其の七

   †7†


 朝倉あさくらのワンボックスで乗り付けた時、木造校舎を利用した宿泊施設は不気味に静まりかえっていた。夏の最中だというのに、せみの声さえ聞こえない。

 小豆あずきたちは警戒しながら昇降口に向かった。


「おかしいな? 確かにテニス部はここで合宿やってるはずだが」


 朝倉が首を傾げた。


「でも、誰もいないわね。ひょっとして、もう手遅れだったり……?」


 小豆は金剛鈴こんごうれいを構えながら次々と教室を確かめていく。

 オーバルフレームの向こうで、とび色の瞳が不安そうに揺れている。


「そんなはず、ないよな? 千佳ちかは……」

「大丈夫と言いたいけど、保証はしかねるわ」


 雅紀まさきの問いかけに、小豆は小さく首を振った。


「虫や小動物さえ遠ざけるんだもの、あちらさんは相当に強力よ」


 一階の突き当たりから渡り廊下を通って体育館へ。

 入り口の、両開きの扉を開けると、中から猛烈な熱気が吹き出してきた。外の明るさに反して、中は薄暗く、熱気が充満している。

 そんな体育館の中に、テニス部員たちが倒れていた。開いたままの目は焦点が合っておらず、呼びかけても応えはない。


「おいおい……魂抜けてんじゃねぇか、これ?」

「どうもそうみたいね」

「助けられるのか?」

「できる限りはやってみたいけど……」


 話しながら体育館の奥へ目をやると、そこに千佳が立っていた。

 他の部員たちとは違う、異様な笑みで。

 大きく目を見開き、口角を限界まで吊り上げて。


「ち……か?」


 雅紀が声をかけるが、千佳に反応はない。


「ありゃあ、やられてるな」

「もう完全に乗っ取られてるわね。どうする?」


 小豆と朝倉が顔を見合わせる。


 ――辿テン


 不意に、声が響いた。


 ――ソウ


 唐突に、空間がかげった。


 ――メツ


 いつの間にか、千佳の背後にそいつは立っていた。

 濃緑色の怪物。

 頭部がなく、その代わりというように胸に半開きの一つ目がある。

 手足はひょろ長い、SF映画の宇宙人のような、異様な姿。

 そいつの出現と同時に、千佳が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。


「ヤマノケだわ」


 小豆が小さな声で言った。

 ヤマノケは半開きの目をぐるぐると回して何かを探しているようだったが、やがて大きく見開かれる。


 ――辿。


 ヤマノケがゆっくりと両手を前に向ける。


 ――叢。


 ヤマノケの声が、空間を震わせる。


 ――滅!


 ヤマノケは、十メートル近い距離を一気に詰めて、小豆の目の前に立った。

 そのひょろ長い手が小豆を掴もうと伸びてくる。


「小豆……っ!」


 雅紀は、考える前に動いていた。

 小豆を突き飛ばして逃がす代わりに、自分がヤマノケの前に身をさらす形になる。


「うぐっ!?」


 ヤマノケに触れられたところから、冷気のようなものが流れ込んできた。

 雅紀はへその下に力を込めてその嫌な感覚に抵抗する。

 以前、小豆から借りた本に乗っていた方法だ。

 だが、それでも冷気は容赦なく雅紀の体を侵してくる。


「あず……っ」

「おかげで無事よ」


 小豆の声に張りがある。

 雅紀は目だけを動かしてヤマノケをにらみつける。

 何もできない雅紀の、精一杯の虚勢だった。


 ――お前をこれ以上、彼女には近づけさせない。


 その意志を込めた強い視線、のつもり。


「雅紀っ! 今引きがすわ!」


 雅紀の背後で、小豆が金剛鈴を打った。


 ちりん。


 その音と同時に、煙草の臭いが漂ってくる。

 それが効いたのだろう、ヤマノケの冷気が急速に薄れていく。


「霧雨の巫女が命じます! この地にて奪ったものを元あるべき形に返し、そして元の世界へ帰りなさい!」


 ちりん。


 もう一度金剛鈴の音がした。そして、煙草の臭いもまた。

 ヤマノケは雅紀から手を離し、よろよろと後ろに下がる。


「律令が如く疾く成せっ!!」


 ちりん。


 金剛鈴の音と煙草の煙に追い返されるように、ヤマノケはじりじりと後ずさる。


「とっとと帰りなさいよ、この外道妖怪! 女ばっかり狙う女の敵! 痴漢! 変態! 腐れ外道!」


 小豆が一際激しく罵ると、その気迫に押されてか、ヤマノケはふっと姿を消した。

 同時に陰っていた体育館の中が元の明るさに戻る。


「……終わった、のか?」


 雅紀が振り向くと、小豆は未だ険しい表情で金剛鈴の柄を握りしめていた。

 その後ろでは、朝倉が相変わらず退屈そうな顔で煙草をふかしている。


「世の中、禁煙の風潮が強まってるが、魔除けとしちゃあこれに勝るモンは無ぇな」


 そう言いながら、携帯灰皿に灰を落とす朝倉。


「煙草?」

「そう、煙草だ。よくはわからんが、煙草やニンニクみたいな臭いの強いモンは世界のあちこちで魔除けだと伝えられてる。特に、山にむモノどもは煙草に弱い傾向があるな」

「それはいいとして、あいつはちゃんと魂を返していってくれたのかしら?」


 そう言いながら小豆は手近なところに倒れているテニス部員に近づいた。と、そのテニス部員が小さなうめき声を上げる。

 それが合図であったかのように、他のテニス部員たちももぞもぞと起き上がりだした。


「とりあえずはこれで一件落着、かしらね」


 小豆はここに至ってようやくほっ、と息を吐いた。

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