其の六

   †6†


 ホイッスルの音と共にコートで練習していた選手たちが駆け戻ってくる。

 三人いるマネージャーが冷やしておいたスポーツ飲料を我先われさきにと手に取り、口に運ぶ。


「ん、よく冷えてるな。ありがとう」


 朽木くつきがそう言って笑いかけると、じゅんはこくこくとうなづいた。


「まだ入って日も浅いのに、大したものだ」


 朽木に誉められると、それだけで天にも昇りそうな気分になる。

 あの日、あの後、純はすぐにバスケット部にマネージャーとして入部した。

 剣道、柔道といった武道系の部活が強い大徳では、バスケット部はさほど強くもなく、部員の数もそこそこだが、純が入ったことでマネージャーが各学年に一人ずついることになった。

 純は朽木に近づきたい一心でマネージャーの役割を覚え、入部からわずか数日ですっかりバスケット部の一員となっていた。

 これには選手たちはもちろん、引退間近の三年のマネージャーも驚いていた。


 だが、それを面白く思わない者も当然、いる。

 練習が終わり、部員たちが各々に片づけをしている最中のこと。


筒井つついちゃん、ちょっといい?」

「はい、なんですか?」


 二年マネージャーの六角ろっかくに呼ばれ、モップがけをしていた純はゴールの下で足を止めた。

 探すと、六角は二階のキャットウォーク部分にいて、純を見下ろしている。練習中に二階に上がってしまったボールを取りに行っているらしい。


「今からボール落とすからうまくキャッチしてカゴにもどしてくんない?」

「いいですよ」


 純が笑って答えると、六角は足下からボールを拾い上げ、純の頭上で手を放した。


「……はわっ!?」


 自由落下の状態ではあるが、ボールはまっすぐに純の頭めがけて落ちてきた。

 純はその場にモップを投げ出してボールをキャッチすると、近くにあったボールカゴに戻した。


「ごめーん、大丈夫?」

「はいっ、大丈夫です」


 純は答えながら戸惑っていた。

 単純にふざけているだけかもしれない。

 でも、そうでないとしたら?

 どこにでも、新人が新人というだけで嫌がらせをしてくる人はいる。

 それも巧妙に、度を越さない範囲で。だから、傍目はためにはただふざけているだけに見えるものだ。


「筒井ちゃん、ホント大丈夫?」


 キャットウォークから身を乗り出した六角がかけてきた声に、純ははっと我に返った。

 どうやら棒立ちのまま考え込んでいたようだ。


「あっ、大丈夫、大丈夫ですよ」


 慌てて手を振ると、六角は安心したように笑って、次のボールを拾い上げた。


「さっきはごめんね。今度はちゃんと投げるから」


 その言葉通り、飛んできたボールは緩やかな放物線を描いて純の目の前に落ちた。

 床にバウンドして戻ってきたボールを捕まえてカゴに戻すと、上から「あと一球あるから」の声が落ちてきた。

 結局、六角の真意を問う機会も度胸もないまま、その日の部活は解散になった。


 帰り道、純はなんとも言えないモヤモヤした気分のまま、自転車を走らせた。

 大徳だいとく学院は霧雨きりさめ市の中心地にほど近く、駅に向かって少し歩けばひっきりなしに車の行き交う幹線道路に出る。

 その道路を渡るために信号待ちをしていた純は、後ろから呼ばれた気がして振り向いた。

 そこには、さっき校門の前で別れたはずの朽木が息を切らせながら立っていた。


「やっと気付いてくれたか」


 朽木は純の隣に並んで立つ。


「これ、忘れ物。お前のだろ?」


 朽木が差し出したのは、小さな鈴のついた髪紐かみひも。しかも、まだ封を切っていない新品だった。


「あの、先輩……?」

「お前の、ってことにしとけ」


 ふい、と目を反らしながら言う朽木。その頬が少し赤いように見えるのは赤信号のせいばかりではないだろう。


「先輩、どうして……?」

「入部して日も浅いのに、溶け込もうと努力してるからさ。なんだかこっちも応援したくなって、ね」


 純はその場に硬直した。

 そんなことがあっていいはずがない。けれど、確かに今、目の前に朽木がいて、そして髪紐を差し出している。


「ほら、はやく受け取れ。信号変わるぞ」

「は、はいっ……」


 純が髪紐を受け取った、ちょうどそのタイミングで信号が変わった。

 信号機のスピーカーからカッコウの鳴き声が流れる。


「ありがとうございます、先輩。大事にしますね」


 純は信じられないと思いながら髪紐を胸ポケットにしまう。


「じゃあ、また明日な」

「はい、また明日」


 純は朽木に見送られながら自転車をこぎ出した。

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