其の九

   †9†

 昨日、清志きよしが倒れた。

 今日も千佳ちかが。そして、雅紀まさきとは連絡が取れていない。

 有力な手がかりもない中、小豆あずきはもう一度、『黒目様くろめさまの噂』を観てみた。

 やはり目に付くのは、折々に差し込まれ、なんらかの術式を構築している西洋魔術のシンボル群だ。だが、それを解読しようにも小豆には西洋魔術の知識は無く、信頼できる教本も無かった。

 映画の製作者を調べようにも、投稿者のアカウントしか手がかりがなく、機械にうとい小豆にとっては完全に手詰まりな状況だった。

 自分の部屋で畳に大の字になりながら、小豆は頭を抱えた。


「雅紀のバカ。なんでもっと冷静になってくれなかったのよ」


 思わず、そんな愚痴が漏れる。

 いくら文系とはいえ、雅紀も立派な男子だ。筋肉の絶対量の違いが、そのまま自転車の速度の違いにつながり、あっという間に見えなくなってしまった。

 それが夕方、雅紀を見た最後の状況だった。

 だらしなく投げ出した手足にひやり、と遠慮がちな夜風が触れた。

 風は開け放した窓から流れ込み、吊したままの風鈴を鳴らす。

 その透き通った音色も、今の小豆にはたまらなく腹立たしく感じた。

 ふ、と何者かの気配を感じて、小豆はがばと体を起こす。


「あのう、少しいいですか?」


 窓の外から少女の声がした。聞き慣れない声だ。

 見ると、黒いワンピース姿で、長い黒髪を首の後ろで黒いリボンを使って結わえた、真っ黒な少女が立っていた。うつむいているせいで目元が前髪に隠れている。


「……あなたはどこの誰? いつの人?」

「喉が乾いていて……。水を一杯、いただけませんか?」


 少女は小豆の質問には答えず、一切感情の伴わない声でそう言った。

 全身黒ずくめのせいか、わずかに見える肌はいやに白く見える。

 小豆の部屋は二階だ。そこになんの前触れもなく現れる以上、少女は生きた人間ではない。

 小豆の力を当てにしてか、時々、こうして救いを求める幽霊が稀に訪れる。

 小豆は部屋に常備しているペットボトルの口を開け、少女に差し出した。中身は市販のミネラルウォーターだが、祭壇で一晩清めてある。さすがに妖怪や精霊にはただの水だが、幽霊には十分な浄化の効果があるはずだ。

 だが、少女はペットボトルを受け取らず、今までうつむいていた顔をくっ、と持ち上げた。白目のない、異様な目が小豆の顔を正面から見据えた。


「この水じゃ、だめなんです……」


 小豆は身の危険を感じて窓から離れた。次の瞬間、少女は部屋に踏み込んできた。


「お水……生命のお水を……ください……」


 生気の感じられない、真っ青な手が小豆に向けて伸ばされる。


「嫌よ! なんであんたなんかに!」


 小豆は視線を少女に向けたまま、ゆっくりと後ずさっていく。

 少女もその後を追って、まるで映画のゾンビーのようにふらふらと部屋の中を進む。やがて、少女が部屋の中央付近に差し掛かった時だった。


「霧雨の巫女が申し上げますっ! 危難を退けんと欲すれど、我が力未だそれに及ばざれば、あなた様の助力をいただきたく存じます……律令が如く疾く為されませっ!」


 小豆が祭文さいもんを唱えると同時に、部屋の中が薄暗くなった。

 そして、小豆と少女との間に割り込むようにして、天井から白く輝く蛇が降ってきた。屋根裏の祭壇に祭られている蛇神の使いだ。

 白蛇はむくりと鎌首をもたげると、少女に向けて鋭い警戒音を鳴らす。だが、少女はそこに蛇がいることに気付いていないという風に歩みを続けている。

 白蛇は表情のない顔で少女を見据えると、力を溜めて跳躍、ぶつかって少女を地面に打ち倒した。

 起きあがろうとする少女を、白蛇は手早く締め上げて身動きを封じてしまう。少女はそれでもしばらくは抵抗していたが、やがてがっくりと脱力して動かなくなった。

 そこまで見届けた小豆はその後に続くものから目を背けた。蛇の食餌しょくじ風景など、見ていて気持ちのいいものではない。


「……見た目こそ人に似せてるけど、臨機応変な判断力はないみたいね。とすると、使い魔か何かかしら? とすると、どこかに黒幕がいるのね。映画に仕込まれた、サブリミナルな術式での儀式だったこともあるし、そもそも素人の無意識エネルギーで作られたんだもの、そんなに強力なものではない……。後は使い魔がどこから来たかわかればいいのだけれど」


 小豆は思案を巡らせた。

 実体を持つ使い魔を作るのだから、原料となる魑魅魍魎ちみもうりょうを集めるのは当然だ。しかし、儀式で原料を集めたとしても、その状態を維持するには術者の存在が不可避だ。それを『黒目様』の投稿者がやっているとすれば、投稿から今までの数週間、ずっとつかず離れずに儀式を続けていることになる。そんなことは人間には不可能だろう。だとすれば、元から多くの魑魅魍魎が集まる場所を儀式の中心にするのが正解だ。

 例えば、心霊スポットなどはちょうどいいかもしれない。特に廃墟や廃トンネルがいいだろう。わざわざ手を加えずとも、空虚な空間に集まった人々の念が周辺の魑魅魍魎を呼び寄せる。


「……とすると、一番怪しいのは、映画に出てくる洋館ね」


 確か、雅紀はあそこが有名な洋館で、幽霊の噂もあると言っていた。

 小豆は外出の用意をすると、朝倉あさくらに電話をかけた。たっぷり五回のコールの後、電話口に出た朝倉は不機嫌そうだった。


『あんだ? 成績の相談なら聞かんぞ』

「違うわよ。雅紀がいなくなった件について、手がかりを掴んだの」

『そうかそうか。そいつぁ良かった』

「良かった、じゃないわよ。広川ひろかわのリリー館まで行かないとならなくなったの」

『広川ァ? まさか車出せなんて言うんじゃないだろうな?』

「そのまさかよ。お願いね、叔父さん」


 小豆は返事を聞かずに電話を切った。どうせ、警察の手には負えない案件だ。きっと出てきてくれるに違いない。

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