第4話 黙契
「どうしよう……。視(み)ちゃった……」
「え? 視たの?」
「居るよね? ウロついてるよね?」
「よかったぁ~。気のせいじゃなかったんだ」
泪が他界してから、校内で泪の姿を視たという話がまことしやかに噂されるようになっていた。
しかも、ぼんやりとではなく、はっきりとした姿で目撃されている。
……血まみれのドレス姿で、だ。
泪は、目撃されても気付いていないようだ。何かを探すようにただ校内をうろうろしているという。幽霊といえば夜に目撃されるのが定番だが、泪に限っては、夜に視たという話は聞かない。全部、早朝から夕方、生徒が全員下校するまでの間でしか目撃情報は出てこない。
(おっさんは、どう思う?)
泪を視た、という話で持ちきりの教室を見るとはなしに見ながら、辰哉はおっさんに尋ねていた。
【探してるんじゃないか?】
(隆を?)
【ああ……】
(なんで? 隆なら、すぐそこに居んじゃん。同じクラスじゃん。探すまでもねーだろ?)
【彼女には視えてないんだよ。ぼうずへの憎悪が激しすぎて、それ以外眼中にないんだと思うぞ。ぼうずを八つ裂きにしてしまえば、すっきりした気持ちで当初の目的であった隆にべったりの日々を送れるのだが、ちっともそうならないから、自分の気持ちを持て余してるんだろう。ぼうずへの憎悪しかないのに、心の奥底では隆のことを求めているから、ああやって日中は彷徨い続けて隆を探してるじゃないか?】
(で、夜中はオレを殺そうと隙を窺ってるわけか……)
うぜぇ~、と辰哉は嫌な顔をした。
泪は、日に日に校内では辰哉から離れるようになっていた。校内にいる間だけは泪から解放されるので、辰哉はほっと一息ついている。
相変わらず雫は里子(りこ)を殺人犯扱いして責めているが、更紗(さらさ)と綾にしっかりと守られていることもあり、里子は今までと同じ様に学校生活を送っている。
その雫だが、前にも増して隆にべったりだ。
泪が亡くなったことで気持ちの整理がつくまで今少し傍にいて欲しいと懇願したらしい。
確かに、里子を責めている時以外はしゅんとしているので、情緒不安定なのは本当だろう。
隆が、辰哉のところへやってきた。
「隆、ちゃんとメシ食ってっか?」
「ああ……」
隆は笑いかけようとしたが、笑えなかった。笑う気力もないといった感じだ。やつれ具合もすさまじい。
「あいつは?」
隆が辰哉の前の席の椅子を黙って拝借したのを見届けてから、辰哉は尋ねた。
「雫?」
はぁ……、と隆は溜息をついた。
「……疲れてんな? あんま無理すんなよ?」
「ああ……。わかってる。Thank you(ありがと)な」
「で、あいつは? 休みか?」
「……吐いてる」
「あ?」
「真っ青な顔しててさ、ヤバイんじゃないかと思ったら、案の定、吐いた。今も、そこのトイレで吐いてるよ。落ち着いたら保健室に行くか早退するかのどっちかにしなよ、とは言ってある」
「そっか……。大変だな、ほんとに」
「……しばらくは、仕方ないよ」
「そっか……」
辰哉と隆が人生にほとほと疲れた老人のように溜息をついていると、誰かが登校してきた。
乱暴に扉が開いた音がしたので目を向けると、ふらふらの雫だった。
「来たぜ?」
「ああ。じゃあ、またな」
隆は力なく席を立ち、雫の方へ向かった。
入れ替わりに、更紗(さらさ)がやってきた。
「ンだよ?」
「日直」
「あぁ?」
「アンタ、日直でしょ?」
「そ……うだっけ?」
「日直なの」
ほら! と更紗は黒板を指差した。
黒板の右側には、今日の日付と日直の名前が書いてある。
「あ、ほんとだ」
「……のんびり隆と話し込んでんじゃないわよ。とっくに朝休み終わってるでしょ!」
そうか? と壁時計を見ると、確かに十五分も前に朝休みは終わっていた。
「担任が休みなのか何かあったのか、こんな時は日直が職員室まで様子見に行くの。そのための日直なんだからね」
「……悪かったな、知らなくて」
「知らないと思ったから、教えに来たの」
「それはそれはご丁寧に有難う御座います」
「お礼なら、―――」
更紗と辰哉が軽口を叩いていると、またもや乱暴に教室の扉が開かれた。
今日は慌ててるヤツが多いなぁ~、と辰哉は苦笑したが、入ってきたのは生徒ではなかった。
学年主任だった。
彼のただならぬ雰囲気に、教室内は瞬時に緊張に包まれた。
「席に着け……」
学年主任は、震える声で指示した。
何事かと生徒たちは速やかに自分の席へ戻り、学年主任に注目する。
学年主任は、何度か深呼吸をした。
「落ち着いて聞いてくれ」
学年主任の言わんとしていることが慶事でないことは明らかで、慶事どころか、また最悪な話ではないかと生徒たちは神経過敏になって重苦しい空気を醸し出していた。
「浅山雅代が……階段から落ちて……、……救急車が到着する前に……亡くなった」
「!」
複数の息を飲む音が聞こえた。
また、事故死……?
教室内に、動揺が広まった。
2
浅山雅代が死んだのは、泪の影響?
泪が寂しがって、無差別に道連れを探してる?
今度は、そんな話が物凄い勢いで広まった。
浅山雅代は、北階段の踊り場で倒れているところを、用務員のおじさんが発見した。
足を踏み外して階段を転げ落ちたのだろうが、打ち所が悪くて死んでしまったのだ。
それだけなら、有り得ない話ではないので、気の毒だったとしか言い様がないのだが、何故、浅山雅代は、登校してからまっすぐ教室へは向かわずにそんな場所へ出向いたのが謎で、彼女は在校生に薄気味悪さを置き土産にしてくれた。
彼女の友達は誰一人としてそんなところで浅山雅代と会う約束などしていなかったことから、未だに普通にうろうろしている姿が目撃される泪が呼んだのではないかとの憶測が、現実味を帯びて口に端に上った。
泪の姿が目撃され続ける限り、次の浅山雅代が生まれるかもしれない、と特に女子は怯えた。怯えて、絶対に一人にならないよう気をつけるようになった。
その怯えと噂話が悪循環の相乗効果を生み出したのか、今度は、校内をうろうろする浅山雅代の姿も目撃されるようになった。噂をすれば影がさす、が現実になったのだ。
ただ、泪と違って、浅山雅代は夜も何人かの守衛に目撃されている。
「ババア、乗り込んでこないね」
ピロティのベンチが既に占領されていたので、ちょっとした段差に腰掛けて下校のスクール・バスを待ちながら、更紗(さらさ)が言った。
「性格というか人間性というか……その両方だと思うけど、そういうのに問題あっても、第一線で活躍する一流の霊能者だからさ、他で忙しいんじゃない? 売れっ子の『拝み屋』だし」
「そっか……」
「……」
「でも、そのうち必ず乗り込んでくるでしょうよ。誰にしても看過できるコトでもないでしょうし」
「そうね……」
更紗は、中庭でボール遊びに興じている辰哉を見た。
卒業式間近という変な時季に転入してきたにも拘らず、辰哉はあっという間にクラスに馴染んでいた。だが、順応性があるのはとても良いことだけれど、節操無しは大変だと心配している更紗だ。
憎悪に満ちた存在感でぴったりと寄り添っている泪に、辰哉は気づいているのだろうか? 元気に学校生活を送っているわりには、日に日にげっそりしていっていることに気付いているのだろうか?
