其の二

   †2†

 放課後、雅紀まさきは美術室に行く前に、校庭の隅にあるテニスコートを覗いた。


「お、まーちゃん。どしたー?」


 幼なじみの海北千佳かいほうちかが雅紀の姿を見つけ、てってけ駆けつけてくる。


「千佳、『黒目様くろめさまの噂』って……」

「知ってる知ってる! 動画サイトに投稿された短編の自主制作映画で、背筋がゾクゾクっとするって話題のヤツだよ。まーちゃん観たこと無い?」

「無いよ。大体オレ、ホラーはその、ちょっと……」

「それもそっか。この前も青くなってたしね。ん? でもどうして急にこれの話してきたわけ?」

一也かずやが観よう観ようってうるさいんだ。千佳ならひょっとしたら知ってるかも、と思ったんだけど」

「よく気が付いたね。あ、でもさ。あずっちも結構詳しそうじゃん? なんてっても本職だし」

「本職っても、仕事にしてるわけじゃないしな」

「でも夏休み、テニス部の災難はらってくれたじゃん」


 千佳は嬉しそうに笑った。やや日焼けした顔に白い歯がやたらまぶしい。


「そんで、何? あたしに解説してほしいって?」

「いや、そこまでは言わないけど」

「そこまで頼まれちゃ仕方ない。実はさ、あの映画にも元ネタの都市伝説があるんだ。アメリカの方が発端、なんだけどね」


 千佳はどこからかスマートフォンを取り出して操作を始めた。


「えーと、まだ新しい話だね。仕事が長引いた女性が深夜、ようやく家に帰ると、二人の白人の少年が声をかけてきた。『すみません、家へ入れていただけませんか? 喉が乾いてるんです』ってね」

「……それだけ?」


 雅紀は拍子抜けした。それではただの不審者情報だ。そう言い掛けた鼻先に千佳が指を当てる。


「その女性は少年たちをかわいそうに思い、お人好しにも少年たちに水をあげようと思ったんだけど、その時にふと気づいてしまった」

「な……何に?」

「少年たちの目に、いっさい白目がないことに!」


 千佳はそこでバン、とスマートフォンを雅紀の方に向けた。

 画面の中では、目の部分が真っ黒に塗りつぶされた千佳が屈託のない笑顔を浮かべていた。


「……」

「驚かないの? つまんない」


 雅紀はどう反応すればいいか分からず、ただ目をパチクリさせた。千佳はつまらなそうに口をとがらせながら話を続ける。


「まあ、それで、その女性は慌てて家に駆け込むと家中のカーテンを閉めて震えていたって。でも、少年たちは無理に押し込んでくることもなく、玄関のドアを叩きながら奇声をあげるだけで、しかもその内にどこかへ行ってしまった、って」

「それが、元ネタの都市伝説?」

「そう、これだけ。なんで、その正体についても色々と考えられてるみたいね。若者のイタズラ説ももちろんあるけど、それより面白いのは宇宙人説。いかにも向こうらしいよね」

「そうだな……。でも、目が真っ黒ってなんか、不気味だな」


 雅紀は真っ暗な中に黒い目の少年が二人いるのを想像してみた。全身の毛がぞわりと逆立つ。


「黒い目をした霊体は悪霊、なんていう話はたまに聞くわね。西洋あちらだと、悪魔が人に化けた時も目が黒くなる、なんて言ったかしら?」


 雅紀の背後から冷めた声が聞こえてきた。

 振り向くと、スケッチブックを携えた土田小豆つちだあずきが半目で雅紀をにらむようにして立っていた。


「小豆!? なんでここに?」

「部長さんに追い出されたのよ。美術展に出展する作品の仕上げがやりたいんですって」

「あー、もうそんな季節か」

「それで、雅紀? 面白そうな話してるじゃない」

「あずっちも『黒目様の噂』、気になるよね?」


 千佳が話を振ると、小豆はまんざらでもなさそうに広角をつり上げた。

 歯並びが良く、犬歯もさほどすり減っていないため、ともすれば獲物を見つけた吸血鬼のようにも見える笑み。だが、雅紀はこの頃、その笑顔が猫のようだ、と感じるようになっていた。


「あの、ネット配信の短編映画ね。モキュメンタリーはこの手のジャンルと相性がいいし、気になってたのよ」

「でしょ? なんか、かずくんが観たいって騒いでるらしいんだ。どうせならみんなで観ない?」


 千佳はてけてけと小豆に駆け寄り、腕を掴んだ。


「まあ、いいんじゃない。ああ、雅紀は無理しなくていいのよ」

「いや、オレも付き合うよ」

「なに、まーちゃん。あずっちと一緒なら怖いの大丈夫なんだ?」


 雅紀は内心で舌を打った。千佳の表情がどんどん嬉しそうにゆがんでゆく。一方で、小豆の方はみるみる頬が紅潮こうちょうしていく。


「ちょっと千佳! あたしと雅紀はそういう関係じゃないって言ってるじゃない!」

「えー? 怪しいなぁ。いつの間にか下の名前で呼んでるしー」

「だからって、付き合ってるとは限らないじゃない!」

「そ、そうだよ、千佳。そもそも、千佳だって下の名前で呼んでるけど付き合ってはないだろ」

「まーちゃんとは小学校以来の友達だもん。それじゃあ下の名前で呼んでても例外だよねぇ?」

「自分だけ例外宣言!?」「なんでそうなるのよ!」


 予期せず、雅紀と小豆の声が揃った。千佳はなお楽しそうに目を細めた。


「いやぁ、純情だねー、お二人さん。んじゃ、かずくんに連絡お願いねー」


 雅紀たちが次の言葉を浴びせる前に、千佳はさっさと走って練習に戻ってしまった。


「……雅紀」

「ん?」

「あのの相手、疲れるわね」

「ああ、まあね」

「それから、例の映画ね、ネット上で妙な噂がささやかれてるのよ」

「ど、どんな?」

「あの映画を観ると、七日以内に黒目様が現れる、っていう噂」


 小豆は真剣な目でテニス部の練習風景に目をやった。


「まあ、他愛ない噂でしょうけど」

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