其の二

   †2†

 朝倉(あさくら)先生の車で杉(すぎ)を目指すのは、これで二度目だな。

 そんなことを考えながら、雅紀(まさき)は車窓を流れる景色を眺めていた。

 といっても、もはや日はすっかりと暮れており、目に付くのは店の看板やウィンドウの明かりばかりだ。

 そして、山に分け入るにつれてその明かりもまばらになる。


「……なあ、小豆(あずき)」

「なによ?」

「杉には八尺様はっしゃくさまがいる、んだろ?」

「ええ。でも、もう雅紀は平気よ。身代わりを差し出したもの」

「そう、だな……」


 雅紀は小豆と出会った時のことを思い出していた。

 あれは一学期の期末テストの直後だから、まだ三、四ヶ月しか経っていないことになる。

 いまにして思えば、あの時集落の入り口にあった髑髏どくろ岩の頂点を砕き、八尺様を解き放ったのは煌鷹(こうよう)だったのかもしれない。

 だとしたら、雅紀は、煌鷹がくだらないことを企む、そのきっかけを作ってしまったのかもしれない。


「俺が……悪いのか?」

「いいえ。煌鷹はたとえあなたがいなくても、きっと良からぬことを仕組んでいたに違いないわ。なにしろ、煌鷹が小説を書き始めたのは中学のころだもの」

「中学だって?」

「ええ。はじめは益体やくたいもない退魔アクションだったわ。それが次第にエスカレートしていって、今ではオカルト小説界気鋭の新人。信じられない話よね」


 小豆は腹立たしいという風にに吐き捨てた。


「その間、あたしは土地神の巫女としての修行をさせられたのよ。不本意だけど、祭祀さいしを継承する人が必要だったから」


 小豆にとって、煌鷹が作家としてのキャリアを重ねていくのは決して好ましいことではないのだろう。

 雅紀には想像することしかできないが、無理矢理に家業を継がされそうになっている、その状態に近いわけだ。

 自分ではどうしようもない場所で進路を決められるというのは、雅紀には何十年も前の、過去の時代の出来事のように思えた。


「なに、考えてるの?」

「え? いや……」


 不意にきかれて、雅紀はとっさの返答に詰まった。

 まさか、小豆の境遇に思いをせていたなどと言うことはできない。


「まあ、いいわ。それより、そろそろじゃない?」


 小豆に言われるでもなく、車は曲がりくねった山道を登りきり、杉集落の入り口、あの古びた鳥居の前を抜けるところだった。


「煌鷹の居場所は予想がついてんのか?」

「たぶん……神社だと思います。八尺様の」

「あそこか」


 朝倉はあからさまに舌打ちした。


「道が狭いんだ、あの辺りは」


 そうは言いながらも、車を停めることはしなかった。

 緊張のためか、誰も口を開かない。

 と、そんな中。


 がたん。


 車が揺れて、停まった。


「やられたな。お前ら、車を降りろ」

「お、叔父さん……?」

「いいから、行け。俺ぁ多少のことは大丈夫だ」


 朝倉はおもむろにポケットから煙草を取り出し、火を着けた。


「先生、どうしたんですか?」

「へっ、お前は自分のことだけ考えとけ」

「……わかったわ。行くわよ、雅紀」


 小豆が先に立って車を降りる。

 仕方なく雅紀も後を追うように車を降りた。


「雅紀、叔父さんの足下、見た?」

「足下?」


 雅紀が首を傾げると、小豆は首を振った。


「見てないならそれでいいわ。煙草が足りてる内は無事でしょうし」

「煙草って……いつもみたいにはらわないのか?」

「きっと、祓ったところですぐに第二陣、三陣が来るわ。だったら、ここは叔父さんに任せてあたしたちはやしろに向かうしかない」


 小豆はそう言うと、雅紀に集落の奥を指し示した。


「雅紀、案内をお願いするわ。あたしは不案内なの」

「あ、ああ……」


 雅紀は一度だけ朝倉を振り返ると、意を決して歩き出した。

 幼い頃に何度も通ったはずの道ではあるが、数年ぶりに自分の足で辿るその道程は宵闇よいやみに沈み、来訪を拒絶するかのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る