気付いていないなら気付かせて注意を促すべきだろうが、注意するだけでは問題解決にはならない。早急に何か手を打たないと、辰哉まで命を落としかねない。
「それよりさ」
綾が話題を変え、更紗(さらさ)は綾に視線を戻した。
「更紗に預けてるあの飾りの謎、解けた?」
「あぁ……あれ?」
更紗は首を横に振った。
「開いてくれたら何かわかると思うけど……。泪が手にしていた飾りには普通に鍵もついていたけれど、泪の飾りは開かなかったわ」
「なにそれ? 自分の鍵じゃないのを持ち歩いてたってわけぇ? なんでまた……」
綾は驚きつつ呆れていた。
「……」
「浅山さんから貰った綾のヤツにも、里子(りこ)の持ってるヤツにも、合わなかったわ」
「なにそれ……?」
「……」
更紗は小声で言った。
「……オリジナリティを追求するのがあたしらの間で流行った時期の飾りだから、
『凹』ってカタチの飾りがあっても全然おかしくないけど、微妙に『凹み』の部分が違うのが複数もあって……しかも、全然つながりのない人間同士が持っててこんな事件が相次いだら、この飾りが何を意味するのか普通に知りたくなるわよね? 別に、死者を冒涜してないよね?」
「いたってふつーの反応じゃない? 更紗、気にしすぎ」
ぽんぽん、と綾は安心させるように更紗の頭を軽く叩いた。
「里子(りこ)と隆に飾りを贈った人物は謎のままだし、グループでおそろだったって言ってた浅山はあっさり階段から落ちて死んじゃうし、浅山がどのグループに居た時のおそろかも判んなければ、他に『凹』の飾りをも持ってる人も見当たらない。……なにげにアタシ、皆の飾りをチェックしてたりするのよ!」
「へぇ~。そうだったんだ。綾、やるじゃない!」
「だって、アタシも気になってるんだもの。ただでさえ気になってたのに、泪が『凹』の飾りを持ってたもんだから、もう、謎解きしたくて仕方なくなったわよ。浅山と泪こそ、接点ないじゃない?」
「確かに。グループも違うしね。三年になってからの浅山さんしか知らないけど、彼女、栗ちゃんとかのグループに入ってたもんね。……そういえば、栗ちゃんとこのグループで、浅山さんだけ、二年の時のクラス違うね」
「……そういえば、そうね。浅山は……二年の時は二組だったと思う。……そう、二組だよ。里子(りこ)が二組で、アタシ、よく遊びに行ったもん。ね? 里子」
「……え? えぇ……」
里子は話を聞いているのか聞いていないのか、かなり上の空で曖昧な反応をした。
「二組には……泪と雫と絵夢も居たわね」
「あ、絵夢も二組だっけ?」
「そう。行列のできる心霊相談、やってたじゃない? あの頃の泪って、感受性が
強すぎでさ、よく幽霊に遭遇しては泣いてたらしいよ」
「あ、それ、聞いたことある」
更紗と綾は、しばし思い出話にふけっていた。思い出話……といっても、あんな事件があった直後なので、どうしても泪や浅山雅代や雫に関する話になってしまっていた。
「それにしても、泪が『凹』の飾りを持ってたなんてね……。何を考えてそんなモン握り締めて飛び降りたんだろ? ……っていうか、自殺……だったの? やっぱり」
「自殺とも事故死とも取れるみたいでまだ断定はされてないみたいだけど、……遺族のことを思うと、『事故死』にした方がいいだろうって、刑事さんが言ってた」
「まだ事情聴取されてるの?」
綾は心配そうに尋ねた。
「ううん。そういうわけではないと思う。あたしと長谷川辰哉、モロに現場見ちゃったじゃない? トラウマにならないよう、気を遣ってくれてるんじゃないかな? もちろん、何か思い出したら話してくれって言われてるけど」
「そう……。大変ね。っていうか、ほんと厄介ごとに巻き込まれちゃったわね」
「まったくだわ……」
更紗(さらさ)と綾は苦笑したが、里子(りこ)はずっと俯いたままだった。
「あ、3番バス来た! じゃ、あたしは帰るね。……ちょっと調べたいことあるから」
「そう? ガンバッテ」
綾が応援しながら送り出そうとしたら、綾と更紗の間にいた里子が顔を上げた。
「……じゃあ、わたしも、もう行くわ」
里子は決心したような口調でそう言った。
更紗と綾は驚いて同時に尋ねていた。
「どこ行くの?」
里子は逡巡した。
「ちょっと……呼び出し」
「そう……なんだ」
「珍しいわね」
泪の件でいろいろぐちゃぐちゃ言われているから、先生たちも心配しているのだろう、と更紗と綾は思い、詳しくは聞かなかった。
「あ!ヤバイ! バス、行っちゃう! じゃ、あたし、帰る。また明日ね!」
「Bye-bye(バイバイ)」
「See you(またね)!」
更紗を見送ってから、里子もゆっくりと立ち上がり、「じゃあまた明日」と行ってしまった。
「さぁて、アタシも帰るかな」
行きも帰りも市バス利用の綾は、伸びをした。腕を下ろした時に何かが指先に当たったので、何かとそちらを見た。
「あ……!」
里子の手帳だった。
几帳面な里子は、公私ともに予定をきっちり書いて持ち歩いている。
「ヤだあのコ! こんな大事なモノを落とすなんて……」
綾はきょろきょろと周囲を見回したが、まだ帰っていない生徒の中に里子の姿を見つけ出すことはできなかった。
「里子、そんなに急いでどこ行ったんだろう? そういえば……呼び出しって、職員
室? 進路相談室?それくらい訊いときゃよかった……。失敗したなぁ~」
ひとりごちながら綾は職員室を覗いたが、里子(りこ)の姿はなかった。
職員室にいた先生に、里子がどの先生に呼び出されたかを知らないかと尋ねたが、知らないと言われてしまった。
首を傾げながら職員室を出た綾は、なんとなく下駄箱を覗いてみた。
日本人学校には昇降口はなく、中央階段側のピロティに下駄箱が並んでいる。ロッカーの縮小版みたいなものだから、各下駄箱に扉はついていない。
里子のところには、上履きが入っていた。
ということは、下校したことを意味する。
綾は腕を組んで首を傾げた。
「What are you doing(何処で何してるの)? 里子?」
答えてくれる人は、誰もいなかった。
3
「……」
朝休み中なのに進路相談室にいる更紗は、激しい衝撃にそのまま気絶するかと思った。
泪の死体を目の当たりにした時、これ以上の衝撃的なことはないだろうというくらいに衝撃を受けたのだが、今は、あの夜とは比べ物にならないくらいの衝撃に見舞われている。
どうしていいのか、わからない。
……どうすることもできないのだが、それでも、どうにかならないものかと詮無きことを真剣に考えてしまう。
里子が自殺した。
今朝、浅山雅代が死んでいた場所で里子が発見された。
しかも何故か、浅山雅代と同じ様に階段から転落して見事に打ち所が悪くて死んだのだ。
そんな自殺が、可能なのだろうか?
