第2話

橋本巡査からの一報ののち駒ヶ根警察署から数台のパトカーと覆面車両、ワゴン車がサイレンを鳴らして大急ぎで現場へと出ていく。非番の者も呼集されて署内はごった返していた。ちょうど運悪く、この日は定例の監察日で県警本部から数名の監察官が出向いてきて、署内の書類や状態を確認して回っていた。


「事件ですか?」


監察官の1人が会議室で書類を確認しながら対面するように座っている署長の神崎に話しかけた。


「ええ、下半身のない死体がで出たっちゅうことで殺人ですわ」


ふと、その監察官が何かを思い出したような顔をする。


「どんな死体か、分かりますか?」


「いや、まだ、現場にも到着しておりませんからなんとも・・・」


見ていたファイルを閉じた監察官が妙に真面目な顔をして署長としっかりと目線を合わせた。


「現場を確保している者もおりませんか?」


「交番勤務の者から連絡があったと聞いておりますが・・」


先ほど会議室に刑事課の安藤課長が一報を届けにきた際に少し報告を受けていた。


「申し訳ないが現場の写真をその者に撮影させて、こちらで確認させて貰いたい」


「どういうことです?妙に事件を気にされますな?こちらも頭ごなしに現場にそんな命令はできませんよ」


腕組みをして神崎が監察官に怪訝そうな表情を向けた。監察ではこのようなことはまずあり得ない。ましてや、今先ほど発生した事件に首を突っ込んでくるなど言語道断である。


「ああ、失礼、実はですな、この話は内密に願いたいのですが。」


「聞きましょう」


制服の内ポケットから手帳を取り出して彼は刑事畑の頃のようにメモを取る用意をした。


「では署長、まずは宣誓書にサインを頂けますか?」


「宣誓書?」


「ええ、宣誓書です」


鞄からクリアファイルを取り出して席を立ち上がった彼は、ゆっくりと歩いてくると神崎の目の前の机に置いた。


「これは・・・」


目の前に差し出された宣誓書には守秘義務に関する規定が細かく記載されており、今から話される内容が如何に機密性の高い事柄であることかが理解できる。が、それ以上に神崎はその書類の上部の項目とその下にあるシンボルマークを見ただけで心底関わりたくないと思えてしまうほどだ。


そのシンボルマークは『小さな日章旗を釘抜紋で囲った』独特のもの。


その組織を検非違使庁という。

平安時代から明治初期まで続いた検非違使とは全く関係の異なる、戦後に発足した組織である。 正式名称は内閣府検非違使庁、業務としては警察機構とほぼ同一の業務を行なっており一部からは二重行政などと揶揄されるが、警察としては奴等は全くの別物である。

捜査から裁判までを一括で担当し、全ての組織への捜査介入が可能であり、日米地位協定によって在日米軍すらも捜査対象にできるほどである。逮捕されるときは有罪が確定しているようなもの、と巷では言われ、取り締まりも政治家から一般市民までを幅広く、いわゆる政治色も反映されない。なぜなら圧力をかけてきた時点で逮捕することができるからだ。人権派から言わせれば特別高等警察、いわゆる特高だ。と言われるが、神崎もそれに近いのではないかと考えることもあった。


やり口が汚いのだ。狡猾で姑息、そして周到。若かりし頃の警察学校ではそう教え込まれた。


この書類だとてそうだろう、情報漏洩をした際は必ず捕縛することが明記されているのだ。状況証拠ではなく、物的証拠を基礎で考える彼らのやりそうなことだ。


「さ、どうぞ」


ペンを差し出されて書くように促される。多分、この監察官は密使だ。スパイみたいなものでどの組織にも検非違使の内通者が潜んでいる。ここまで大ぴらに動く人も珍しいが・・・。


「書きましょう」


日時、名前、役職を自筆して最後に拇印を押して突き返す。


「ありがとうございます」


確認を終えた彼も立会人として同じことを書き入れた。


「検非違使庁より要請で、この人物を探しているのです」


中年の男性の上半身が写された写真が卓上に置かれた。


「何者なんです?」


「総務省の関係組織の課長さんだった方なんですが、横領と詐欺をやらかしましてね。捕まる前に逃げたので捜査対象となったそうです」


「それは・・・まさか」


総務省の関係組織に警察庁も警察も入っている。


「まぁまぁ、そこは置いておくとして。で、この方なんですがね、ある宗教にのめり込んでおられたようでして・・・、治安関係の機密情報が流れた恐れがあるのですよ」


「宗教ですが」


「ええ、新興宗教です。最近、検非違使が摘発したのは覚えているでしょう」


孤月教団。

新興宗教で近年急速に若者や中年層に支持を伸ばした教団である。その力の源は嘘か誠か「霊的な遺物」を使用しての救済とのことであった。入信者に中央官庁や地方公務員も多く、教団が発行している機関紙には、不正などの内部告発が頻発し、それを狙ったマスコミ関係者も多くが入信していた。ところがその不正問題も巡って信者による正義の制裁という極端な思想が教団内に蔓延し始め、相次いで不正を行ったと思しき人物が殺される事件が頻発し、マスコミもその行動を称賛したが、複数の新聞社の不正で正義の制裁による殺人が起きると、手のひらを返すように彼らを断罪し始めた。

何件かの不正は確かにあったものの、それ以外で殺された人間が無実であったことも露呈し、警察が捜査をしている最中に検非違使が摘発した。

神崎も署長室のテレビで東京総本部の大きな教団施設に装甲車が文字通り突き破って突入していく姿を見ている。とても現代日本で起こっている事件とは思えなかったほどであった。


「孤月教団ですか・・」


「ええ。彼が握っていた情報の一部に大変猶予すべきものがありましてね、それと共に彼が忽然と姿を消してしまったので捜索しているのです」


「その人物が今回の事件の被害者ではないかと?」


「長野県に逃げ込んだのではないかとの情報提供があったようで・・・」


「なるほど、わかりました。現場の警察官に写真を送らせましょう」


「ご協力頂けて幸いです。電話はこの場でお願いします」


「わかりました」


神崎はポケットから警察専用の通信端末を取り出して署内のデータベースから橋本弥子巡査を探し出すとコールする。2コール目くらいに橋本とおもれる人物が電話に出た。


「はい、橋本です」


「お疲れ様、署長の神崎です」


「署長!?、お疲れ様です・・・」


少し裏返った声を出して返事をした橋本を神崎は憐れんだ。署長から一介の箱詰めに電話が入ることなどまずあり得ないことだからだ。


「どうしされました?」


「ああ、君を事ではないから安心してほしい。今、例の現場にいるかね」


「はい。おります」


「そうか、もうすぐ応援も駆けつけるからそれまで頑張ってほしいが、その、遺体はどんな状況かね?」


橋本巡査は斜め上を見上げた。

遺体は首に紐がありそれが木の枝にまるで吊るされるかのように引っかかって、風に揺られて時より揺れている。腹部の途中からちぎれているためか、臓器類が連なるように胴体から垂れ落ち、腸と思われるものが一本の太い線のようにぶら下がって風に揺れ、あたりに体液を飛ばしていた。


「上半身のみですが、20メートルほどの木の枝に吊るされているような現状です」


「顔などはわかりそうかね?」


あまり見たくもないが、目を向けると顎がないが、概ね顔は分かりそうであった。


「顎がないですが、顔は判別できると思います」


「そうか、すまないが、その端末で遺体の写真を撮って送信してほしい」


「遺体のですか?でも、画質が悪いですよ、鑑識さんに撮影して貰って送った方が良いのでは?」


「いや、県警本部から、今すぐ画像が欲しいと催促を受けてね。すまないが送ってくれるかな」


「わ、分かりました。すぐに送信します」


「ありがとう、では、よろしく」


通話を切って数分もしないうちに、数枚の写真が送られてきた。1枚目は顔のアップ、2枚へま上半身、3枚目は吊るされている全体像と、箱詰め警察官にしてはよく考えて撮影しているなと神崎は感心した。


「似てますかな・・・」


1枚目の写真と卓上にある写真を見比べるが、撮影された画像の画質が悪いこともあって判別が難しい。


「そのデータを科警研の鑑定依頼のフォルダに送っておいていただけますか?題名なしで結構ですので」


「科警研ですか?」


「ええ、こちらから連絡しておきますから」


そう言って監察官はスマホを取り出すとどこかへ電話をかけながら会議室を出て行ってしまった。


「まったく・・・」


他の監察官は我関せずといった感じでファイルの書類を黙々と確認して行っている。まるで、自分自身がひどく場違いな思いを抱きながら、指示された通りに科警研のフォルダへ3枚の写真を転送すると神崎は深いため息をついた。


遺体の写真を撮影して送信を終えた橋本巡査も同じようにため息をついた。


「県警本部ってやだなぁ」


昇進を望んでいない橋本にとって、それは厄介ごとのように聞こえてきた。高い志を持って警察学校に入校したが、その後の交番勤務で駒ヶ根市民の温かさに触れて以来、ずっと箱詰めでも良いのではないかと考えていた。地域密着のお巡りさん。退官した父親がそうだった。


