其の八

   †8†


 流鏑馬やぶさめ町の中央部を横断して厩橋うまやばし市と霧雨きりさめ市を結ぶ国道の北側、琴平ことひら山の周辺に広がる住宅街。松永智明まつながちあきは日傘をくるくると回しながらそんな住宅街を歩いていた。

 当然ながら制服のセーラーではなく、自分の趣味であるシックで落ち着いた服装でまとめている。カフスにフリル飾りのついたシックなブラウスにセピア色のフレアースカート。亜麻あま色の髪を赤いバレッタで留め、胸元には青い石のあしらわれたブローチとコーヒー色のリボン。

 エナメルの靴を鳴らして歩く姿は銀幕から抜け出してきたようで、現代の住宅地にはひどく不釣り合いだった。


 やがて、智明はある一軒の門前で足を止めた。昭和の香りが色濃く漂う一戸建ての家だが、手入れはきちんとされているようで、外見に目立って傷んだ部分はない。表札の下についているインターホンを押してみたが反応はない。だが、智明は気にした風もなく、門扉もんぴを開けて敷地内に踏み込む。

 門の脇には屋根だけの簡易な車庫があって、国産のSUVが停まっている。ここの家主やぬしの愛車だ。


 踏み石の並べられた玄関先を抜けてガラス戸を無遠慮に開けると、奥に声をかけるでもなく上がり込み、薄暗い廊下をずんずん進んでいく。

 そして、台所に隣接する少し狭い部屋に入った智明はそこで肩にかけていたショルダーバッグを降ろすと、壁のかぎにかけてあったエプロンを締めて、合い鍵の束を腰に吊した。バッグからスマートフォンを出してエプロンのポケットに移すのも忘れない。最後に、部屋に置いてある姿見で全体を確認すると、両手で頬を軽くたたいた。


「よし」


 部屋から出ると台所に行き、ティーセットを用意する。電気ポットで沸かしてあるお湯をティーポットに注ぐと、お盆にそれらを載せて廊下を玄関方向へ戻った。玄関脇にある洋式のドアを開けると、この家唯一の洋間で、ここが家主の書斎兼仕事場になっている。


「やあ、来たのか」


 パソコンに向かって作業していた家主が顔を上げた。

 白皙はくせきの美青年。そう呼ぶにふさわしい顔つきだった。

 線が細いが、しかし中に一本芯が通っていそうな強さも感じさせる姿は、いわゆる特撮俳優――特撮ドラマの主役や敵役に多い二枚目スターのようだ。ただし、その右目は色素が薄いのか、瞳に血管が透けて赤く見えている。

 この青年こそがホラー作家、中橋煌鷹なかはしこうよう。この家の家主だった。


御館様おやかたさま、ずいぶんご機嫌みたいじゃない?」


 お盆をサイドテーブルに降ろしながら智明がたずねると、煌鷹は意味深な笑みを浮かべた。


「なに、今度『DARKNESS』が文庫化することになってね。ああ、それとあずきが見事、山怪ヤマノケを撃退してくれたのも嬉しいニュースかな」

「へぇー。あの子、かわいい顔してなかなかやるじゃない」

「ま、このくらいでへこたれるとは思わないけど……でも、男を連れてきたのは少し意外だったかな」

「ほほう、男とな?」

「何を『今初めて知りました』って顔してるんだい? 君は知っていただろう?」

「うん、まあね。霧雨の巫女と杉の審神者さにわ、なかなかお似合いだったよ」

「だろうね。せっかく八尺様に選ばれたんだ。彼はその意味を理解するべきなんだよ」

「だから、審神者に選んだ? 自分がなれない代わりに?」

「まあ、そんなところだね」


 煌鷹は安心したように目を閉じる。


「一応、目論見もくろみはそこまで外れてはいないわけだ」

「そうだね。でも、ちょっとけちゃうかな」

「なぜだい?」

「あの二人、あたしたちと違ってちゃんと互いを見てるから」


 智明はふざけて煌鷹にしなだれかかる。

 煌鷹の机の上には、資料の山ができている。その山の一番上に乗っている写真が、ふと目に留まった。

 どこかの古い神社を写したらしい写真だが、神鏡には蜘蛛の巣状にひびが入り、もはや神性は微塵みじんも感じられない。


「梅畑の、例の施設の近くにある廃神社だよ。この有様だったので、利用させてもらった」

「相変わらず悪、だよねぇ。ところで、今度は何書いてんの?」

「さて、ね。古き良き吸血鬼譚でも書こうか。確か、それにちょうどいい都市伝説があったはずだ」

「ほーいほい、たぶんこれかな」


 智明はその体勢のまま、エプロンのポケットからスマートフォンを取り出し、右手だけで操作する。

 その画面を見た煌鷹は満足げにうなづく。


「そうそう、これだよ。さて、これをどういじってあげようか」

「御館様も意地が悪いよね。かわいい妹ちゃんに次々と刺客を送り込んでさ」

「全ては大望成就のため、そしてこの血筋にかかった呪いから逃れるためだ。許してくれとは言わないけど、分かってほしいかな」


 煌鷹は小さく笑うと智明をどかして立ち上がった。資料の並ぶ本棚から一冊の本を抜き出して机に戻る。本の表紙には、禍々しい魔法円と、ラテン語らしいタイトルが赤黒いインクで書かれていた。


「それにしても、公爵の力はすごいものだ。書にあった権能を超えている」

「それを使いこなす御館様もすごいと思うけど?」

「はたしてそうかな……。たまたま、僕と彼の利害が一致しただけ、なのかもしれないよ? さて、僕は仕事に戻るから、君はいつものように頼むよ」

御意ぎょいにござります、御館様」


 智明は敬礼のポーズをすると、書斎を出てドアを閉めた。


「んー、まずは居間からかな。この家、男の一人暮らしだからすぐ汚くなるんだよね。あーさて、お昼は何を作ろうかな。この前はお魚だったから、今日はお豆腐がいいかなぁ?」


 満更まんざらでもないというように笑いながら、智明は家の掃除を始めるのだった。

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