更紗(さらさ)はまずそこにひっかかりを覚えた。
衝撃に打ちひしがれている更紗と綾に、同席している学年主任が事のあらましを説明してくれた。
実は昨日から里子(りこ)は自宅に戻っておらず、極秘で大騒ぎになっていたらしい。なぜ極秘かというと、なんてことはない連絡忘れの外泊や家庭内の事情が原因での家出の場合と、営利目的の誘拐の場合だと、周囲への迷惑の度合いが大きく変わってくるからだ。
海外赴任の家庭では、どこでも『誘拐』を心配している。簡単に殺害と直結してしまうからだ。
里子を見つけたのは、早めに出勤してきた英語教師だった。
既に里子は病院に運ばれていて、親友の更紗も綾も遺体はまだ見ていない。
見ていないから、里子が死んでしまったなんて信じられるわけがないのだが……、
担任や学年主任の表情を見ていると、里子の死は現実なんだと認めざるを得ない。
里子の手には、メモ用紙代わりに使ったトレーシング・ペーパーが握られていたという。そこには、泪と浅山雅代をはずみで殺してしまい、自責の念に駆られたので、命には命でつぐなう……といった内容が、里子の字で書かれていた。
「トレーシング・ペーパー……?」
更紗はその遺書を見せてもらいながらひっかかりを覚え、不審に思った。
「トレーシング・ペーパー……? ……ほんとだ」
気が動転していたのか、更紗に言われて初めてその紙が普通紙ではないと気付いた担任と学年主任が、首を傾げながら触りながら紙質を確かめていた。
「……」
更紗は、何かが見えてきた。
まだ漠然としているが、点が線になってきているのを実感した。
(落ち着いてひとつひとつを並べていけば、符号が合うはず……)
更紗は、はやる気持ちを抑えて記憶を手繰り寄せた。
確かに数日前、更紗は里子にトレーシング・ペーパーの話をした。だが、その後、
里子がそれを買いに行った話は聞いていない。そもそも、今はどの教科でもそんなもの使う必要がない。
だから――。
「自殺じゃない……」
更紗(さらさ)は力強く言い切った。
「更紗?」
「……如月?」
その場にいる全員が、心配そうに更紗を見ている。
「これは、自殺に見せかけた他殺だわ。里子(りこ)は、自殺なんかしない。する必要ないもの」
「……更紗ぁ~」
綾が泣き出しながら更紗を抱きしめた。
「信じたくない気持ちは、アタシも同じだよ……。でも、里子の字で、遺書が……」
綾は最後まで言えずに、嗚咽を漏らした。
「その遺書が、里子は自殺じゃなく殺されたってことを証明してるのよ」
「更紗……」
「如月……」
泪の事故死現場を目撃してからまだそう日が経っていないのに今度は親友が自殺したのだから、精神的にちょっとオカシクなってしまったのではないかと、綾も先生たちも心配になってオロオロし始めてしまった。
ところが、更紗は正気だし、落ち込みよりも怒りの方が強くなっていたので、普段以上にしっかりとした表情だった。
みんなの心配を一身に受けながら、更紗は言った。
「トレーシング・ペーパーって、滅多に使わない紙だと思いませんか? 普通の人が常備してるとは考えにくい気がします」
確かに……、と先生たちもそれには頷いた。
「ご存じだと思いますけれど、里子ってとても几帳面な性格なんです。いつもきちんと予定を書き込んだ手帳を持ち歩いているし、授業中にまわす手紙用に、楽に破けるらくがき帳まで持ち歩いてるんですから」
それは感心せんなぁ~、と言いたげな教師の鑑のような学年主任が渋い表情を見せたが、口は挟まなかった。
「もし、本当に遺書を残して自殺をしようと思ったなら、里子(りこ)はきちんとした便箋と封筒を使うんじゃないかと思います」
「……そうね。里子なら、その方が自然ね」
「それに、里子ほど生真面目な性格の人間が、自責の念に駆られながら、泪が死んだ翌日から一日も休まずに平然と登校して、学校生活を送れると思いますか?」
「けど、あの事件の後から、粟生田(あおうだ)はめっきり元気がなくなったじゃないか」
更紗が里子の自殺を認めず、感情を暴走させて第二の雫になられては困ると、担任は慎重に冷静に更紗の言葉に反応する。
「それは微妙に違います」
更紗は真実を話すべきかどうか、迷った。
綾も、はらはらしながら更紗を見守っている。
(里子……どうしよう?)
思いが届くわけないのに、更紗は無意識で里子に尋ねていた。すると、直後に、更紗は室内に新しい気配を感じた。どういうことかと思って室内を見回したら、入り口に、沈痛な面持ちの里子が佇んでいた。
「―――っ!」
息を飲んだ更紗の動きにピンと来た綾が、同じ様に入り口を見た。
「……」
綾にも、里子の姿が見えたらしい。
綾は、俯いて涙を必死に堪え始めた。
(里子……)
更紗は先生たちに不審がられないよう視線の隅で里子を捕らえながら、ココロの中で里子に声をかけてみた。
(イイヨ……)
里子(りこ)がうまく声を出せないのか更紗(さらさ)の感度が鈍いのかわからないが、かろうじて一言が聞き取れた。
(ありがとう……。ごめんね……)
更紗は複雑な気持ちで礼を言い、先を続けた。
「里子の元気がなくなったのは、墓地清掃の日からです」
「墓地清掃の日から……?」
「他言無用をお願いしますが、中3になった直後から、里子と勝見隆はつきあってます」
えっ? と担任は目を丸くした。
「だけど、公にはしていません。二人の関係をきちんと知っているのは、あたしと綾と長谷川辰哉だけです。なぜ秘密にしているかは……わかりますよね? 先生」
「……勝見が異様にモテるからだろ?」
「その通りです。女子は時にすごく陰険なコトしますから、そんな不毛なことに関わりたくない里子と関わらせたくない隆が、自分たちのことを秘密にすると決めたんです」
「……」
「あの墓地清掃の日に隆が泪を介抱したのをきっかけに、隆と泪の仲が急接近しました。里子は、それを憂いてへこんでいたんです。へこんでいた矢先に泪があんな死に方をし、隆は計り知れないショックを受けました。里子は隆にかける言葉が見つからなくて、ますますへこみました。泪を亡くしたショックで落ち込んでいる雫は、墓地清掃の日から一緒に泪を気にかけていた隆に支えてもらうことで立ち直ろうとしていたんですが、それを見て、また里子はへこみました。以上が、里子のへこみ過程です」
「……。そう……だったのか」
担任は胸中複雑な顔になった。
「泪は、自殺か事故死です。泪の死亡時刻の里子のアリバイはしっかりと証明されています。だから、里子が泪を殺したと自責の念に駆られるわけがないです」
「……」
「それに、たいして仲も良くなければ悪くもない、いちクラスメイトでしかない浅山さんを、一体、どんな理由で里子は殺害したというんですか? そりゃ、あたしだって、里子の全てを知ってるわけじゃないですけど、もし、里子が誰かを殺すとすれば、浅山さんじゃなくて、雫の方が現実性あると思いませんか? 彼氏とべったりなんですから、嫉妬の塊になると思うんですけど……」
言いながら、更紗(さらさ)は「あれ?」と思った。
何が「あれ?」なのかはっきりしなかったが、とにかく、「あれ?」とひっかかりを覚えたのだ。
「それに……」
更紗は、綾と担任と学年主任をじっくりと見回した。
「不思議に思いませんでしたか?」
「何をだ?」
「里子の自殺の仕方です」
「?」
「屋上や最上階の5階の自分の教室から飛び降りたならわかりますけど、ごくごく普通の階段から転げ落ちることで自殺するのって、難しくありませんか? だったら、ドアノブに紐かけて首吊りする方が確実ですよ?」
「――っ!」
「よほどの勢いがないと、階段から転げ落ちても死なないと思うんですけど……」
「……」
綾たち三人は驚きながらも、頷いていた。
「遺書があるから自殺だと思い込んでしまうのもわかりますけど、この遺書オカシイし、自殺の仕方もオカシイです。警察の方が見えたら、きちんとこの事を説明してください。英語に自信がないなら、あたしも綾も立ち会いますから。ね? 綾」
「もちろん!」
里子は自殺したんじゃない、と確信が持てた綾は、先生たちの手前、口に出さなかったが、こんな遺書を作ったヤツを、里子を殺したヤツを絶対に見つけ出してやると固く心に誓いながら入り口に佇む里子を見ていた。
更紗が里子にさりげなく視線を向けると、里子が沈痛な面持ちのままでそっと手招きをしていた。
(……里子?)
