ごーすと彼女との非日常な日々
葉桜冷
起ノ章1
とんとん、とんとん。
鼓動がひとつ、なっている。
生命は一つ、けど命はふたつ。
とんとん。とんとん、生きてる音が鳴っている。
妖精たちが、謡うように。
とんとん、とんとん、
どんどん、どんどん。
中年の男が道端で倒れていた。
蒼白となった顔面はどう見ても危険な状態である。というか心臓が止まっている様子だった。
そんな男性の傍らで懸命に心臓マッサージをしている姿がある。
黒髪細身の少年で、春先にしては薄手の格好の彼はしかし額に大粒の脂汗を浮かべていた。
「……はっ、……はっ……ッ」
どんどん、どんどん。
そんな音が聞こえてきそうなくらい激しい心臓マッサージだった。
実際、人間の心臓は肋骨を折りに行くレベルで強くマッサージしないといけないので彼の行動は正しい。
ただそこに一切の迷いがなかったのが彼の驚くべき点だったのだろう。
彼の周囲にいた人々はその一切の迷いなく肋骨を折りに行く心臓マッサージに気圧されている様子であった。
「あ、あの、救急車きました……」
「はい」
通りすがりの人間がそう言うと端的に彼は答えた。
まもなく救急隊員がやってくると、1,2,の3で彼はスムーズにマッサージを交代する。
「付き添いの親族の方などはいらっしゃいますか」
「自分が知人です」
救急隊員が周囲に尋ねると少年は答えて、倒れていた男と救急車に乗り込んだ。
救急車の中で隊員から質問を受ける。
「この患者のお名前は」
「この人は
「きみとの関係は?」
「知り合いです。昔からの付き合いで」
聞いた隊員は一瞬怪訝な顔をした。中年の大学教授と目の前のどう見ても十代の少年との線が繋がらなかったのだろう。
「きみは?」
少年は答えた。
「自分の名前は佐野……佐野
そういって一唯翔は肩にかけていたポーチを開けようとして、自分が手に何かを握りしめていることに気づいた。
育野詩郎が倒れたときに首からかかっていた小さな袋だった。心臓マッサージの邪魔なので引きちぎっていたのだ。
(……何か入ってる?)
小さな硬い感触がそこにはあった。なにか石のような感覚。
妙に、その袋に惹かれるものがありながらも一唯翔はそれをポーチにしまい学生証を見せた。
やがて、救急車は病院につき、詩郎は奥のほうに運ばれていった。
一唯翔は医者やらなにやらから色々と説明やら事情を聴かされるやらで忙しく立ち回り、気が付けば日が暮れていた。
病院のベンチに背を持たれかけて視線だけで病院の窓から外を見ていた。
暗い夜に雨が降っていた。
ざざなりの雨が夜に降りしきるさまは、なんだか不吉でもある。
ふと、見知った影が病院に入ってきた。
「よ、お疲れ」
そう、彼女は一唯翔に声をかけた。
見知った幼馴染の、女性にしては低い声が心地よく感じられた。
背の高い、声の低い女性。分厚い眼鏡越しに見える釣り目がちな一重の眼差しは彼女が美人であることを感じさせる。
「ん。双葉こそ、遅かったね」
「悪かったよ、私は私で色々と忙しいんだ」
「自分の父親が倒れたっていうのに随分な言い草じゃないか?」
「別に、命に別状はないんだろう? ここ最近研究が追い込みに入ったとかいって随分と無茶をしている様子だったから、こんな予感はしていたんだ。過労がたたってのことと一唯翔くんから電話で聞いたときは驚愕よりも納得が勝ったしね。まあでも、大事がなくてよかったよ。あんなだらしのない人間でも私にとっては父親だからね」
「……なんだか、相変わらずだな双葉は。少し、安心する」
ふっ、と育野双葉はきつめの表情を弛緩させた。
「べつに、私だって思うところがないわけでもないよ。流石に私もそこまで非常じゃないからね。一唯翔くんには父がお世話になった。……もう、面会できるの?」
「うん。できるよ。俺がここにいるのは君が来るのを待っていたからってだけの話だから。病室は今は303号室。しばらくの検査入院らしい」
「そう……」
「早くいってあげて。俺はもう帰るよ」
「うん。ありがとう」
そういうと双葉はぱたぱたと走りにならない早足で病院の奥へ消えていった。
その様子をしばし見送ってから、一唯翔は病院の外に出た。
既に空は真っ暗闇に溶けていて、ざあざあと雨を降らせている。
病院傍のコンビニで、ビニール傘を買おうと一唯翔はコンビニに入った。
