第二部・その1


 繁華街を少し外れた路地裏にひっそりと設けられた小さな公園。狭苦しく遊具も所々錆びていて、酒か飲み物の発酵したすえた匂いがどこからか漂っている。

 近所の子供やその家族が集まるほど賑やかではなく、不良や酔っぱらいがたむろするほど荒んでいない。

 時々猫がやって来ては立ち去り、鳩や雀が羽根を休めて虫か何かをついばんで飛び去っていく。

 空はもうだいぶ暗くなってきた。そろそろ帰らないと、いけないだろうか。

 ここは不死兵が出現した時の緊急避難所に指定されていない。それどころか数年前に不死兵が出現した場所らしく、公園の隅に協会のプレートが飾られていた。

 あんたも一緒に死ねばよかったのよ。何かの気の迷いで言った事だと。気の迷いで言った、きっと、本音。

 あのとき。不死兵に。その方がよかったのかも。しかし不死兵の姿を思い起こすだけでも。

 どこへも行けない。ここで猫や鳩を眺めているうちに、なにもかも終わっていないだろうか。

 そう思っている間も、空は刻々と暗くなっていく。このまま暗くなって、このまま真っ暗になって、どこにもいかなくてよくなればいいのに。

 闇がまた一段深くなったところで、公園の街灯が点灯した。その明かりが照らす下に、一人の女子が、立っていた。

 中学生ぐらいにも見えるが、ランドセルを背負っている。自分を見つめる活発そうな顔の後ろで、ポニーテールが揺れていた。

「えーと……長原……アツミ、さん?」

 何も言えず、小さくうなづく。その間に女子は、アツミのそばに近寄っていた。

「学校のANTAMの人が心配してたよ。元気そうじゃなくて、帰りが遅い子がいるって……お父さんが不死兵に殺されたばかりで……って」

 協会や学校から、家に連絡が行っているだろうか。だとしたら、

「わたしが一緒に、謝ってあげるから。……わたしと遊んでたから、帰りが遅くなったって事にしようか」

 いいこと思い付いた、といった感じの笑顔。屈託のなく、自信に満ちた顔だった。

 帰っても、怒られない。ここにいなくていい。そう思うと、

「……うん」

 立ち上がろうとしても、腰が重い。まるで体は、ここから動きたくないと言っているかのよう。

 そんなアツミの手を、強くつかんでひっばる。腰が軽々と、持ち上がる。

「行こう……わたしは、池上ナオ。四年C組。困った事があるなら、何でも言ってよ」



 東京は全国的にも不死兵の出現率が高く、そのため首脳会議やオリンピックの開催も見送られる事が多いのだが、それでも一度不死兵が出現した地域に、連続して出現するケースはほとんどない。少なくとも、数日は。

