第一部・その3
「……改めて聞くけど、あの時何を思ったの?何がいつもと違った?魔法の国くらいの事じゃバカにしないからさ、言ってみてよ」
思ったままをさ。ナオの言葉にポンと背中を叩かれ、胸につかえていたものがぽろりと取れたようにミユは感じた。
何も考えずに口に出たのは、
「……七年、八年前ですか。小学三年生の夏休みに、仕事をしている父を残して、母と妹、私の三人で遊園地に行ったんです」
ここまで勢いで言ってしまったような気がして、言葉と一緒にミユの足も止まる。
考えている間足が止まっていることに気づいて、ふと前を向く……ナオも合わせて足を止め、話している時と変わらない距離で待っていた。
ナオは振り返ったわけではないが、ミユの視線に気付いたかのように足を踏み出した。
促すように。しかし、小さく。
「小さい遊園地だったみたいで、その時以来廃墟になって、今見ると、……だけど、キラキラしていて、うるさかった印象が、ありました」
ナオが数歩足を進めたところで、ミユは一足飛びに距離を詰める。そこから小さく、一歩、二歩。
ナオは一瞬後ろを見て、歩幅を合わせて歩き出す。
「いついつに行こうって感じではなくて、ふっと思い付いて行ったみたいな感じで……父には内緒で、と。それが不思議にワクワクしたのを覚えています」
一歩、二歩。ナオの足の振りは普通に歩いている時と変わらないが、軽く空振りして、ミユの歩幅に近い間隔に足を下ろしている。
「妹がまだ小さくて、乗れるものもあまりなくて……遊具コーナーみたいなところにいると、突然サイレンが鳴り出して、職員の方がやって来て避難誘導を始めました」
今思うと、警報が鳴ってからの反応が早く、優秀な職員だったのだなと。思わず口に出る。
「よくはわからないけど、今日は遊園地はおしまいなのかなって……そうしたら、職員や回りの人たちがバタバタと倒れていって、……その時初めて見ました。不死兵を」
大柄な軍服姿に、略奪品をジャラジャラと下げている。血まみれで、銃を持っている。
見るからに恐ろしい。お化け屋敷のおばけとは、まったく違う。
「たぶんその時、母は撃たれて負傷していたのかもしれません。とにかく母は、私たちを連れてトイレに逃げ込みました」
足が止まりそうになる。ナオの歩調がミユに合わせて、小さくゆっくりしたものになる。……一歩、二歩。
「すぐに不死兵が追い付いて……妹を個室に入れて、私を用具入れに。ドアを閉める前に、母は不死兵に捕まりました」
ドアが閉まる前に。だから、私は見たんです。
不死兵が母の首に銃剣を突き立て、一直線に引き切る。ホースの水漏れのように、血が噴き出す。
「その瞬間、おかあさんがまな板の上の魚のように見えたんです」
傷口に顔を突っ込んで、貪るように血をすする不死兵。こぼれた血が足元に大きな血だまりを作る。
不死兵が顔を離したかと思ったら、首の肉を食いちぎっていた。そこからあふれる血はもうわずかで、弱々しい拍動に合わせて波打つように流れ出していた。
不死兵が母を押さえる力を緩めると、母の体は力なくずり下がる。
それで終わりではなかった。
不死兵が母の顔に銃剣を突き立て、体重をかけてその上にのし掛かった。
顔は見えなかったが、力なく垂れ下がっていた母の手足が、痙攣するようにバタバタ動いていた。
それが唐突に、スイッチが切れたように垂れ下がる。
「……その時わかったんです。母が死んだと。魚のように殺されたのだと」
少しの間両手と銃剣で格闘していた不死兵は、何かをこじ開けたような音の後、銃剣をしまうと何かを取り出し、一心不乱にむさぼり始めた。
その不死兵が、何かを食べるのを中断して入り口の方を見た。
何語かわからないが短く話し、トイレのドアを指差すと食事に戻った。
「……仲間の不死兵でした。そいつはドアを蹴破ると中にいた女性を殺して食べ始めました。その隣に妹がいて……次に入ってきた不死兵に、見つかりました」
詳細に思い出せば、今でも。
いまでも。
身がすくんで、体が硬くなって、動かなくなる。
「……妹は抵抗しませんでした。たぶん、あの時の私と同じように、恐怖で体が動かなかったのだと、思います。動かなければ、声を出さなければ、見つからないと、思っていたのかも」
そのあと、
「……ネストに連れ去られた者がどうなるか。情報として聞いたのも、あの日から数日後でした」
ポータルは基本的には、生き物が通ることができない。
不死兵の再生能力をもってすら、大きなダメージがかかる。
それを補うため、ポータルを行き来する直前直後には、生きた肉が……いのちが必要なのだ。
「ネスト跡にあった遺体の身元が確認され、DNA検査の結果妹の死が確定したのは、そのさらに数日後のことでした」
不死兵は数分で去った。
あとに残ったのは、母の着ていた服がまとわりついた、人のような肉塊であった。
頭は大きく割られていて、目はなかった。しかしそれは、ずっとミユを見ているように見えた。
「私はずっと、動けませんでした。静かになって、暗くなって、自衛隊の人も気付かなくて、現場の調査に来た警察か救急隊員の方が見つけてくれるまで、ずっとそのままで、そこにいました」
固く握った手が震える
