知ってしまったんですよね。一人で飲むお味噌汁より誰かと一緒に飲むクラムチャウダーのほうが美味しいって。


 

 屋上へと向かう階段前の踊り場。

 高校入学以来、ここに訪れるのが日課となっていた。


 いつも通り地べたに座りこんで、買ってきた菓子パンを開封したが、全然食べる気にならなかった。

 食事が喉を通らない。

 嚙んでも嚙んでも味がしない。

 

 自販機に売ってあるパックのミルクは買いたいとも思わなかった。

 財布をポケットから出すことさえもためらう。


 背中をつけてボーっと虚空だけを見つめている。

 時間だけがただ過ぎてゆく。


 どこまで待っても誰もこの場所に来やしなかった。

 いつも通りの平穏なお昼休みが戻ってきてしまった。


 虚しさだけが漂うホコリまみれのその場所で。

 わけもなく、涙を流している。


 ※※※


 早く家に帰りたくて早足で駅まで向かったせいか、汗でシャツが背中にベッタリと張り付いている。

 顔の汗を手で拭いながら、ついでにニキビの感触を確かめる。

 

 はぁはぁと息を漏らしながらたまたま空いていた席に座ると、隣の女性が嫌な顔をしてさっさと立ち上がって別の車両へと移っていった。

 その光景を忘れたくて、信じたくなくて、前方の窓をジッと眺めると、酷く肌の荒れた男が映っていた。


 ここ最近はご飯もろくに食べず、寝てばかりいるせいかとてもやつれていた。

 表情は暗く、目の下にはクマができている。


 不細工なツラだなぁ……。


 何年も見慣れているはずなのに、何度見てもそのように感じてしまう。


 鏡を見るのを嫌うだなんて、まるで自分が吸血鬼にでもなったような気分ではある。もし本当に吸血鬼であるならば俺は陽の光の下を歩けない。一生の日陰者として人間からはできる限り離れたところで生活をして、夜になると活動をおこなうべきである。そうでなくってはいけない。


 自分のことを諦めてしまったのはいつからだろう。

 女性から避けられることに慣れてしまったのはいつからだろうか。

 

 むしろ開き直って、避けられている自分に酔ったりしてないだろうか。

 それをステータスのように振る舞ったりはしていないだろうか。


 自分の弱さを、ちっぽけな中身を、誰かに指摘されるのを恐れて"お調子者キャラ"というバリケードを作って、自分を守ろうとはしていないだろうか。

 いつもふざけてばかりいるのは自信がないからではないのか。

 

 なれば浜松敦という生き物に存在価値などあるのか?


 わからない……なにもわからない……。

 




 オレンジ色の光が乗客を照らしている。

 みなが目を伏せて遮光幕を下ろしていく中、俺は全てを忘れたくて、その光景を目に焼き付けている。


 猫は自分の死を悟ったとき、飼い主から姿を消すという。


 彼女を動物扱いするのは気が引けるけど、でも本当に気まぐれで寂しがり屋な猫だった。


 Bluetoothイヤホンを耳に嵌めて、ある単語を検索する。

 お気に入りのその曲を聴き入りながら、腕を組んで背もたれに背を預ける。


 こんな気持ちになるくらいなら出会いたくなかった、だなんてそんなひどいことを言いたくはない。


 自分の思いを聞かなければよかった、だなんて後悔は一つもない。


 これが現実だ。今までが上手くいきすぎていた夢だっただけで、ちゃんと現実が回帰してくれた。


 どこにでもいる異性の一人に執着してしまうのは、心から愛された経験がないからだ。

 恋愛なんて重要ではないことにキャパを取られたくはないけれど、一度覚えてしまったら忘れることは難しい。


 誰でも経験できることを、俺はまだ知らない。


 ずっと恋愛というものに憧れていたのかもしれない。


 寂しくて、痛くて、苦しい感情はきっと貴重だ。

 彼女がいてくれたからちゃんと経験できた。


 なれば憎んではいけない。己を、そして周囲を、上手くいかない社会を。そこに不満をぶつけても何も残らないから。今自分がすべきことはこの経験から一体何を得られたかを算出し、次に活かすことだ。


 だからちゃんと悔しがれ。

 もっともっともっと悔しがれ。


 惨めさも、矮小さも受け入れて強くならなくては。


 負けるな負けるな今ここで死んでもいい。

 身体が朽ち果てようとも、この悔しさを忘れるな。

 カッコよくなれ。面白くなれ。

 胸を張って自分を主張できる存在になってやれ。



 真剣から逃げてきたんだから、このくらいの覚悟から始めていこう。




 目を瞑り、拳をギュッと握りしめる。





 こうして、二ヶ月という月日が経過した。

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