第一部・その2
「……みつけた。ねえ君、君が……六郷ミユ、さんね?」
ミユが反射的にそちらを向くと、苦笑いしていた笑顔がいたずらっぽく微笑んだのが見えた。
顔が見えたわけではなかった。寝起きだからか、視界はぼやけて、窓から射し込む陽射しをまぶしく感じる中、笑顔だけははっきり認識した。
「転校初日早々居眠りとは、噂通りの度胸みたいだね」
言われてミユは机に視線を落とす。開きっぱなしの教科書やノート。
引かれた短い線の先で、押しつけられたシャープペンシルの芯が砕けていた。
改めて、声のする方を見る。ミユにとっては見慣れない……いや、朝からずっと見てきた制服。
仕立てのいい紺色のブレザー。ミユの着ている、洗濯を繰り返し随分とくたびれたセーラー服と違って華やかに見える。
スカートは短い。不良みたい、とミユは思った……そこから伸びた脚はスラッと長く、引き締まっていていながら柔らかな曲線を描いていた。
周りの生徒より、頭一つくらい背が高い。グラビアモデルのような形のいい胸と運動選手のような引き締まった体をしているのがブレザーの上からでもわかる。
青いリボン。三年生。
少し体を動かすと、頭の後ろのポニーテールが楽しげに揺れるのが見えた……そんな中、緑色の瞳は、まっすぐミユを見つめている。
「六郷ミユさん……で間違いないね?はじめまして。わたしは3年A組の池上ナオ。東京第四区馬潟高校ACRコマンド、プラムL小隊の副隊長。よろしく」
そうだ。短いスカートから顔を覗かせる、脚につけた拳銃のホルスター。
制服の腕にはAsANTAC……対不死兵武装市民協会……の腕章。
胸につけたバッジには、取得した技能・パークの数や種類が表示されている。
クラス96。基本パークをほぼすべて取得したうえで上級技能を数多く取得しているだろうことが伺える。
見慣れない黒いバッジがはめ込まれている。クラス3パークだろうか。
「早速だけど、一緒に来てくれる?うちのチームを案内しようと思って。お弁当持って」
不死兵が出現してからの数年は、日本に不死兵が出現する事はほとんどなかった。
あっても小規模で、自衛隊や在日米軍による封じ込めが行われ被害は軽微だった。
そのため対応を真剣に検討する者はなく、当時の国会では自衛隊の武装強化や市街地のパトロールには否定的であった。
その流れが変わったのは、1999年8月。
白昼の東京渋谷で、不死兵の大規模攻撃が行われたのだ。
都市に不死兵が出現するのも稀だった事もあり事態は混乱を極め、自衛隊の到着までに一時間半、在日米軍の到着までに二時間がかかった。
事態の収拾までに六時間以上がかかり、死者総数は一万人を超える未曾有の大惨事となった。
これを受けて政府は対応を始めたが、運悪く法改正や予算案が否決された直後ということもあり、自衛隊の整備は後手に回っていた。
また警察も、渋谷区の警官がほぼ全滅するなど多大な損害を受けており、武装の強化どころが現状維持もままならない状態であった。
世論も、自衛隊を街中に立たせる事への抵抗感と不死兵への恐怖が入り交じったものとなっている中、ある団体の働きかけが日本で行われた。
その名は対不死兵武装市民協会、略称AsANTAC。
アメリカに端を発したとされているこの組織は、武装した市民が協力し軍や警察が到着するまで自衛する事を目的としている。
協会の働きかけにより国内の銃刀法が改められ、協会の会員が、不死兵から自身や周囲を防衛する用途に限って、銃器を使用する事が可能となったのだ。
筆記用具を筆箱にしまい、昼食の入ったコンビニ袋を取り出す。その短い間にナオはシュッと身を翻し、教室から出ていくところだった。
ミユが教室を出た時には、ナオはずいぶんと先の方まで歩を進めていた。
走っているわけではないが、長い手足を元気よく繰り出して、大きな歩幅で歩いていた。
ミユは一足飛びに駈け寄って、追い付く。
はっきり顔は見えなかったが、ナオが満足そうな笑みを浮かべているのはなんとなくわかった。
「書類は読んだよ」ミユの歩調に合わせてナオは歩く速度を落とす。
「六郷ミユ……栃木県第七区津宮高校ACRコマンド、ギンキョウ小隊マークスマン(選抜射手)。クラス23。射撃技能は……エキスパート相当、と備考欄に書かれているね?」
「昇級の技能検定を受けていなくて……先生に言われて、検定を受けようとしたのですが、その三日前に」
「不死兵の襲撃があったわけだ。噂は聞いているよ、ACR-32くん?」
「……繰り返します。本件のACR任務終了が宣言されました。今後現場のANTAMの指揮権は自衛隊に移行されます。ギンキョウ14……ACR-32、速やかに帰投してください」
自衛隊が到着して二時間。しかし不死兵が退却したとも、自衛隊がネストを制圧したとも連絡は入っていない。
戦闘が長期間になる可能性があるため、増援も続々と到着している。
後のことは、自衛隊がやる。ACR(武装市民対応)任務は、もう終わったのだ。
役目が終われば、帰るだけだ。現場の指揮権を引き継いだ自衛隊から、ANTAMの帰還命令も出ている。
なのに今どうして、自分は山の中で周囲の物音と無線に耳をそばだてて潜んでいるのか。
交戦規定を守り、協会の管制に従って、警察や自衛隊と協力する……それが、協会のANTAM(対不死兵武装民兵)として、銃を持ち、不死兵と戦う条件なのだ。
命令違反だ。最悪除名処分もある。
そうしたら、もう不死兵と戦うことはできない。
それでも、
「度重なる帰還要請、帰還命令を無視して三日間の間不死兵の支配地域に留まった……かくれんぼは上手みたいだね」
かくれんぼ。なぜかはっきりと思い出す……銃声。悲鳴。咀嚼音。体から血の気が引き、体が凍るような冷たさ。
「それまでの十ヶ月、八回の任務では真面目に任務をこなしていたってあるけど」
なんで?