「にしても、気持ち悪い」


少し離れた場所をテラテラとした腸管が揺れていて、規制線を貼り終えているとはいえ、1人で立つには気味が悪い。対岸の政吉の家から見た時はそれほどでもなかったが、現場に入ると木々が多く、そのために薄暗さもあって心細くなってくる。


「しっかりしなきゃ」


両手で頬を叩くき顔を引き締めた直後だった、視界の隅に動くものがあった。


「え?」


そちらへ顔を向けると、こまくさ橋と地元で呼ばれている吊り橋に人影があり、それがこちらをまるで観察するかのようにじっと見ていた。いや、見ていたかどうか判断がつかない。その人影は日差しが当たっている橋の上で着衣から姿まで真っ黒なのだ。まるで黒い塊があるかのようである。


「な・・・なに・・・」


目を凝らして見ようした途端、その黒い影は薄くなって消えた。


「え・・・」


走り去ったではない、まるで砂の粒が風で吹き飛ばされるかのように消えていったのだ。思わず二度見してしまうがすでにそこには何もいなかった。


「見間違いかな」


あたりを見渡して、ふと橋の欄干のところにその影があった。


「あれ・・・」


それは先ほど見た影と変わりなく、黒い塊で近付いたにも関わらず何かわからない。


「な、なんなの」


明らかにこの世のものではない。背中を冷や汗が伝い落ち身震いする。ふと、警察学校の教官の話を思い出した。


「諸君らは卒業後に各地に出向くだろうが、その際に山深き地方に行くときは妖怪や幽霊などの魑魅魍魎に注意しなさい。君らは笑うかもしれないが、不可思議な現象の類は現実に起こり得ること、そして、それに関わりそうな時は先輩に相談しなさい。くれぐれも1人で対応しないように」


途端に全身の毛が逆立つ。まさに、今見えているものがそうではないだろうか。腰の警棒を抜き前に突き出して威嚇する姿勢を取る。こんなもので防げるとは思えないが、一歩、一歩、と足を後ろに下げて駐車している軽パトカーへと後ずさる。

再び黒い影が姿を消し、次には欄干手前にある橋の記念碑の側に現れた。そこは、とても人が立てる位置ではないことが分かるほどに幅がない。


「ひぃ・・・」


思わず声を上げる。と、そいつが笑ったような気がした。口も何もないのに笑っているように感じ取れる。それはゆっくりとその場を離れると、一歩一歩を真似するかのように後ずさる度に前へと進んでくる。


「あ、遊ばれてる・・・」


恐怖に震えると、その姿が再び消えた。


「ど、どこ!」


探す視線の先、記念碑の少し手前に姿を現したそれは容姿があった。


「ひぃぃ」


思わずその場に尻餅をつく。恐怖で顔が引きつった。 それは、自分そっくりの姿で現れたのだ。同じ服、同じ警棒、同じ顔。違うところは2つ、顔が青白いこと、そして眼球がないこと。

それはニコリと笑みを見せて一歩、一歩、と近づいてくる。


「こ、来ないで!」


叫ぶが全く意味をなしていない、いや、その言葉にその顔が笑みを強め、もはや人間には到底できないほどの笑みを浮かべて迫ってくる。

足腰が立たず、なぜか声すら出なくなった橋本はガチガチと歯を鳴らしているだけだ。と、変なサイレンが耳に入ってきた。警察サイレンとは違う妙に重苦しく低い音だった。

近づいてくる足が止まり、橋本そっくりの物は人間味を失った表情で音の方に顔を向けた途端、発砲音と共にそいつの頭が吹き飛んだ。


「え・・・」


両肩、腹部、大腿部、右足と連続した発砲音の後に消えてゆき、音が鳴り止むとその姿はなく、左足だけがその場に残っている。それも、時間が経つとゆっくりと消えていく。


「大丈夫か?」


声をかけられ肩に手を置かれると橋本巡査は失神してその場へと倒れ込んだ。


「あ・・・」


シルバーの拳銃を持ったままで声をかけた彼が『しまった』というような表情を浮かべる。

編み上げ靴に藍色の自衛隊警務隊に似た制服、そして時代遅れと言えるような腰の刀と最新式のプラスチック製の拳銃ホルスタをつけた青年は、倒れ込んだ巡査を見たのちに木の上でぶら下がっている遺体に目をやってため息をついた。

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