第56話 相原大尉

 係員が部屋を離れて数分後、再び扉が開いた。


「海軍大尉相原二郎であります!」


 忠弥が待つ応接室に入ってきたのは海軍の白い制服に身を包んだ士官だった。

 背筋は伸びており非常に姿勢が良い軍人の姿だ。

 だが顔は朗らかで愛嬌があり話やすそうな人だった。


「英雄である忠弥さんに会えて光栄です!」


 そして忠弥を見る目が輝いていた。


「いや、私は自分の夢を叶えただけですよ」


「ご謙遜を。誰にでも出来る事ではありません」


 熱のこもった口調で話す相原大尉。長くなりそうなので忠弥は話を進める。


「この教科書を纏めたそうだね」


「はい、同期の協力もあり、纏まりました」


 今度は大尉が謙遜した。議論百出の中で全員の意見を纏めたのは相原大尉であることは誰もが認めていると忠弥は聞いていた。

 大勢の人が乗り込む軍艦で指揮をとる立場にいるためか、指導力がある。そして人と交わることが多いためか会話力、コミュニケーション能力が高そうだった。


「飛行の実力もあるどうだね。一つ飛んでくれないか」


「はい!」


 三〇分後、忠弥は相原大尉の操縦で空にいた。

 使っている機体は普及型の複座機で前席に相原大尉、功績に忠弥だ。

 前方に学生を乗せて、後席の教官が操縦し指導する。時には学生に操縦を任せ教える練習の為の機体だ。

 故に相原の技量を見るのに最適な機体だった。

 離陸して指定したコースを飛ばしているが、安定した飛行であり、不安を感じることは無かった。


「着陸します!」


「おう」


 忠弥は神経を尖らせる。

 着陸が飛行機の中で一番難しい。降下が速すぎると地面に激突して墜落、遅いと滑走路をオーバーランしてしまう。

 それに機体の速度が遅くなり、不安定になる瞬間で操縦が難しい。

 それでも相原は落ち着いて飛行機を安定させゆっくりと地面に着地させた。

 十分に飛行機を減速させてから滑走路から誘導路を通って駐機場に走らせる。


「どうでしたか」


 エンジンを止めて相原は忠弥に尋ねてきた。


「ああ、大丈夫だ。飛行の技量は十分にある」


「ありがとうございます」


 目に涙を浮かべて相原は喜んだ。

 そんなに嬉しいことかと忠弥は思った。

 だが相原にとっては人類史上初の有人動力飛行を成功させ、今また海峡横断を成功させて、大洋横断に挑もうとしている忠弥は英雄であり、神にも等しい存在だった。

 その神から自分の操縦技術は良いと太鼓判を押されたのだから、感激しない方がおかしい。


「ところで大尉、長時間交代しながら飛行することは出来るか?」


「駆逐艦の航海士時代、何度も当直に立ちました。嵐の中二四時間配置に付いて指揮を執ったこともあります」


 有り難い経験だった。そのような長時間仕事をしていた経験が忠弥には無い。

 そんな事をしたら十才を過ぎたばかりの忠弥には未成年者虐待で通報されてしまうだろう。

 大衆運動が盛んになり、人権運動が盛り上がりを見せつつあるため、忠弥が過剰に働くのはイメージ的に良くない。それに心身が順調に成長しないのはこれからの操縦者人生を考えると、やめておいた方が良い。


「僕が大洋横断の準備をしていることは知っていますか?」


「勿論です」


「その時、飛行は十数時間を超える筈です。その間ずっと一人で飛行し続けるのは難しいのです。そこで、一緒に乗って貰えないでしょうか?」


「……」


「相原大尉?」


 表情が固まり黙り込んだ相原を見て忠弥は思った。やはり危険な冒険飛行を行いたいという人間ではない、と。

 しかし、次の瞬間、相原は身を乗り出して忠弥の手を自分の両手で握った。


「是非ともやらせて頂きます! 微力ながら全力を尽くさせて頂きます!」


「あ、ああ」


 相原の言葉を聞いて忠弥は考えを改めた。相原は自分と同じ飛行機バカである、と。

 少なくとも、自分と共に大洋横断飛行に参加してくれるくらいはしてくれると確信した。

「宜しくお願いします」




 こうして相原大尉を副操縦士として大洋横断飛行前の予行演習である秋津皇国縦断飛行が行われた。

 使用する機体は大洋横断にも使う専用機士魂だ。

 長距離を飛行するため大量の燃料を搭載するので高翼配置により安定性を確保。単葉にすることで、一五〇キロの高速で巡航飛行できるようにしている。これで飛行時間を短くすることが出来、操縦士への負担が少なくなる。第二次大戦の零戦は七時間以上の飛行を行ったとされているが、負担は少ない方が良い。

 忠弥の考え通り、鋼管布張りにして鋼管に温められたエンジンオイルを循環させることで翼に氷が張り付くのを防ぐ。

 今回の飛行は来る大洋横断の予行演習であり、それらの機構が問題無く作動するか確認すること、二四時間以上の連続飛行でも故障無く稼働するか確認するのが目的だった。

 当初は、断続的に着陸しながらの予定だったが、相原大尉が加わったことで飛行中の休息が取りやすくなり、忠弥と交代しながら飛行を行った。

 飛行距離は三五〇〇キロ、飛行時間は二七時間一七分だった。

 この調子でいけば予定飛行距離二五〇〇キロ大洋横断も成功するだろうと言われていた。

 しかし、忠弥は楽観していなかった。

 確かに大洋横断飛行より皇国縦断飛行の方が長いが陸地沿いに飛んでいるという利点が見逃されている。

 機体にまだ信頼できない部分があり、万が一故障が起きても直ぐに陸地に向かって飛び、最悪不時着する事が出来る。

 しかし大洋横断飛行では、陸地は存在せず、不時着できるのは海しかない。そして無事に脱出しても助かる確率は低い。

 そして行き先の気象状況が飛行コースが皇国の東海岸沿いを飛ぶコースだったため分かっていた。

 気象は西側から天候が変わりやすい。そのため陸地での気象観測によって前もって天候悪化を予報できる利点があった。

 実際、予定よりも二時間以上遅延したのは、悪天候の予報により迂回コースを採ったためであり、利点を最大限に生かしていた。

 結果、皇国縦断飛行は成功したが、大洋に観測所はない。

 しかも出発地点は新大陸で十分な気象データは少ない。

 皇国海軍の艦艇が飛行コース沿いに艦艇を配備してくれる予定だが、洋上の観測データがなく天候が急変する可能性は高い。

 慎重に判断する必要があった。

 そしてもう一つの問題が起きた。

 忠弥が格納庫で大洋横断飛行を検討しているときペアである相原大尉が、横断飛行の副操縦士を辞めたいと言ってきたのだ。

 

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