(キテ……。アブナイ……。エム……。……ルイ……)
(? ……わかった)
更紗(さらさ)が頷くと、里子(りこ)はゆっくりと踵を返した。そのまま、扉の中へと消えて行った。置いていかれるわけにはいかないので、更紗は慌てて言った。
「すみません。ちょっと一人になりたいんで、……保健室で休んでいいですか?」
「あ、あぁ……。構わないが……」
「じゃ、失礼します……」
更紗が軽く会釈して進路指導室から出て行こうとした時、綾が思い出したように言った。
「そうそう更紗! アタシの鞄の中に、忘れて行った手帳が入ってるから、引き取っておいてね」
(忘れて行った手帳? 誰が? ――あ!)
里子の?と思い当たった更紗に、綾は笑顔で頷いた。
「……ありがとう」
更紗はお礼を行って進路指導室を後にした。
4
里子は、気持ち宙に浮いていた。
だから、移動が早い。更紗を手招きしただけあって、ちらちら後ろを振り向きながら多少は速度を緩めているみたいだが、それでも、更紗は小走りでないと追いつけなかった。
本当なら、更紗は教室に寄って、綾の鞄から手帳を受け取ってから里子の後について行きたかったのだが、里子はそれを許してくれなかった。
里子が向かっているのは、裏門の方だった。
自分や浅山雅代が死んでいた場所に何かあるのだろうかと不思議に思ってついて行っている更紗だが、里子はその場所を通過した。通過して、校舎裏へと回った。校舎裏にはちょっとした植え込みと道路との境を意味する柵しかない。
(里子……?)
里子が何処へ連れて行きたいのかさっぱり見当がつかずに不安になって来た更紗だったが、短い悲鳴を耳にして駆け出した。悲鳴が上がったのは、……職員の駐車場からだった。
(そっか! 駐車場があった!)
更紗(さらさ)が全速力で職員の駐車場へ駆け込むと、絵夢がしりもちをついていたのが真っ先に目に入った。
「……絵夢? 何やって、んの……?」
言いながら更紗は駐車場が異様な空気に包まれているのを感じて顔をあげ、息を飲んだ。
その光景を目の当たりにした更紗は、怯んだ。怯んで、後ずさった。もしも更紗が霊感などない、幽霊にも遭遇したことなどない普通の人間だったら、腰を抜かして失禁もして気絶していたことだろう。それくらい、この駐車場は俄かには信じがたい阿鼻叫喚な場になっていた……。
【ひぃぃぃっ――!】
校内ではおとなしく更紗のココロの奥底にて気配を消して待機している雪子(せつこ)が、弾かれたように起き上がり、恐怖に引き攣れた叫びを発してがたがた震え出した。
雪子の気配が表立った瞬間、この場のいるモノの殺意というか敵意が一斉に雪子へと向いた。
ヤバイ! と更紗は身構えた。
(雪子サン、大丈夫だから、そこでじっと隠れていてください!)
【……】
雪子は返事も反応もせずに、慌てて再び気配を殺した。
「……粟生田(あおうだ)……さん? どう……して?」
絵夢の驚いた声に我に返った更紗は、絵夢へと視線を移した。
絵夢は、更紗の傍らに佇む里子(りこ)に仰天していた。
絵夢の反応を見て、更紗と絵夢以外の生徒にはまだ里子の死が知らされていない
ことを更紗(さらさ)は理解した。
(そういえば、そろそろ朝休みが終わる頃だもんね……)
更紗はなんともいえない表情になった。
「里子(りこ)は……見ての通りよ」
「どうして……?」
絵夢も激しい衝撃を受けていた。当然だろう。
「詳しくは、後。それより、コレこそどういうこと?」
「見ての通りよ。如月さん、あなた使えないんだから、絵夢の邪魔しないでよね!」
絵夢はぴしゃりと言ってから、再び駐車場の中の異様な空間へと突進して行った。
「……」
更紗は、どうしたらいいかわからなかった。
絵夢は、辰哉と対峙していた。
恐怖と苦痛に耐えている表情の辰哉は、取り乱さないよう懸命だった。馬鹿みたいに仁王立ちなのは、金縛りにでも遭って動けないからだろう。
辰哉の傍らには、血まみれのドレス姿で鬼の形相をした泪がいた。殺気と憎悪の塊で、辰哉を攻撃したくてたまらない感じだが、何故か、睨みつけているだけで動かない。こちらも、動けないみたいだ。
泪より少し離れた所に、きょとんとしながらも所在無げな浅山雅代が立っていた。
なぜ自分がこんな所にいるのか、今、何が起こっているのか、自分の身に何があったのか……すべてが理解不能といった感じだ。おそらく、自分が死んだことさえ認識していないだろう。
そして、その三人を取り巻くかのようにうようよしている、日本人女性たちと低級霊とういうか魑魅魍魎たち……。
更紗は、それらに魂消たのだ。
続いて、何がきっかけでこんな場所に集結してしまったのか理解に苦しむ日本人女性たちに、魂消た。なぜ、一目で日本人女性だとわかるかといえば、全員、思い思いのきものを着て日本髪を結っているからだ。
彼女たちは総じて痩せており、その痩せ方は栄養不良によるものだと推測できる。全員が恨めしい表情をしており、何かしらの怨みを晴らしたい一心で暴れ出そうとしていた。
……彼女たちは、日本人墓地公園にてこの世に留まり続けているからゆきさんだった。
泪が辰哉に憑こうとして憑けないでいるのは知っていたが、何がどうなったらこんな無茶苦茶な組み合わせが勢揃いするのか、更紗(さらさ)には思い当たらなかった。
(……ルイ)
「え?」
更紗の背後に隠れるようにしている里子(りこ)が、今にも消え入りそうな声で必死に伝えようとしてきた。
(……ニクイカラ。ドウシテモ、コロシテヤリタイ、カラ……。コイジ、……ジャマ、サレタ、カラ……。タダ……スキナダケ、ダッタノニ……。――ッ!)
里子が、声にならない悲鳴を上げた。
必死に抵抗するものの、里子は何かに強引に引っ張られるようにして浅山雅代の隣へ移動してしまった。助けを求める表情の里子に、更紗は考えるよりも先に一歩踏み出した。
「動かないで!」
絵夢に制され、更紗はびくっとして止まった。
「こうなったら、先に雑魚を退治してやるんだから!」
睨み合いながら互いの出方を探っていた絵夢は、原型を留めているんだか留めていないんだかよくわからないグロテスクな魑魅魍魎に向かって九字を切った。
魑魅魍魎の何割かは霧散したが、全部ではない。攻撃された魑魅魍魎が怒りの波動を撒き散らし、咆哮しながら絵夢へと反撃する。絵夢はなんとか持ちこたえつつ、負けずと呪を唱えながら攻撃を繰り返す。
(絵夢、すごい……。ミーハーな霊感少女じゃなかったんだ……。――って、感心してる場合じゃないか)
絵夢の攻撃に魑魅魍魎の数は徐々に減っていき、それに合わせて、からゆきさんたちの怒りが増してきていた。
泪はずっと辰哉の隙を伺っており、辰哉と睨み合いをしている。
(長谷川辰哉に動きが出ない限り、泪もあのままだということ前提で……)
更紗は憮然とした表情でからゆきさんたちを見た。彼女たちが絵夢に襲い掛かるのは時間の問題だった。
(人が長い年月かけてココロを慰めてきたっていうのに……! やっと最近、穏やかな心境になって、己を顧みれるようになってきてたのにぃ~! これじゃ、元の木阿弥じゃん! 誰よ! 人の積み重ねをおじゃんにしたのは! もう!)
手短に嘆くだけ嘆いた後、即座に気持ちを切り替えた更紗は、心を込めて静かに歌いだした。
更紗の歌声に、我を忘れて暴走しかけていたからゆきさんたちの動きが止まった。
ゆっくりと歌のでどころを探し始め、時間差はあったが、ほぼ全員が更紗の姿を見
つけ出した。
更紗は、願いを込めて歌う。
別に過去を忘れてしまわなくていい。過去をしっかりと受け止めながら、次へ……明るい……陽の当たる所へ……往ってください。
からゆきさんたちは次第に更紗の歌声に魅了され、日本人墓地公園にいるの時のように穏やかな表情と波動になってきた。
その傍らで、絵夢は魑魅魍魎を全部散らし終えていた。
「如月さん、ありがと! からゆきさんたちの足止めはまかせた! ちょっと手こずるかもだけど、泪たち三人を先に退治しちゃうから、もう少し足止めお願いね!」
足止め? 退治?
その言葉に嫌悪を覚えた更紗は顔をしかめた。
「ちょっと絵夢……」
「……いいかげんにしろよなぁ~、磯野ぉ!」
腹の底から声を出し、辰哉が怒り心頭なまざしで絵夢を見た。
仁王立ちのまま視線を動かしただけだから、身体はまだ自由にならないのだろう。
「長谷川辰哉! 多少は楽になったの?」
「おう! タマゴ女がそのからゆきさんたちの意識の矛先変えてくれたのと、磯野が魑魅魍魎を追っ払ってくれたんで、声は出るようになった。身体はまだ全然動かねーけど」
「泪の影響?」
「……みたいだぜ」
辰哉は疲れた表情になりながらも、絵夢(えむ)を睨んでいた。
「磯野てめえ、オレに嘘つくとはいい根性してんじゃねーか! そんなにオレが嫌いか?」
「ごめんなさいっ! 嘘ついて呼び出したことは、謝る! けど、それは、辰哉くんが嫌いだからじゃないよ! 辰哉くんを助けたかったんだって! 泪から!」
絵夢は必死になって弁解する。
「辰哉くんだって、もう、限界だったでしょ? 泪は泪で、一人じゃどうすることもできないからって、ヘンなモノたくさん呼び込んじゃってたしぃ、おばばもおばばでいつ日本人学校に来てくれるかわかんない状況だから、絵夢がなんとかしようと思っただけじゃん! どうしてそんなに怒るのよぅ」
「てめぇっ! 人の話はちゃんと聞けって言ってんだろっ?」
「え?」
「なんでオマエはそうなんでもかんでも『退治』しようとするんだよ! さっきの魑魅魍魎みたいなのならわかるけど、死んじまっても泪は泪だろ? こっちも何故か命懸けでかなり迷惑してっけどさ、これだけオレに執着してるってことは、オレに何か言いたいことがあるからじゃねーの? オマエ、通訳できねーの?」
「……」
絵夢はムッとした。
「辰哉くん、勝手すぎる」
「あ? なんだよ? それ」
「霊の言いたいことを通訳できないかだって? できるよ! できない時もあるけど。絵夢だって最初は、霊たちの心残りをきちんと伝えてあげようと思った。撫子さんの気持ちも、辰哉くんに伝えてあげようと思った。辰哉くんの場合は、絶対に伝えなきゃダメだと思った」
「……」
「けど、辰哉くんに言われた。『別にオマエのこと疑ってるわけじゃねーけど、こっちは姿さえ視えねーんだ。そんな状況で何言われても、素直に信じられんねーよ。逆に、哀れまれてんのかとムカつく』……って」
「……確かに、そんなようなこと、言った」
「言われて、絵夢は目から鱗が落ちた。こっちは善意で霊の心残りを伝えようとしたって、霊の姿が視えない人には信じられないの想像できるし、失礼なだけだって。心残りがあろうとなかろうと、やっぱ死んじゃったらいつまでもこっちの世界に居ちゃいけないんだって。そう思うから、多少は強引でも、おばばのやり方には賛成なの。だから――」
キッ、と絵夢は泪を睨みつけながら一文字に宙を切った。
「あっ!」
完全に不意を突いた絵夢の攻撃だったが、同じくらい不意に雪子(せつこ)がその姿を現して絵夢の攻撃をその身に受けた。
「え?」
「雪子サン!」
思わず、更紗は小声で歌い続けていたのを中断してしまった。途端に、からゆきさんたちが元の凶暴な表情を取り戻して動き出そうとした。
【更紗、続けて!】
「あ、はい!」
慌てて更紗が歌い始めると、からゆきさんたちの表情は再び穏やかなものに変わった。
【大丈夫ですわ。更紗。わたくしのことは心配なさらずに、歌い続けて】
更紗は頷いた。
絵夢の攻撃を喰らって膝をついた雪子だったが、ゆっくりと立ち上がって、泪と絵夢の間に立った。
【!】
「な……。如月さん……コレ、なに? どういう……こと?」
「タ、タマゴ……女?」
雪子は立ち上がり、しゃんと背筋を伸ばして言った。
【はじめまして。わたくし、更紗の先祖の如月雪子(せつこ)と申します】
【!】
「如月さんのご先祖……」
「タマゴ女の先祖?」
こっちを見た絵夢と辰哉に、更紗は歌いながらしっかりと頷いた。
【絵夢さんのおっしゃることは一理あると思いますが、違った見解もあることを知って頂きたくて、出て参りました】
「あ……はい」
絵夢はかしこまって姿勢を正した。
【……自然の理(ことわり)に反していつまでもこちらの世界に留まっていることは……許されることではありませんわ。だけど、留まっている者たちの大半は、成仏したくてたまりませんの。ただ……成仏の仕方がわからないだけで。更紗は、わたくしを含む、そういう者たちが自然と成仏できるように手助けしてくれてます。絵夢さんやあの方にもそれぞれやり方がありましょうからそれはそれで構いませんが、今後は、悪さをする霊とは区別してくださいな】
