下げている。


「ふん」


 その様子を見た豊久は鼻を鳴らして見下し座る。

 これまでの傲慢な態度を抑えたところで印象は変わらない。


「それで、何の用だ」

「そちらから打診のあった航空事業譲渡の件です。そして共和国での飛行場建設の協力要請です」

「ふん、そこか」

「それで、我々に飛行場建設を求めるのか」

「はい、現在我々は大洋横断飛行を計画しています。そのためには到着地に飛行場が必要なのです」

「頓挫しているようだが」

「ええ、現地の理解が得られていないので。そこでなんとか理解し、許可が下りるよう岩菱にご協力をお願いしたいのです」

「ふん」


 豊久は予想通りの行動に鼻で笑った。


「それで見返りは? 何もせずタダ働きしろというのではあるまい」


 政治家としても活躍し始めているが、当選したのは国民に人類初の有人動力飛行とダーク氏との飛行対決で知名度が上がり投票に結びついた。

 その根幹の航空事業を義彦が手放すことは絶対にないと豊久は予想していた。

 これまでの行動からして、できる限りの対価を得ようとするだろう。

だから返ってきた答えに豊久は驚いた。


「島津の飛行機技術を提供します。無料で」

「なにっ」


 豊久は驚いた。

 飛行機は島津の独占技術のはずだ。

 世界初の有人動力飛行に疑問符が付いているとはいえ、空を飛ぶ技術は本物だ。

 この技術は、世界中が喉から手が出るほど欲しがっている。大金を支払っても良いと思うほどに。

 上手く使えば世界中の富を手にする事さえ不可能では無い。

 まさに金の卵を産む鳥なのだが、それを開示しようというのだ。


「我々に特許を解放するというか。会社の発展が大事ではないのか」

「勿論大事です。しかし、飛行機はまだ生まれたばかりの、ひよこ。世界中に広めるためには我々はあまりにも小さく、多くの人は空を飛べることが出来ない状態です。今、独占しても航空機の発展を阻害するだけです。今は多くの人に空に上がって貰う時期です」

「我々が空を奪うとは思わないのか」

「他にも多くの人が空へ行くことになります。奪い合いになるほど飛行機が空に上がったら、改めて競争いたしましょう」


 豊久の言葉に義彦は挑戦的な笑みを浮かべて答えた。


「……ふんっ」


 同じ土俵に立っても勝てる自信がある。だが力士も土俵が足りないので協力しろ、断れば他に行くだけだ。

 追い詰めたはずなのに追い詰めてきた、いや、豊久を追い詰めていることを義彦は突きつけてきた。

 新参者に言われて面白くない、だが、胸が熱くなるのを豊久は感じた。

 開国したとき、諸外国の技術を手に入れようと走り回ったときの事を。若さ故の恐れを知らない情熱で大金を支払って船や機械を買って我武者羅に動かしてきた。

 その時の情熱が豊久の胸に再び燃え上がらせた。

 義彦の言葉が豊久を燃えさせた。

 島津の若造は気に入らなかったが、今の自分を作った、青春の感情を情熱を否定することは出来なかった。

 だが、寧音の前で簡単に許す気にはなれなかった。

 祖父としての威厳とプライドがあった。


「お祖父様」


 その時、寧音が口に出した。


「飛行機を、新しい時代の乗り物を送り出すのは岩菱の誉れでは? 皇国だけでなく世界に提供することこそ快挙では?」

「ね、寧音」


 これまで両親に先立たれてから大人しかった寧音がここまで言うことはなかった。

 それだけに豊久の心は揺れ動いた。

 しかし、若造である義彦の提案をすんなりと受け入れるのは抵抗があった。


「土下座して頼め」

「分かりました」


 岩菱が言うと義彦は土下座した。

「そこまで出来るのか」

「未知の世界へ飛び出そうとしている若者がいるのです。道への扉を開けてやれるのなら開けてやるのが年長者の務めです」


 顔を上げた義彦の目には一点の曇りもなかった。

 未知の世界へ飛び立とうとしている忠弥への助力に全力で務めようという瞳だった。

 そこで豊久は折れた。


「……分かった。そこまで言われてはこの豊久、協力しないわけには行かない。岩菱が全力でサポートしよう」

「では」

「旧大陸の支社に命じて交渉を行おう。それに必要な資材を我が岩菱商船の貨物船で運ぼう」

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