「私は見たんです。母が死ぬ瞬間。妹が連れ去られた時。誰か助けてと、声には出てなくても、私は、見たんです」
後から思い出すたびに、思うのです。
「動かないこの手がいやだ、進まないこの足がいやだ。隠れていただけの自分がいやだ……だけど、動かなかったから、見つからずに済んだんです」
だから、だけど、
「父に黙って遊園地に行ったから、あんなことになったんだと。父は父で、自分が仕事を休んで一緒に行かなかったからだと、今でも悔やんでいます」
だから、だけど、
「私が生きて普通に暮らす事が、父の救いであり慰めになっているのだとカウンセラーの人は言ってくれます。ですが、不死兵に奪われてからっぽになったところには、何も戻ってこない」
だから、だけど。
「私がただ生きていることが、死んだ母や妹の慰めになっているとは、どうしても思えないのです」
だから。あの時も。スコープの十字線に、捕虜をネストに運ぶ不死兵の一団を見た時も。
「……私が不死兵を倒す事ができるのならば、不死兵から誰かを救う事ができるのならば、父が、……私が、少しでも苦しくなくなると」
顔を上げようとすると、何かにつっかかって動かない。
視界が濃い紺色で塞がっている……ナオの背中だ。
「ありがと。だけど……言いたくないことも言っちゃった?無理してない?……わたしバカだからさ、頑張ってる子がどれだけ無理してるかって、わかんないからさ」
ナオがまだ背中を向けてくれているのがありがたかった。
「少し……無理しました」自然にこぼれる。
ごめんね。空気を伝わるよりも早く、ナオの背中から伝わってくる。
「ですが……話せてよかったです。こんな風に話した事が、なかったので。少しだけ、楽になった気がします」
「そっか」額に感じていた感触がすっと消える。それをとても淋しくミユは思った。
「それで……楽になった?輸送部隊を襲撃し、単独でネストに侵入して、合計四十三人を救出して」
藪を切り払った青臭い匂い。何かの生き物の鳴き声のようなうめき声。
それをふんわりと覆う、おいしそうなシチューの香り。
スコープで廃屋の奥を覗き込むと、鍋の下で小さく揺れる火が見えた。明かりはそれだけだ。
そのかすかな光に照らされて揺らめく影。
鍋からよそったシチューを飯盒で食べているもの、MPかStgの弾倉に弾をこめているもの。
かすかにガチャリガチャリと音がするのは、MGの弾帯にローダーで弾をはめ込んでいるようだ。
不死兵はここに、弾薬と食料……捕虜を集積している。
ここが、不死兵たちのネストなのだ。
「……地図によると、そのあたりに集落はないはずだが?」
「何度か来た事があって……以前調べたら、廃墟マニアの人のページがあって。40年前には無人になっていたそうです。ずいぶん前から、地図には載っていません」
この一日、自衛隊は不死兵との交戦を控えている。不死兵の増援も、来ていないようだ。
だから今、ここに集まる不死兵は少ない。
そして自衛隊の偵察機を警戒して、ネストに駐留している不死兵はわずかだ。
「わかった。ネストへの攻撃を準備する……早まるなよ、ACR-32」
別の廃屋に足を進めると、シチューの香りでは隠しきれない血生臭い匂いが漂ってくる。
聞こえてくるうなり声が、人のものであることがわかってくる。
見張りはいない……裏に回って、ガラスのなくなった窓から入り込む。
そしてそこにも、それはいた。
それは廃屋の中に乱雑に投げ込まれ、そこで転がり、のたうち回っていた。うめき声や泣き声を上げ続けながら。
捕虜だ。手足は切られていないが、手足の腱を切られて動けないでいる。
その目は。
「……今なら銃があって、万能止血軟膏があって、できる事がある。そう思うと気持ちが落ち着きました」
ミユが言いよどむと、ナオが軽く背中を揺するのが見えた。背負った子供をあやすように。
「最近見る夢が変わったんです。不死兵に捕まって、食べられる夢なんです。でもそれは、たぶん私なんです。母や、妹や、他の誰かじゃない」
だからそれが不思議と、落ち着くんです。
夢から覚めた直後のように、心臓の鼓動が高まる。まだあるんだぞと。目も、まだあると。
食べられた……いや、まだある目。無意識に触っている。
ナオは少し離れて、ミユと向き直っていた。
やけに陽射しかまぶしく見えて、そこには、
ミユの視線に気付くと、ナオは慌てたようにプイッと振り返った。
「復唱」ポニーテールの向こうのナオの顔は、見えていないがきっとまた、いたずらっぽい笑顔。
「ニンジャー」
「忍者」
「だめ。もっと外人っぽく」
「にんじゃー」
「そうそう、よろしい」
ナオが歩を進める。大きな歩幅で元気よく。自分のペースで。
早足でナオの後を追いながら、ミユはさっきのナオの顔を思い出そうとしていた。
ぼやけていてよく思い出せないが、ミユを不安げに見つめているようにも見えた。驚いているようにも見えた。
目に映ったものはそうだった。
しかしあの時ミユが見たのは、笑っているナオの顔だった。
それは夢から覚める直前、牙を立てられた脳裏に浮かんだ、ぼんやりとしたものが形になったような。
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