「あ、はい……」
神妙な絵夢に、雪子は優しく笑いかけた。
【ありがとう。そのお礼といってはなんですが、わたくしがこの方々を……引き受けましょう】
「え……?」
【里子(りこ)さん以外の更紗のお友達はちょっと大変そうだけど、他は、苦楽を共にした同胞ですから、さほど苦労はしないで説得できますわ】
さぁ……、と雪子(せつこ)がからゆきさんたちを手招きしたら、からゆきさんたちの意識が更紗から離れた。身軽になった更紗は、慌てて雪子を呼び止めた。
「待ってください! 雪子サン! 今、成仏しちゃったら、雪子サンのままでは探してる恋人さん……二葉亭四迷と永遠に逢えなくなっちゃうじゃないですか! それにまだ、あの長谷川父子(おやこ)の調査も終わってないですよ!」
「オレらの調査ってなんだよ……?」
すかさず辰哉が突っ込んだが、必死になっている更紗の耳には届いていなかった。
【もう……いいのよ、更紗。そこの少年……、今、明るいところで対面してわかりましたけど、あの方の面影はないわ……。なんとなく 空気があの方と似ているような気がしないでもないんだけれど、もし、その感覚が間違っていなければ、この少年はあの方の生まれ変わりかもしれない……。同じ長谷川姓ですし……】
「同じ長谷川姓? え? 苗字……本名、二葉亭……じゃなかったでしたっけ? 名前の方は、父親が「くたばってしまえ!」って言ったのをもじって「四迷」にしたってのを……聞きましたけど……あれ? 長谷川姓?」
あれれ?と更紗は、シンガポールの墓地公園と言えば……というくらい有名な碑の主である『二葉亭四迷』についての知識を必死で手繰り寄せた。
そこへ――。
『……【くたばってしまえ】! を全部もじって、二葉亭四迷という筆名にしたんだよ』
「……え?」
【!】
雪子は弾かれたように振り返って辰哉を見た。
思わず目を見開き、口許に手を当て、全身で驚いている。
辰哉の傍らには、渋い中年男性が佇んでいた。
『久しぶりだな……せつ』
『辰之助さま……』
雪子は、はらはらと涙をこぼした。
しばし見つめあった後、雪子(せつこ)は、辰哉が『おっさん』と呼んでいた明治の小説家兼翻訳家だった二葉亭四迷、本名・長谷川辰之助の元へと駆け寄り、ふたりはしっかりと抱き合った。
(幽霊同士だと、抱き合えるんだ……)
更紗と辰哉は、申し合わせたわけでもないのに、同じことを思って感心していた。
長い長い時を経ての再会を果たした雪子と二葉亭四迷は、しばらくの間、言葉もなく抱き合っていた。
「な……なんなの?」
当然の疑問を、絵夢が口にした。
更紗と辰哉は互いを怪訝なまなざしで見ていたが、更紗が先に口を開いた。
「だから、雪子サンはあたしのご先祖様の元・からゆきさんで、国際の時間にも習った、二葉亭四迷の……現地妻……もとい、内縁の妻……いや、えっと、そう、事実上の奥様だったの。二葉亭四迷が仕事で海外を渡り歩き、インド洋上で病死し、骨は日本に帰ったけど碑だけが日本人墓地公園にあること、習ったでしょ。二葉亭四迷は雪子サンを日本に連れて帰ろうとしてた矢先に死んじゃったけど、ちょうど妊娠してた雪子サンは、彼の子供を産んで育てたの。男女の双子で、息子の方はある程度大きくなったら、二葉亭四迷の実家へと養子にいったわ。娘は母である雪子さんと一緒に代々の墓守としてこの地に残り、あたしがその末裔ってわけ」
「……そ……んなの、国際の時間でやらなかったじゃない……」
「そりゃそうよ。二葉亭四迷は明治の文豪。それだけでいいじゃない。なんで彼の私生活まで詳しく広めなきゃなんないのよ? みんな、ご先祖様の詳しい生涯なんて知らないでしょう? それと一緒で、歴史上の人物の私生活なんて謎に包まれたままでいいのよ。だから、二葉亭四迷と雪子サンのことも、ホントは誰も知らなくていいの」
「……そっかぁ~」
絵夢は素直に納得していたが――
「おいコラ!ちょっと待てよ!」
仁王立ちのままの辰哉が、ひきつった表情で更紗を見ている。
「――ってことはなんだよ? おっさんの末裔のオレとその雪子サンの末裔のタマゴ女は……、血縁関係にある……ってことかよっ?」
「あ……」
それには更紗(さらさ)も驚いて、すぐには言葉が出てこなかった。
「うっそぉ~? 辰哉くんと如月さんが、親戚ぃ~? ……ということは、絵夢とも、遠縁?」
絵夢も複雑な表情で更紗と辰哉を見ている。
明かされた事実に、三人は固まってしまった。
【では更紗、お別れの時間です】
晴れ晴れと顔つきで二葉亭四迷の傍らに立つ雪子(せつこ)が、少しだけ翳りを見せながら言った。
【ここに居る者は皆、遠い異国の地で出会い、恋をし、図らずも愛しい人との別れを余儀なくされた哀しい女たちです。生前は、わたくしもそうでしたわ。やっと運命の方と巡り合えたというのに、死に目にも会えなかったことが悲しくて悲しくて……もう一度、辰之助様に逢いたいとばかり思いつめ、輪廻転生の輪から外れました。永い永い時間を日本人墓地公園で過ごしておりましたが、更紗と更紗の歌に出会って、徐々にココロが癒されてきました。それは、ここにいるからゆきさんたちも同じです。残念ながら更紗のお友達三人は、非業の死を遂げ、悪霊になった者と悪霊になりかねない者になってしまいましたが、今なら、わたくしたちで然るべきところへ連れて行くことが可能です。問答無用で送り返されても文句は言えない状態ですが、それはとても忍びないので、わたくしたちが責任を持ってお連れします】
「雪子サン……」
【更紗、短い間でしたが、どうもありがとう。とても楽しかったわ】
「雪子……サン……」
【ぼうず、楽しかったぞ。礼を言う】
「おっさん……」
【またいつか、どこかでお会いしましょう】
【達者でな、……辰哉】
「おっさん!」
雪子(せつこ)と二葉亭四迷はそれぞれの末裔を愛しそうに見つめながら、からゆきさんたちを従え、ゆっくりと天に昇って行った。
抵抗する泪はからゆきさんたちに囲まれ、動きを封じられて連行されるような形で移動し、浅山雅代はきょとんとしながらついて行っている。里子(りこ)は最後尾だったが、昇る直前に更紗のところへやってきた。
(クヤシイ……)
里子は更紗を責めているわけではなく、素直な気持ちを最期に伝えたかったらしい。
その気持ちをしっかりと受け取った更紗も、こんな事になってしまったのが悔しくて悔しくて……悔し泣きをしてしまった。
(里子、絶対に、里子を殺した人間、見つけ出すから。逃がさないから。一生をかけて後悔させてやるし、罪を償わせてやるからね!)