 朝の通勤ラッシュと入れ違いに、自衛隊の夜間パトロール部隊がそれぞれの基地に帰還していく。

 不死兵の被害が直接あったところを除いて、何事もなかったかのように新しい一日が始まる。

 ナオが詰所に入った時には、かばんが一つ……その脇に、89式のエアソフトガン。ごはんとから揚げのタッパーが空になっている。

 まだ朝の七時前だ。外から聞こえる部活の朝練のかけ声も、まだだるそうに準備運動の段階だ。

 サチは避難所で炊き出しのボランティアに参加しており登校が遅れるとの連絡があった。

 先生からの連絡。「ナオちゃん、ちょうどよかった。ミユちゃんに拳銃を持たせようと思っているんだけど、撃ち方を教えてあげてくれない?」

 ロッカーを開ける。弾倉の入ったチェストリグ、装備ベルト、ゴーグル、無線機、カービン、ジョギリショック。

 ホルスターが型崩れしないように入れていたダミーの拳銃を取り出し、本物の拳銃をしまう。

 グロック17。軍用、警察用拳銃の定番で、少し古い年度のモデルなら安く入手できる。特別な事情がない限り、プラムL小隊の拳銃は、これだ。

 日本では協会が許可しない限り銃をロッカーやガンケースから出せない。持ち歩けない以上、マニアが趣味で所有する以外、拳銃を所持する意味はほとんどない。

 しかし不死兵に近距離で遭遇する確率の非常に高い都市部のACRコマンド、さらに火力が弱かったり取り回しの悪い銃器を使うものであれば、拳銃は必要だ。

 武器庫には不在の看板。ゆっくりしたペースで拳銃を撃つ音が、ナオが射撃場に入る頃にはちょうど止んでいた。

「おはようございます……あっ」

 銃を持ったまま振り返ったミユが、あわてて銃を降ろす。

「拳銃は初めて?」

「はい」的の方を向いて、空の弾倉を取り出す。ホウコから新しい弾倉を受け取り、装填する。

「基本的な撃ち方はだいたい教えたから、慣れるまで見といてあげて。あとホルスターの選択だけど、さっちゃんホルスターでいいんじゃないかしら」

 言いながらホウコは空の弾倉にローダーを装着して弾をこめていく。「あとこれもお願い」

 弾倉に弾をこめ終えると、ホウコは射撃場から出ていった。

 ミユの装備を見る……動きやすく軽い装備がいいという判断だろうか、軽量なチェストリグに装備ベルト。ナオの装備に似ているが装着しているポーチは小さく、数も少ない。

 銃を提げるスリングはまだ正式に決まっていないようで、基部をベルクロで銃床に巻き付けるものだ。

 そしてホルスターは、本体は通常の樹脂製だが、競技用ホルスターの基部を流用して、体から少し浮かせて保持できるようにしてある。

 動きが鈍いサチのために、少しでも抜きやすい位置や角度にできるようホウコが工夫したものだ。

「どう?やってみて」

 銃を構えた状態から、銃を降ろし、拳銃に手をかけ、ホルスターから抜いて、構えて、撃つ。

 基本的な事は、ホウコが一通り教えたようだ。動きがぎこちないが、初めて拳銃を持って百発も撃っていないにしては、よく撃てている、

「ふん……抜き差しの時、銃を見ちゃうのはなんとかしたいね。慣れないうちは、その方がいいんだけど」

 ナオが前に出る。銃を構えた状態から、グリップから手を離してヒラヒラとはためかせる。

「相手や周囲の状況から、目を離さない。銃の場所は体で覚えておく。わたしの場合は」

 ナオの手がスカートをまくり上げると、その下に、足に直接巻きつけたホルスターがあった。

 ミユにもわかるように、ゆっくりと、足を撫でるように拳銃を探り当て、グリップに手を回す。

 拳銃をつかんで、抜く。スカートの裾が銃に引っかかって、

 ひゅっ。

 ミユの目の前で何かチラチラと動く。見るとナオが、いつの間にか左手でナイフを抜いてミユの顔に突きつけていた、

「そりゃ確かに見ろって言ったけどさ」

 少し呆れた顔をしながらナオはナイフをしまったが、どこにどうやってしまったのかミユには見えなかった。

「ハルタカのレポートを読んだよ。突進してくる重装不死兵の眉間を撃ち抜いたのは、その集中力の賜物ってわけだね」

「だって、その……恥ずかしくないですか?そんな」

「わたしのパンツを見た不死兵は、首を切られてそのうち死ぬからいいんだよ」

 言いながらナオは、からかうようにスカートの裾をヒラヒラさせる。

「まぁ不死兵は色気より食い気だけどね。……真面目な話をすると、隠しているものが見えそうだと、人はつい見てしまうからね。一瞬でも視線を逸らせれば」