なぜ、それは何度も聞かれた。
答えは変わらない。答えたままが、報告書にも書いてある。
「他の任務と何が違ったの?」
そう。そして、それがわからない。
「ふうん」ミユが答えられずにいると、ナオはそう言った。
何か納得したのか、飽きたのかはわからなかった。
校内の売店を通り過ぎる。昼休みが始まったばかりで、店内は生徒たちでごった返していた。
「いつもお弁当は一人で食べてるの?チームの子と、話とかはしない方?」
校庭の花壇のそばでマットを敷いて車座に座っている女子生徒を見ながらナオが聞いた。
「世間話とかは苦手で……みんなが見てるテレビ番組も、笑いの……ツボ?みたいのが、わからなくて」
必要なコミュニケーションは取れてるつもりですと、慌ててミユは付け加えた。
「わかったよ。一応信じておく……必要な時に声が出ないのは困るからね。……そうだ復唱して」
ちらりとこちらを見たとき、いたずらっぽい笑顔。
「二時方向六十メートル、NT三名。ライフル一、stg二」
二時方向六十メートル、NT三名。ライフル一、stg二。近くにいた生徒が驚いて振り返る。
「郵便局付近で銃撃音、職員が交戦中と思われる。敵はMGを使用し優勢に立っている模様。敵MGを捜索し、発見次第これを攻撃、排除する」
郵便局付近で。内容は正確に復唱できている。
声を出すと意外に張りがあって大きい声だ。ナオは満足げにうなずいた。
「おいしくなぁれ」
おいしくなぁれ、萌え萌えキュン。
「」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔とはまさにこういう顔なのだろう。すかさず振り向いてミユの顔を見ながらナオは思った。
「ありがと。からかってるみたいだけど、ワケわかんない命令にもちゃんと反応して動いてくれるのって、不死兵相手だと結構大事な事だよ?」
不死兵の存在そのものが、ワケわかんないものだからね。そう続けられるともう言い返せない。
「ワケわかんないついでと言っちゃなんだけど」ナオが続ける。
「協会からクラス3パークのバッジが届いてるよ。先の事件の功績を受けての認定だって」
ナオがポケットから紙を取り出す。
認定証のコピー。クラス3パーク、ニンジャをここに認定する。
ニンジャー。変なポーズをしながらナオが言う。
やっぱりふざけている……ミユは思った。
しかし書類の書式やサインは本物で、このふざけた名前のパークも実在する、国際的に認定された資格なのだ。
「バッジを揃えるのが趣味、とかでなかったら、積極的にクラス2クラス3のパークを取ってバッジを装備してほしいな。クラス2以降のバッジには、不思議な力が込められてるってね」
前の学校でも聞いた話だ。バッジを取得した仲間がバッジのご利益を興奮ぎみに語っていたが、認定を受けるまでの努力の成果だろうとミユは思っていた。
なにしろその時同時に聞いた噂話が、
「……あれですか、ブットゲライト准将の潜伏先が魔法の国で、それに抵抗している勢力が協会を組織したとかいう」
「信じてないの?」
「信じて、って……池上先輩は信じているんですか?」
「南極や月の裏よりは説得力あると思うけどな。それとも北朝鮮?」
振り向いた瞳がいたずらっぽく揺らめいた。
ブットゲライト本拠地北朝鮮説を声高に主張する意見は見かけるが、まともな知見の人は耳も貸さない。ミユでもなんとなくわかる。
だからと言って、魔法の国は。
「ポータルは見たんだよね。あの向こう側がどこなのかはわからない。仕組みや原理もわかっていない。でも、あそこから不死兵はやってくる」
少なくとも、わたしたちが戦っているのは、そういう奴らなんだよ。
自衛隊の砲撃が止んでから一分もたっていないはずなのたが、天地が揺れるような轟音と衝撃が嘘のように静まり返っていた。
立てこもっていた建物も、元から腐っていた壁が穴だらけで、手で壊せる。
弱い月明かりが射し込むが、火薬の匂いは外の方が強かった。
傷の手当てが終わった捕虜たちは、幸い自力で歩ける。しかし周囲を見回して、困惑している。
ネストは跡形もなく消し飛んだ。しかし助けに来たのはたった一人。不死兵もいないが、自衛隊も来ていない。
シュリンゲンズィーフ線の線量計は、ここが不死兵の支配地域のど真ん中であることを示している。
針が振り切れている……周囲に何もなくなった今、それがどこから来ているか一目で見る事ができた。
それは何もない空間にぽっかり浮かんだ、菫色の光を放つ黒い穴。その奥には、井戸の底のように複雑な色の入り交じった不思議な光が揺らめいている。
ここを中心に、不死兵は展開するのだ。ここが中心なのだ。
耳鳴りが治まると、周囲からは自衛隊と不死兵が交戦する音がかすかに聞こえてくる。
ポータルからの増援はなく、打撃を受ければ不死兵は退却するだろうと言うのが、自衛隊の予測だと聞いた。
どこへ。ポータルの向こうの本拠地へ。
ポータルへ。つまり、ここへ。
自衛隊のヘリコプターは降りられない。捕虜を連れて、線量計の針が反応しないところまで行かなくてはいけない。
ポータルはぽっかりと口を広げ、その奥底が銃口の奥の弾丸のようにミユをにらみつけていた。
移動を開始して、位置や角度が変わっても。見えなくなるまで。
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