里子は寂しそうに微笑んだ。
そのまま、天に昇るみんなの後を追った。
遅れを取り戻した里子は、肩越しにちらりと校舎を振り返った。
(タカシ……)
「!」
声にならない里子の声を、更紗は聞いた気がして……更に悲しくなった。
「そういうことだったのかい。更紗に男儿(男子生徒)」
更紗がぽろぽろと悔し泣きをしていると、どこからともなくババアの声がした。
「おばば! どうしたんですかっ?」
絵夢が驚きながらおばばへと駆け寄った。
辰哉は、泪の姿が見えなくなった瞬間に金縛りが解け、その反動でその場にへたり込んでいた。
「いつものように、お祓いを頼まれて来たんだよ」
「あ、そっかぁ~」
ババアは、更紗と辰哉にあたたかいまなざしを向けながら言った。
「一部始終を、見せてもらったよ。いいものを見せてもらった。我本人(私自身)、この世界に長く携わっているが、まだまだ計り知れない事が沢山あると再確認し、初志(初心)に戻れた。謝天謝地(ありがとう)。だが更紗、注天儿意(気をつけなさい)」
ババアは周囲に気を配りながら、そう言った。
「……是明白了(わかりました)」
更紗も、微かにだが、悪意というか憎悪が漂っているのをずっと感じてたので、素直に頷いた。加えて、いつにないババアの真剣な忠告に、思わず身も引き締まっていた。
「絵夢」
「はい……」
絵夢も背筋を伸ばしてしゃっきとした。
「正式に、弟子になるかい?」
「……はい?」
思いがけない申し出に、絵夢は聞き返していた。
「我流も悪くはないが、絵夢は素質がある。見様見真似より、きちんと学んで理解した方がいい」
「ほ……んとですかぁ?」
絵夢は満面の笑みを浮かべた。
「おばばに迷惑でなければ、ぜひ、弟子入りさせてくださいっ! 絵夢、頑張りますっ!」
「そうか……。じゃあ、早速だが、ついておいで」
「はいっ!」
絵夢は意気揚々とババアの後について行った。
駐車場に残った更紗は、辰哉を見た。
「いつまでへたり込んでるつもり?」
「あぁ? なんでオマエはそういつもえらそーなんだよ?」
「里子の姿、視えてた?」
「シカトかよっ!」
「教室に戻ったら大騒ぎになってるだろうけど、先に、教えておくわ」
「……何をだよ?」
「里子……亡くなったわ」
「……知ってるさ。オレにも視えてたからな」
辰哉もやりきれなさそうな表情になった。
「そう……」
しばし更紗と辰哉は悲しそうに黙りこくってしまった。
「里子(りこ)……自殺に見せかけて……殺されたわ」
「――っ! なんだそれっ? マジかよっ?」
「9割方、間違いないと思う。周囲は浅山さんに続いての自殺だと思ってるだろうけど……」
「なんでタマゴ女は他殺だとほぼ断定してんだよ? なんか証拠でもあンのか?」
「これといった動かぬ証拠はないんだけど、どう考えても不自然なことばかり浮き彫りになるから……」
どう思う? と更紗は進路相談室でのことを辰哉に話した。
「……確かに、不自然なことだらけだな、それじゃ」
辰哉はへたり込んでいた姿勢から胡坐に変え、腕を組みながら考え出した。
「動かぬ証拠っては、ひとつあれば充分だと思うぜ。ひとつしかないから、価値があるモンだし」
「それは、二葉亭辰郎センセイの受け売り?」
更紗は茶化した。
「どうとでも。どーせオマエも同じ見解だろ?」
「ご想像におまかせします」
更紗は微笑し、辰哉と同じ様に考え込んだ。
先に口を開いたのは、辰哉だった。
「まだ、死亡推定時刻とかわかんねーの?」
「どうだろ? そろそろ、情報は入ってきてるんじゃないかな?」
「死亡推定時刻にもよるけど、粟生田(あおうだ)が昨日、誰と最後に会ったかも大事じゃね? そこから何か見えるかもしれねーぜ? ……って、どうせオマエか佐久間だろうけど」
「……違う」
更紗はハッとした。
「え?」
「昨日、校内で里子(りこ)が最後に会った人、あたしでも綾でもない……」
「どういうことだよ?」
「昨日、里子、呼び出し喰らったって言ってたもの」
「呼び出し? 先生か?」
「わかんない。多分そうだと思うけど、そこまで聞かなかった……っ!」
「どうした?」
「手帳!」
「あ?」
「里子の、手帳! なんかわかんないけど、綾が持ってるのよ、今。それ見たら、里子が誰と会う約束をしていたか、わかる!」
「行こう!」
「うん!」
更紗は手を差し伸べて辰哉を起こし、ふたりは教室へと向かった。
5
「隆……くん?」
放課後、下校時刻をとっくに過ぎてそろそろ黄昏時になりそうな頃、呼び出された音楽室にやって来た雫は、にこやかな表情から一転して緊張した隙のない表情と態度になったが、慌てなかった。
雫が音楽室に入った瞬間、物陰に隠れていた辰哉が勢いよく出てきて音楽室の前扉の鍵をかけてその場に立ちはだかった。後ろ扉には、更紗と綾が同じ様にしている。完全に逃走経路は塞がれていた。
雫はゆったりとした足取りで、グランドピアノにもたれている隆のところへやってきた。
「大事な話があるっていうから喜んできたのに、どうしてギャラリーがいるのかしら?」
「大事な話だから、だよ」
「ふ~ん。そう……」
興味なさそうな口ぶりで雫は隆の横を通り過ぎ、窓辺に寄りかかった。ふてぶてしい雰囲気と態度に、更紗たちは少なからず驚いていた。
「で? 大事な話ってなに? やっと私の魅力に気付いた? やっと私とつきあう気になった? そして、帰国受験やめて、一緒に現地校行く気になった?」
「……雫」
隆はゆっくりと首を横に振った。
「なに? 違うの? どれが違う? 全部とか言ったら、隆くんでも殺すよ?」
きゃはは、と雫は楽しそうに笑った。
その笑顔に、隆は気色ばんだ。
「雫……、本当に雫が、里子を殺したのか?」
「そうよ」
雫はあっけらかんと肯定した。
「だから、なに?」
「!」
腸が煮えくり返っている綾が雫の元へ行きかけたので、更紗が必至で止めた。口を
挟まないで見届ける、という約束をして隆に同席させて貰っているからだ。
「……どうして――?」
隆は泣き出したいのを必死で堪えながら、冷静になろうと葛藤していた。
「目障り。邪魔。鬱陶しい。この三拍子が揃ったら、殺しちゃうしかないじゃない?」
雫は楽しそうな笑顔でさらりと言う。
「……」
さも当然といった言動に、隆たちは信じられない思いで驚くしかなかった。
雫は、そのまま楽しそうに話し出した。
「……隆くんがね、去年くらいからずっと粟生田(あおうだ)さんのこと好きなの、知ってたわ」
「……え?」
「当たり前じゃない! どうしてそんなに驚くの? 見てればわかることじゃない! けど、直接隆くんに確かめたわけじゃないから、私の勘違いってこともあると思って、確かめてみたんだ~。隆くんと粟生田さんの直筆を国際のレポートから拝借してお手紙書いて、うちで作ってる飾りと共にそっとプレゼントしてみたの♪」
「!」
「トレーシング・ペーパー……」
思わず、更紗(さらさ)は呟いていた。
「当ったりぃ!」
雫はパチパチと拍手した。
「ふたりとも、なんの違和感も抱かないどころか、嬉しそうにしちゃってさぁ~。つきあってるんだ……って確信しちゃった」
「……」
