(24)一見平穏な日常

 店の奥にある診察室で、アメリアは患者の肌の状態を確認していた。そして手早く記録簿に現在の状態を記入すると、目の前の彼女に笑顔で声をかける。


「エルマさん、もう良いので服を着てください。肌の状態は改善していますから、今日からの塗り薬は保湿剤だけで様子を見ましょう。あと、飲み薬は炎症止めの薬は終了して、体質改善の飲み薬だけ続けていきましょうね。今、軟膏を詰めて飲み薬を分包しますから、少し待っていてください」

 上半身をはだけてそれを聞いていたエルマは、安堵した表情できちんと服を着込みながら感謝の言葉を口にした。


「ありがとう、アメリアさん。あなたに診て貰ってから、たちまち治ってきて驚いたわ」

 早速軟膏壺を引き寄せ、棚に整然と並べられた容器の中身を詰め始めたアメリアは、エルマの言葉に溜め息を吐いてから応じる。


「私もエルマさんの皮膚炎の状態を見た時、ある意味衝撃でしたよ……。どうみても金属アレルギーの症状を起こしている所に、なんであんな強い薬を塗りたくっているんだと思って……」

「まさか、イヤリングとかネックレスとかで皮膚がただれるとか、これまで考えた事もなかったわ。これまで診てもらった薬師は、季節の変わり目で肌が荒れているからこれを塗っておくようにと渡された物を塗っていたけど全然治らなくて、色々薬を変えてみても全然良くならなかったし」

 エルマのしみじみとした口調での台詞に、アメリアは本気で脱力した。


「なんだかもう……、一体どこの薬師なのよ。技量が無さすぎでしょうが……」

「ガイナスさんよ。うちの近所だから、ずっとそこから薬を貰っていたの。でもなかなか治らないと友達に愚痴ったら、少し離れているけどここを紹介してくれたのよ」

「……もの凄く納得しました」

 独り言のつもりが返された言葉を聞いて、アメリアの顔が盛大に引き攣った。するとここで、エルマが思い出したように言い出す。


「そういえばガイナスさんの所、なんか最近変なのよね。少し前に早朝に何か騒ぎが起きたみたいで」

「騒ぎですか?」

「ええ。なんだか警備隊の人達が大挙して押しかけて来て、何か事件かと近所の人達が見物に行ったんだけど、少ししたらあっさり帰って行ったそうで。結局何だったのか分からないのよ」

「それはまた、随分変な話ですね」

 要領を得ない様子でエルマが告げ、アメリアも首を傾げる。


「その後、店が閉まったままになっていて、どうやらガイナスさんが引退して店を閉めるらしいの」

「本当ですか?」

「ええ。息子さんは薬師じゃないし、ガイナスさん達は夫婦で田舎に引っ越すとか聞いたわ。なんでも最近錯乱気味らしくて、言動が怪しいとかなんとか」

 そこまで聞いたアメリアは呆気に取られた。しかし、元々良く分からない人ではあったなと思い返す。


「この前お目にかかった時は、すごくお元気そうでしたけど……。でもまあ、言っている意味がほとんど分からない支離滅裂な事を口走っていましたし、言われてみればそれが予兆だったかもしれませんね……」

「あら、そんな事があったの?」

「ええ」

 そんな雑談をしながらもアメリアは手際よく作業を終わらせ、小分けにした軟膏壺と一回分ずつを折り畳んだ薬包紙の包みを纏めて手渡した。


「お待たせしました。こちらの軟膏は首回りと耳たぶに1日1回寝る前に塗ってください。飲み薬は1日2回、この薬包を1包ずつの服用です。一週間後にまた来てもらって、状態が良ければ終了にしましょう」

「ありがとう。またお願いしますね」

 そこで二人は連れ立って診察室を出て、店内に戻った。


「ラリサ、お会計をお願い」

 声をかけると、接客していたランデルが振り返る。


「分かったわ。次の人に入って貰って良いわね?」

「ええ、お願い」

「それじゃあアデニーさん、どうぞ」

 促されて店内の椅子に座っていた老人が、アメリアに歩み寄った。


「お待たせしました。膝の具合は楽になりました?」

「ああ、なんとか痛みは楽にはなったんだがな」

「じゃあまたこちらで、脚の状態を診せて貰いますね」

 徐々に定期的に通う客も出てきており、アメリアの薬師としての活動は軌道に乗りつつあった。





「お大事に!」

 また一人患者を見送り、人が途切れた店内で、アメリアは溜め息を吐いた。それを見たランデルが、不思議そうに声をかける。


「アメリア、どうかしたの?」

 その問いかけに、アメリアは首を傾げながら言葉を返した。


「う~ん、ガイナスさん達が乗り込んできた時はどうなる事かと思ったけど、あれ以来何もなくて拍子抜けと言うか……。さっきエルマさんから聞いたんだけど、ガイナスさんの所が閉店するらしくて。夫婦で田舎に引っ越すとかの話も出ているみたいだし」

 それを聞いたランデルは、思わず素で笑った。


「あら、そうなの。それは良かったんじゃない? それでこっちにちょっかい出してくる気にもならなかったんでしょう」

「それはそうだと思うけど、どうにもすっきりしないのよね……。他にも二人来ていたのに、そっちも音沙汰がないし」

「ガイナスさんが廃業するって事は、この地区の薬師組合長も代替わりするって事でしょう? 今度の人は、もう少し物分かりが良い人だと良いわね」

「そうね。そうだったら良いな」

 そこでその話は終わったが、実は彼女達の知らない所で、事態が意外な方向に転がり始めていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る