第20話 離陸準備
木枯らしが吹き始めた初頭のある日、忠弥は初飛行の日時を決めた。
数日前からの天気予報とこれまで集めた気象データから、その日が最適であると考えたからだ。
冬にしたのは他の季節よりも雨が少なく、風が常に一定の方向から一定の強さで吹く、気温が低い、この時期を過ぎると雪が降りやすくなる、というのが理由だ。
特に気温が低いのは重要だった。
翼の揚力は空気の流れと重さで変化する。空気密度が高いほど揚力は生まれやすいので寒い冬の朝は飛ぶのに最適だ。
エンジンの出力も吸い込む空気の重量が多いほど高くなるので、気温が低いと空気密度が上がりエンジンの出力もアップする。
以上の事から初冬以外に初飛行など忠弥は考えていなかった。
上空に出ると寒さに震えることになるが、この日のために特注した防寒着とゴーグルをかけた。
既製品だと大人用しかなく、まだ十歳の忠弥には大きすぎるため、特注で頼むしかなかった。
格納庫を開き、忠弥に看過された技術者達が一心不乱に製作し整備したエンジン付きの動力飛行機、その一号機が現れた。
前日の内にエンジンの始動点検を終えており、あとは離陸場所で暖気を兼ねた作動試験を行うだけだった。
機体は雇われた人足たちがゆっくりと丁寧に運んでいく。
「おお、あれか」
噂を聞きつけた人達が見物に訪れていた。滑空による試験飛行の時から注目を集めており人が集まってきた。
その時人足や技術者から世界初の有人動力飛行を行うと聞いて噂になり、集まってきたのだ。
「アレが空を飛ぶのか」
「飛ぶなら何時も凧みたいに飛んでいるぞ」
「今日はエンジン付きだそうだ」
人々は口々に自分の知っていることを自慢げに話している。
「それで自由自在に飛べるのか」
「そうみたいだ」
「誰でも飛ばせるのか」
「いや、鍛冶屋の息子が飛ばすみたいだ。昔から自分が飛行機を空を飛ばすと言い続けていた」
「幾つの子だ」
「たしか十になったばかりだ」
「そんな小さな子が飛ばせるのか」
「島津の原付二輪は知っているか」
「ああ、おらも買っただあ」
「アレを作ったのが忠弥じゃ」
「へー、あんなハイカラな物を」
「だから飛行機も大丈夫じゃろう」
「しかし、二輪と飛行機じゃ違うじゃねえか。第一、十歳の子供じゃ原付二輪も乗れめえ、あれは三角乗りも出来んもん。なのに飛行機を小さな子が飛ばせるのか」
「飛ばせます」
凛とした子供の声が響いてきた。
機体の輸送を監督していた忠弥が話が耳に入り思わず声を掛けてきたのだ。
「そのために作ったんです」
「しかしなあ、おめえ小せえだろう」
忠弥を初めて見た見物人は疑いの目で忠弥の身体を見る。
十歳と聞いていたが、同年齢の子供より小さい。こんな華奢な子が大人が数人がかりであんな大きな飛行機を飛ばせるのか疑問だった。
「だから飛べます」
「どういう事だ?」
「身体が小さいと、機体も小さく出来ますし、体重が軽いので機体を簡単に浮き上がらせることができます」
飛行機が飛ぶには胴体が小さく軽い方が良い。
その点では忠弥がパイロットになるのは合理的だった。
身体が小さいため、胴体は細く作る事が出来るため空気抵抗が少なく速度を出しやすい。そして体重が軽いので飛行機はより軽々と飛び立つことが出来る。
パイロットの体格としては理想的と言えた。
欠点としては、忠弥の今の体格に合わせて作ってしまった為に、大人が乗ることが出来ないことだ。
あと、忠弥が子供であるためどうしても筋力が不十分なことだ。
短距離の飛行なので問題ないと考えているが、不安材料ではある。
しかし、そのことを忠弥は顔に出さない。しかし、頭によぎってしまい口に出さないようにと黙り込んでしまった。
「本当かのう」
見物人は忠弥の言葉を聞いてもまだ半信半疑だった。
「ちょっとおっ! 貴方たち忠弥のことを疑っているの!」
横にいた昴が見物人の態度を見て怒鳴り声を上げる。
「待ってよ昴」
「これまで忠弥がやってきた事を知らず、あれこれ自分の偏見でものを言っているのよ。なんで言い返さないの」
「まだ飛行機は飛び立っていないからね。キチンと飛ばして証明するよ。だからもう怒鳴らないで」
「けど」
「大丈夫だよ。それと僕のために怒ってくれてありがとう」
「は、はい」
忠弥に言われて昴は黙り込んだ。
一悶着あったが、飛行機は無事に目的の場所へ到着した。
いつも使っている台地の上の平原。
何度もエンジン無しの機体で凧のように空を飛んで来た。模型飛行機を飛ばして何度も理論を確かめた。
飛行に最適な場所を見つけるために小さい頃から歩き回って見つけた最適地だ。
だから忠弥はこの場所の事を、この場所に吹く風のことを隅々まで知っている。
初飛行に挑む今でも家に居るような安堵感を感じている。
改めて空の様子を見る。
全天に渡り雲一つ無い快晴。
風は何時もの方向から何時もの強さで吹いている。
周囲の森の木々の揺れも一定で突風が吹く様子はない。
「忠弥さん。動力飛行機玉虫の設置、完了しました」
技術者の人が報告してきてくれた。
動力飛行機玉虫は高い櫓の前に敷かれたレールの上に乗った台車に搭載されていた。
車輪の取り付けを負荷軽減と強度の点から諦めた忠弥はライトフライヤーの様にレールを使ったカタパルト発進を考えた。
櫓の中に吊された錘が機体を乗せた台車を引っ張り、レールの上を滑走する。
レールは地面やタイヤに比べて摩擦が小さく、動力飛行機が滑らかに飛び立つのを助けてくれる。
自力発進では無いと文句が出そうだが、空中に飛んだ後、自由に操縦できることが忠弥の目標なので人の偉業にケチを付ける外野の騒音はシャットダウンすることにした。
だから、今は飛び立つことにだけに向かい、歩き出した。
飛行機玉虫に乗り込んだ忠弥は操縦席に座る。非常に小さい座席だが、忠弥にはピッタリ収まった。
大人用を作る時は再設計しなければならないが、今は自分を空に送るだけで十分だ。
シートベルトを装着し、身体に固定されているのを確認する。
次に計器類の確認だ。エンジン回転計に水平を表す水と少し泡の入った半球状のガラス、通電のランプ。それだけしか積み込んでいない。
ライトフライヤーは計器類に関しては何も付けていないそうだが、流石にエンジンの回転数と機体の水平を見る為に忠弥は原始的な計器を取り付けた。
もっとも二一世紀の世界の最新旅客機に比べたら非常に簡素、いや手抜きと言って良いほど何も無い。
だが、それだけでも十分に忠弥にとっては飛行機の操縦席だった。
計器類に異常が無いことを確認すると燃料コックを開け、電源を入れスロットルを左手に握り、右手で操縦桿を握ると忠弥は命じた。
「エンジン始動!」
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