「そんな現実とは露知らず、泪は隆くんに恋焦がれて大変だったの。それこそ少女漫画みたいに、寝ても冷めても隆くんの事しか考えられず、食事も喉を通らないし、どうして隆くんに好きになって貰えないんだろうって嘆きっぱなしの毎日だったからね。いいかげん鬱陶しくて、だったら告白してすっきりしちゃえば? って進めたの」
ちらり、と雫は隆を見た。
「隆くんがどんな断り方をしたのかは知らないけど、泪の落ち込みようは凄まじくて……」
「……」
隆は辛そうに唇を噛んで俯いた。
「鬱陶しさ倍増」
雫はそう吐き捨てた。
「転勤族の宿命で進路変更を余儀なくされちゃったんだから、潔く諦めればいいのに、隆くんなしの生活なんて考えられないし耐えられないって言うの。それでも、どうしても高校が別になっちゃうのなら、せめて卒業までは傍に居たい……って、カノジョになりたい……って」
「……」
「どれだけ無理だって言っても、聞かないの。聞かないし、どうすれば隆くんが泪に興味を持ってくれるのか、どうすれば卒業しても隆くんが泪のことをずっと覚えていてくれるだろうか……ってずっと悩んでるから、言ったの」
「……」
隆たちはこの上なく緊張して雫を凝視している。なんとなく雫の言うこがを想像できたが、それだけは違って欲しいとせつに願っていた。
「まず絶対に人がしなさそうなことを、隆くんの前で、派手に効果的にやってみせなよ……って。みんなと同じじゃ、記憶になんか残らないよ? って。そしたら、日本人学校生活最後の課外授業の日に、日本人墓地で、勢いよく手首を切ったわ」
あはは! と雫は可笑しそうに笑った。
「泪だって馬鹿じゃないから、隆くんが同情で傍に居てくれることを知ってたわ。最初は同情でも幸せだったけど、段々、欲が出てきたのよ。同情じゃ嫌、って。どうすれば、同情じゃなく隆くんの気持ちを独り占めできるかしら? って泣くから、じゃあ死ねば? って言ったの。隆くんの目の前で死んだら、隆くんは一生泪の事が忘れられなくなるでしょうね……って。自分のせいで人が一人死んだら、一生その事実に縛られて他の女なんて愛せないわよ……って。そしたら泪、目を輝かせて嬉しそうに「それ素敵だわ」って。そして、派手に効果的に死ねる日と場所を探して見つけた……。なのに、最後の最後で失敗して死に損になっちゃった」
笑い続ける雫に、隆はわなわな震えている。
「ど……うして、どうして、そんな事ができるんだよっ? 泪は雫の姉だろ? 双子の姉妹だろ? どうしてそんな事を……」
「言ったでしょ? 目障り。邪魔。鬱陶しい。この三拍子が揃ったら、殺しちゃうしかないじゃない……って」
「雫……」
「雅代は……」
浅山雅代もなのか? と隆たちは凍りつく。
「雅代も隆くんが好きで、片思い同士、泪と話が合って楽しんでたのに、ある日突然彼氏ができちゃったからって、グループを抜けた。それだけなら別に問題なかったんだけど、何をとち狂ったのか、隆くんをきっかけに仲良くなった記念の品を、佐久間さんにあげちゃってた! これって、裏切りよね? 人知れず捨てるならまだしも、第三者にあげちゃうなんて、失礼にもほどがある。それも、秘密を共有する証として作ったものだって言ってあったのによ? 雅代の軽はずみから秘密が漏れるなんて、許せるわけがないじゃない! まぁ、雅代のと粟生田さんのは、鍵穴はあっても開かないよう細工してあるから、いくらでも誤魔化せるんだけどね」
「……」
「私は雅代に文句言ったわ。当然よね? そして、水に流してあげる代わりに、頼みごとをしたの」
「……泪が死んだ日、里子を見たっていう嘘をつかせたのか……?」
「そうよ。だけど、余りも挙動不審だから、嘘がバレるのも時間の問題だと思って、さっさと殺しちゃった♪ 事故死に見せかけて。上手だったでしょ?」
「雫……」
隆は悲痛な面持ちで雫から視線を動かせないでいた。
「ねぇ、なんでそんな表情(かお)するの? なんで、私を責めるようなまなざしなの? 私は悪くないじゃない? 悪いのは、隆くんよ? そんなの、言われなくてもわかってるよね?」
「……」
「けど、どうして、粟生田さんを殺したのが私だってわかったの? 絶対、わからないと思ったのに」
隆は更紗を見た。更紗は頷き、口を開いた。
「雫。あんたは、卒業を目前に、焦って事を急ぎすぎたわ。不謹慎だけど、浅山さんでやめておけばよかったのに……」
「どういうことよ?」
「雫は、里子(りこ)の性格を知らなさすぎた。ちょっと気にして里子を見てればわかることなのに」
更紗は、里子の手帳を見せた。
「里子は、とにかくなんでも手帳にメモするのが趣味な女なの。日記も兼ねてるみたい。だから、昨日の予定には、『雫が、謝罪したいから十七時に北側の階段3階踊り場で待つと言ってきた』って書いてあるわ」
「……!」
初めて、雫の顔に動揺が浮かんだ。
「それとあたし、浅山さんの話が気になって、ホテルに聞き込みに行ったんだ。あの夜、浅山さんは、宿泊している友達のところへ遊びに行った帰りに里子を見たって
言ったでしょ? 誰が宿泊してたんだろう? って思って。そしたら、……泪だった」
「……」
「泪は、わざわざ部屋を取って、そこから飛び降りたのね。あのホテルに屋上はないもの。これらも含めて、気になる事、不自然な事、全部警察に話したわ。裏づけが取れ次第、警察は雫のところへ来る。その前に、英語の苦手な雫に、日本語で話しておこうと思ったの」
「……」
ふん、っと雫は横柄でいて自暴自棄にもとれる態度になった。
「如月さん、長谷川くんと仲がいいもんね。長谷川くんのお父さんとも仲いいもんね。ミステリー作家さんと一緒なら、事件が起こったら嬉々として首突っ込むわよね……」
「親父はは関係ねーよ。これは全部、粟生田(あおうだ)を思うタマゴ女と佐久間が突き止めたことだ」
「そう……。あなたたちの友情が、そこまで厚いとは思ってなかったわ。迂闊だったな……。先に如月さんを殺しちゃえばよかった」
「雫! 気に入らないからって、簡単に人を殺したりするなよ! 殺さなくたって、なんとかなるだろう?」
「なんとかなった? ならなかったでしょ? ならないから、死ぬしかなかったのよ。泪は。死ぬことによってやっと、隆くんの記憶に残れたんだから」
「違う! そんなことしなくても――」
「あ。警察、来た。早いわね~」
パトカーのサイレンが、音楽室にも届き始めていた。
「私、自分のやったことに後悔なんかしてない。すっきりしてる。こんな事件があったら、隆くん、一生私のこと忘れられないでしょ?」
「……」
雫は、笑った。
「隆くん、これ、あげるわ」
そう言って、雫はスカートのポケットから何かを取り出し、透へと投げた。
全員がそっちへ気を取られている隙に、雫は手早く窓を開けて身を翻した。
「!」
――どすっ
耳障りな鈍い音がした。
更紗たちは条件反射で窓辺を駆け寄り、次の瞬間には顔を背けていた。
誰からというわけでもなく、全員、窓を背に座り込んだ。
誰も何も言えない。
何も考えられず、涙も出てこなかった。
なんともいえない虚しさだけが、ぽっかりとあいた心を侵食し始めていた。
音楽室の壁時計の秒針の音が、やけにうるさかった……。
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