第21話 離陸
忠弥がエンジン始動を命じると両脇に控えていた技術者がプロペラを手で回し始める。
スターターが無いため、エンジンを回すのにプロペラを直接手で回す必要があるのだ。
プロペラの回転はに繋がったチェーンを通じて操縦席前に搭載されたエンジンが回転し始める。
エンジンは一基だけだが、プロペラのトルクを恐れて主翼後方に設置した二枚のプロペラにチェーン駆動で左右逆回転に動かして互いのトルクを打ち消し合う。
逆回転に回す方法は、ライトフライヤーと同様、プロペラに通じる片方のチェーンをクロスさせただけ。
安直だが、非常に合理的で重たいギアを使わずに済むため、軽量化に役に立ている。
回されたエンジンは、圧縮を繰り返し、タイミング良く点火すると快調に回り始めた。
プロペラを回していた技術者達が待避するのを確認して、忠弥はスロットルを調整してエンジンの調子を確認する。
非常に粗末なエンジンだが必要な時によく回ってくれる。
軽快なエンジン音に安心して忠弥はスロットルを調整してアイドリングにすると暫く回してエンジンを暖機させる。
過熱するとエンジンが壊れてしまうので困るが、逆に冷えすぎていてもエンジンは良く回らない。
エンジンが冷えているとガソリンの気化が良くないしオイルも堅い。
ある程度エンジンが暖まった方が性能が良く、むしろ、暖機された状態で最高の性能を発揮できるようにエンジンは設計されており、暖まるまで少し時間をおく。
その間に忠弥は飛行前の最後の点検を行う。
飛行機の前に待機していた技術者が両腕を使ってハンドシグナルを送る。
エンジンの轟音で声が聞こえないため、彼等の身振り手振りで、指示を受けながら点検を進めていく。
補助翼の動き良し、方向舵の動き良し、昇降舵の動き良し。
それぞれの可動部が動くことを確認してゆく。
全ての点検が終わったとき、エンジンの暖気も終わった。
忠弥は右腕を回して、準備が出来て離陸する合図を送る。
前で安全確認をしえいた技術者達が退避し、重量を最小限にするため、暖気の間に必要なガソリンを供給していたホースが外され、タンクに蓋がされる。
これで玉虫は数分の飛行だけに必要な分しか燃料はない。
空を飛ぶ、上昇して旋回して下降するだけの簡単な飛行だが、時間制限されると緊張する。
いや初めての、飛行ということで忠弥は非常に緊張する。
「忠弥! 成功させなさい!」
エンジンの轟音を貫いて昴の声が耳に入った。
反射的に昴を見ると、絶対に成功させろ、失敗は許さん、と眉を寄せて睨み付けるドレスを着て仁王立ちする昴の姿があった。
その姿が少し滑稽で、だが心強く忠弥の緊張を解し、忠弥は笑顔を返した。
レールを中心とした滑走区画の安全――誰も居ないか、障害物はないか確認がとれると、合図となる旗を持った技術者が旗を高く上げる。
準備完了、総員退避確認、離陸の秒読みに入る。
旗が揚がった意味はこの三つ。離陸準備が完了した。
旗を見て忠弥がエンジンの音を聞きながら左手で徐々にスロットルを開いていきエンジンの回転を上げる。
エンジンがうなり声を上げプロペラを勢いよく回りだした。
試験で何度も動かして大丈夫な事は確認しているが、本番の時は別の意味で緊張する。
耳を澄ませてエンジンに異常なしか、音で確認する。
異常なし。
規則正しい、軽快な高音。
異常なしだ。
忠弥は右手の親指を伸ばして真上に向かって突き立てて準備完了を伝えると、右手を操縦桿に戻し、空母のパイロットのように少し顔をうつむかせ、発進の衝撃に備える。
忠弥が下を向いた時、旗は振り下ろされた。
旗が振り下ろされた瞬間、カタパルトのスイッチが押され櫓の中の錘が落下した。
錘の重力エネルギーはロープを通じて繋げられた台車に伝達され、飛行機玉虫を乗せた台車を前に走らせる。
プロペラの推力も加わり台車はぐんぐん加速して玉虫を離陸速度へ、もって行く。
エンジン音も異常は無く、忠弥は音を聞きながらスロットルを最適な位置に合わせつつ開いていく。
軽便鉄道から譲り受けてきたレールは試験の時と変わらず滑らかに進んでくれている。
やがて離陸速度に達すると忠弥は操縦桿に力を込めて引っ張る。
加速する機体の風を受けた操縦桿は重く、動かしづらい。
その時、これまでの記憶が脳裏を駆け巡った。
前の世界で初めて飛行機の操縦席に入ったこと、空に憧れて勉強したこと、コロナで航空業界に入れず自らの命も失ったこと、この世界に生まれたこと、再び空を目指したこと、自分にチャンスをくれた社長のこと、飛行機作りに手を貸してくれた人達のこと。
何より自分をここまで導いてくれた昴のことを強く思い出し、感謝の気持ちを込めながら操縦桿を引いた。
それまでの重さが嘘みたいに消えて操縦桿は忠弥の身体に向かって引かれ、機体を上に向けさせた。
飛行機玉虫は、ゆっくりと機首を上げると台車から離れて空へ上がっていく。
「飛んだぞ!」
玉虫が機首を上げた瞬間、観衆にどよめきが走った。
「いや、まだだろう」
離陸した瞬間は、ほんの数センチ浮かび上がっただけだった。
下の台車と同じ速度だったこともあり、浮き上がったかどうかさえ、分からなかった。
「見ろ、浮かんでいるぞ」
「おお!」
「すげえっ!」
だが、隙間が徐々に開いていくと集まっていた観客の間から驚きの声が上がった。
「いや、たいしたことねえだろう。膝丈もねえぞ、すぐ戻るんだろう」
半信半疑の観客の中には動物や人間のようにジャンプして飛んでいるのと同じだと思っている者もいた。
だが、台車と飛行機の間の隙間が徐々に大きくなる。しかし、玉虫と台車の間は膝丈程度で広がらない。
「お願い、飛んで」
昴が口にした瞬間、台車がレールの端の車止めに当たって停止した。
玉虫だけが飛び出して大空に飛び上がった。
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