 スカートが大きくはためく。ナオの左手は、制服の脇に差し込まれていた。縫い目のところから、手を入れられるように改造してある……そこからナイフを抜いていた。

 ミユの腹に何かが触れた。見るとナオの右手に握られたナイフ……逆向きに持って、柄の方をミユの腹に押しつけていた。

「これが、わたしのやり方。今後わたしやハルタカと組んで攻撃チームに入るはずだから、覚えといて」

 ナオがナイフをしまうところを見ている間に、銃声が聞こえた。

 ナオはミユの顔をずっと見ていた……しかしターゲット用紙の頭の中央、ミユのものではない弾痕がきれいに開けられていた。

「目を動かさずに、視界の端に意識を集中させて狙いをつける……これもわたしの、手品の仕掛けの一つ」

 ミユを見ているようで、ターゲットを見ている。心なしかそれを、不満に思っている自分に気付く。

「見ていないように見えても、ちゃんと見ているから、心配しないでってこと」

 ミユを見ながら、親指でスカートの裾を引き上げて、ホルスターを探り当てる。開口部に銃口をあてがい、スムーズに挿入する。

 ホルスターを吊るすストラップは、スカートの中を通って腰のベルトに繋がっていた。邪魔にならないが、さすがにこれは。

「まずはミユは、慣れるところからだね。今はスピードはともかく、正確に。ギクシャクするようなら、ゆっくりやって」

 銃を構えた状態から、ホルスターに手をやる。見ながらやっているのに、手の動きはぎこちなく、迷っている。

 拳銃を握るのも、正確なグリップ、引き金に指をかけないよう、握りを確かめて、恐る恐るだ。

 ふとナオの方を見ると、ミユを見ながらニヤニヤ笑っていた。からかい半分の眼差しがミユに向けられていることに、少し気分が悪かったが、心地よかった。



 近所の公園を10周。それが朝練のノルマだとナオは言っていたが、一周もしないうちに息が切れ、足も痛くなる。

 残りをとぼとぼ歩いている横を、ナオは何度も通り過ぎていく。頑張れ頑張れと声をかけて。

 手を振り、足はリズミカルに地面を蹴って、ポニーテールを揺らしながら。

 二回、三回。二周遅れ、三周遅れ。

 息が苦しい。喉が乾いた。何か、ジュースでも買って飲もう。お金なら、ある。朝食代としてもらっている。

 ナオの朝練につきあうと言ったら、ポンと渡してくれた。朝食を作るより、その方がいいのだ。

 食卓について、怒られないよう機嫌をうかがって、待っていなくていい。ただ、走っていれば。

「アツミー、ファイト。もうすぐ二周目だよ、昨日より頑張ったじゃん。最後まで頑張ろう。待ってるからさ」

 自分の近くで少しだけペースを落として話しかけると、もうその目は何十メートルも先のゴールを見据えて、ラストスパートを勢いよく駆けていった。

 アツミを置いて。

 だけど。

 公園の入口の、どこがスタートでどこがゴールかは決まっていない。ともかく、たどり着いた。

 近くにマットを敷いて、そこで柔軟体操をしている。汗ばんだ脚を伸ばして、覆い被さるように伸ばした体に、薄手のシャツが汗で張り付いていた。

 揺れるポニーテール。流れる汗。その合間に、座り込んだアツミを視界にとらえて、満足そうに笑っていた。

 待って、くれている。

「親の許可がないと、ANTAMとして銃を使った訓練は、中学に入るまではダメなんだって。だけどさ……それまでに取れる技能を取っておいて、素質ややる気があるってなったら、特待生として訓練を受けられるかもよ」

 腕や肩を伸ばす。腰をひねる。筋肉が無理なく伸ばされ、それがしなやかな曲線をナオの体に描いていく。

 息苦しく、体が熱いのか少しずつ収まってきて、汗を冷たく感じるようになった。その頃には、ナオも柔軟体操を終えてマットを畳んでいた。

「汗かいたねー。まだちょっと時間あるからさ、うちでシャワー浴びていこ。朝ごはんもまだなんだっけ」

 荷物をまとめたナオが、歩み寄る。手を、差し出す。

 立って、ついていけば、シャワー。ごはん。ナオと。びくびくしながら登校の時間を待たなくて、いい。

 伸ばした手をナオがつかんだ。しっかりとアツミの手を握ったその手は、熱かった。


 ガタガタと周囲の音。チャイムが鳴っている。周囲の生徒が立ち上がる気配。あわてて立ち上がる。礼。頭を下げる。

「六郷さん」教師が呼びかける。

「昨日、大変だったのは聞いてるけど……居眠りはほどほどにな


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