料金を支払おうとしたとき、自分がまだ、何かが入った袋を持っていることに気づいた。
育野詩郎が首からかけていた小さな布の袋だった。
「返し忘れた」
ボンヤリとつぶやいてから、コンビニを出た。
五月だっていうのに、ひどく冷える。
多分この雨のせいだろう。
「もうバス、ないだろうな」
溜息をつくと白かった。
白い息は暗夜の中に消えていった。
暗闇に雨の中、一唯翔はビニール傘をさして歩いた。
もともと大きくはない身体を小さく縮こまらせながら歩いた。
ザザ鳴りの雨は世界の音をかき消すように響いていた。
一人で夜を歩くのは、少し寂しかった。
母は既に夜勤に出かけているだろうか、その場合、誰もいない暗い家に帰ることになる。
長い家路だった。
足取りは重く、緩やかになっていく。
「……?」
ふと、何かが振動した。
スマホだろうか? しかしそれにしては妙な振動だと思った。
肩から掛けていたポーチを開くと振動していたのはあの小さな袋だった。
正確に言うなら、小さな袋の中に入った何かだった。
「……」
一唯翔は思い切って袋を開くことにした。
紐でくくってある巾着状のそれは簡単に開いた。
「……石?」
出てきたものは石だった。
黒曜とまではいかないが黒く綺麗に磨かれた石だった。
おかしなところがあるとすれば、その石が朱く発光し、振動しているところだろう。
「………」
反応に困った。
めっちゃ反応に困った。
指輪とか宝石とか金庫のカギとかそういうのが入っていると思ってたらまさかの光って振動する石だったのだ。
「………………見なかったことにしよう」
というかどうすればいいのかわからん。
入院中の詩郎のところに戻って、これなんですか? と聞くべきなのだろうか? こんな時間に?
とりあえず、歩いてみることにした。
すると不思議なことに発光と振動が大きくなっていく。
角を曲がる。
すると今度は発光と振動が落ち着いてきた。
曲がった角を戻ってみる。
発光と振動が大きくなった。
「……」
石の様子をうかがいながら、うろうろと狭く入り組んだ路地を歩いてみた。
暗闇の雨の中で、その明かりは際立って見えた。
導かれるように、歩いていく。
気が付くと入ったこともないような小さな路地の中に入っていった。
そうして石の発光と振動がおそらく最大になった時、そこには小さな祠があった。
「ここは……一体……」
その祠は本当に古いものだった。
本当に古く、とても小さく、打たれる雨の中で今にも崩れそうな寄る辺なさがあった。
足首までしかないようなその祠に、一唯翔は手を伸ばした。
どうしてだろう。ただ、なんだか少し、かわいそうに見えたのかもしれない。
暗闇の中、ずっとこんな忘れ去られたような場所で小さく寄る辺なく立っている祠が、なんだか寂しくかわいそうに見えて―――。
――不意に大きな水のうねりを幻視した。
大きな川の氾濫のような濁流。
それが正面からやってくるような。
暗く、重く、何も見えない。
と。
そんな幻視を眩く切り裂くように手にしていた石が今までにないほどに光りだした。
ぴしり、と音をたてて、石が割れる。
思わず手にしたビニール傘を取りこぼす。
ぱしゃん。音が立つ。
眩しさに目を瞑って、数泊を置いた後。
そこには女の子がいた。
暗闇の夜の渦中。ザザ鳴りの雨の中において、その美しさが損なわれることはない。
黒く艶やかな梳ったような長髪が揺らいでいる。
その肌は透明な雪のように澄んでいる。
鼻梁の整った顔立ちに黒い水晶のような瞳が浮かんでいる。
その姿はなんだか、現実の、人間のそれとは大きくかけ離れたような異質さがあった。
「き、みは……」
少年はそう、言葉を溢した。
本当に尋ねる気はなく、ただ、口からこぼれてしまったかのような問いだった。
少女は微かに開いていた瞳をぼんやりとさせたまま少年に向けた。
雨の中において、ずぶぬれになることのない少女は、まるで寝ぼけたままのような声で答えた。
「……えりか……」
少女は――えりかはそう、自分の名前を答えた。
それが出逢い。
少年は少女に見惚れて、彼女が宙に浮いていることにその時は気付かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます