其の五

   †5†

 清志きよしは部活が終わると、帰る前に駅前の商店街へ足を向けるのを常としている。商店街の中心にあるディスカウントストア『ランスロット』四階のアミューズメントコーナーに行くと、クレーンゲームやアーケードゲームには目もくれず、端のほうに設置されている女児向けリズムゲーム『アイドル☆チャンネル』の筐体きょうたいに向かった。

 気の知れた友人には公言していることだが、清志はこのゲームから派生したヴァーチャルアイドル・ユニット『クレッセントミラージュ』のファンで、ミュージックビデオからアニメ、原作ゲームと逆流していった口だった。

 今日も清志は部活終わりにひとしきりゲームを楽しんだ後、クレーンゲームの景品をチェックしながらエレベーターの方へ歩いていた。

 平日の午後七時という時間帯のせいか、アミューズメントコーナーの中は制服や運動着姿の高校生が目立つ。清志と同じで、帰る前に少し遊んでいこうという不真面目な手合いなのだろう。

 そういう連中の間を縫うようにして歩いていると、エレベーターの前に女子高生が立っているのに気付いた。ハイカラなステッチの入った、大徳学院のセーラー服を着た後ろ姿は、エレベーターを待っているというより、ただそこにいるという風に感じた。

 清志は不思議に思ったものの、そういうこともあるか、と思い直して彼女の隣に立った。


「キミ、気をつけた方がいいよ」


 不意に、彼女が口を開いた。


「なんか、狙われてるみたいだからさ」

「狙われてるって、誰に?」

「んー、黒目様くろめさま?」

「まさか、冗談を……」


 清志は答えながら隣に目をやった。

 ゆるやかにカーブした亜麻あま色の髪の下から、アーモンド型の目がこちらを見ていた。


なんじ深淵しんえんのぞくとき、深淵もまた汝を覗いているのだ。……なんてね。ま、なんかあったら相談に乗るよ」


 彼女はそう言うと、売場の方へ歩いていった。


「あの、ちょっと……」


 清志が呼び止めても、右手をヒラヒラ振っただけで振り向くどころか立ち止まりもしない。

 清志はあわててその後を追おうとしたが、『ランスロット』特有の、天井近くまで商品が並ぶ陳列棚が障害となって、すぐに見失ってしまった。

 仕方なく戻ってきた清志は、ちょうどエレベーターが来たこともあって一階へ降りた。

 あの女子生徒は同じ大徳の制服を着ていた。

 なら、明日学校で聞き込めばすぐに見つかるだろう。

 そう考えてのことだ。

 駐輪スペースに停めておいた自転車に乗って家路を急ぐ、その途中。

 住宅街を走っているとき、ふと清志は『黒目様の噂』の一場面を思い出した。


「確か、ここも映ってたんだよな」


 映画に映っていた辺りで自転車を止め、周囲の様子を眺める。

 もちろん、変わったところはない。ロケ地といっても現在進行形ではなく、過去の話だ。何の痕跡もあろうはずがなかった。

 清志はすぐにまた走り出そうとした。ちょうどその時、向こうの街灯の下に人影があるのに気付いた。

 闇に同化しそうな、黒一色のワンピース姿。背中まで届く長い髪を首の後ろで一本にまとめ、同じく黒のリボンでくくっている。頭の先から足の先まですべてが黒だからか、わずかに見える素肌はいやに白く見えた。うつむいているせいで、顔の上半分が前髪の影に隠れている。


「あのう、少しいいですか?」


 少女が控えめに声をかけてきた。

 清志は何事かと思い、彼女の目の前で自転車を止める。


「少し喉が渇いていて……何か飲むものをもらえませんか?」

「えっ、じゃあ、その辺の、コンビニとか自販機、行ったらいいと思いますよ」


 清志がコンビニのある方向を指さすと、少女は首を振って否定した。


「そうじゃないんです。そうじゃ、なくて……」


 少女の腕が清志に向けて伸びてくる。

 清志はなんともいえない嫌悪感を覚えて後ずさった。


「飲む、ものを……」


 なおも、少女は腕を伸ばしてくる。


「く、来るなっ……」


 清志は少女に向けて自転車を倒すと、走ってその場を離れた。


「待って! 置いていかないで!」


 少女の声が少し後ろから聞こえてくる。

 清志は前だけを見て、必死で走った。相手が何者かはわからないが、少なくとも尋常じんじょうな人間ではないのだ。捕まれば何をされるかわかったものではない。


「待って、待ってよ!」


 少女の声は近くなるわけではないが、遠くもならず、常に一定の距離を保っているように聞こえた。

 さっき自転車で来た道を今度は自分の足で駆け戻る。やがて、住宅街が終わり、商店街の明かりが見えてくる。そこまで行けば人目もあり、後ろの少女も追ってくることはできないだろう。

 清志はそう考えると、最後の力を振り絞って表通りに飛び出した。

 車道をせわしなく行き交う何台もの車、店から漏れてくる音楽。いつのまにか、少女の声は聞こえなくなっていた。

 清志は足を止め、玉の汗が浮いた額をハンカチでぬぐった。

 逃げ切ったという安堵あんどが心の中からわき上がってくる。

 と、その時、清志の右肩に冷たいものが触れた。

 あまりの冷たさに、清志は思わず振り返る。

 白い顔があった。白目のない、塗りつぶしたような目が笑っている。

 いつの間にか追いついた少女が、清志の肩を掴んでいたのだ。


「待って、待ってよォオォォオオォ」


 清志は反射的に身をよじって逃げようとした。だが、少女の手は肩にがっちりと食い込んで放さず、むしろ加えられる力が強くなったようにも感じられた。


「だ、誰かっ、助けてっ!」


 清志は思わず大声を上げたが、周囲に人影はないし、店の中にまで届いたかどうかはわからない。期せずして、車社会の欠点が露呈ろていする形になった。

 少女は清志の肩を掴んだままゆっくりと歩き出した。

 清志が抵抗して踏ん張っても、ざりざりと音を立てて引きずられていく。

 少女は清志を引きずりながら、路地裏の暗闇の中へと消えていった。

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