(14)想定外の事態

 薬師所を開設して、十日程経過したある日。アメリアは昼下がりに店を閉め、買い出しに出かけた。


「まだ在庫はあるけど市場把握を兼ねて、少なくなってきた物を購入してこよう」

 さすがにまだ客はまばらに訪れるだけで、在庫の減りは微々たるものではあったが、アメリアは今のうちに薬の原料の確保先を把握しておこうと考えた。そして大きめの籠を手に提げ、地図をもう片方の手で持ちながら乾物商の店舗を目指す。


「ここね。兄さんに調べておいて貰った通りだわ」

 複数リストアップされた店舗の中で、家から一番近い店に辿り着いたアメリアは、迷わずドアを押して店内に入った。そこには独特の雰囲気と香りが満ちており、慣れ親しんだそれに、自然と彼女の気持ちも上向く。


「お嬢さん、いらっしゃい。何が必要かな?」

 店主らしい初老の男性から穏やかに声をかけられたアメリアは、考えておいた内容を迷わず口にした。


「ええと……、ナーレグの葉と、トラゾンの樹皮、アリシェスの根とルベリウムの実、それからロレンの茎です。全部ありますか?」

「あ、ああ……、勿論、揃ってはいるが……」

「良かった。それじゃあここに欲しい分量を書き出してきましたので、この量を売ってください」

 アメリアが購入希望の品名を口にすると、愛想の良かった店主の顔が微妙なものに変化した。そしてアメリアが差し出したメモに目を落とした彼は、再び顔を上げて警戒するような眼差しを彼女に向ける。


「あんた……、どこの薬師に頼まれてきたんだ?」

「誰にも頼まれていませんよ? 私が自分で使いますから」

「それじゃあ、あんた薬師なのか?」

「はい、そうですけど。それが何か?」

 どうしてそんな事を一々尋ねられるのだろうと、アメリアは怪訝に思った。するとそんな彼女に向かって、店主が素っ気なくメモを突っ返してくる。


「悪いが、あんたに売る物はないな」

「はぁ? さっき、全部揃っているって言いましたよね?」

「揃っているが、あんたに売る分は無いって言ってるんだよ。他を当たるんだな」

 心底嫌そうに言い返した店主は、メモを受け取らないアメリアに業を煮やしたのか、それから指を放して床に落とした。そんな扱いを受けて、さすがにアメリアが非難の叫びを上げる。


「ちょっと待ってください! どういう事ですか!?」

「話は終わりだ。とっとと帰んな。あんたは客じゃない」

「何ですって!? 人を馬鹿にするのは止めて貰えませんか!? ちゃんと代金だって持ってますよ!?」

「幾ら金を持っていようが、あんた相手に商売するつもりは無いって言ってんだよ。思った以上に頭が悪いな」

「何ですって!?」

 本気で憤慨したアメリアだったが、店主はそんなアメリアを無視し、他の女性に愛想よく声をかけた。


「すみません、お待たせしました! ご注文はなんでしょうか?」

 しかしその女性は、自分の横に怒り心頭のアメリアがいることで、遠慮がちに応じる。


「いえ、あの……、この人がまだ……」

「あ、こいつは客じゃないのでお構いなく」

「そうですか?」

 困惑気味の女性からアメリアは視線を逸らし、床に落ちたメモを素早く拾い上げた。そのまま憤然として、その店を出る。


(なんなの、なんなのあの店主!! 私に売る分が無いってどういう事よ!? 良いわよ! あんな店、こっちだって願い下げよ!! 乾物商はここだけじゃないんだから!! 他で買ってやるわよ!!)

 こんな失礼にも程があるところ、二度度くるかと心の中で叫びつつ、アメリアは鼻息荒く次の目的地に向かった。



 ※※※



「うぅ……、まさか国を出てからこんなに早く、救援要請をすることになるなんて……」

 結局、複数の乾物商から門前払いされたアメリアは、その日の夜、壁に掛けてある鏡に向かって泣き言を漏らした。その背後でサラザールが、如何にも悔しげに呟く。


「すまん、アメリア……。役に立てなくて……。馬鹿な人間を締め上げて解決するなら、幾らでもしてやるが……」

「これは本当に、兄さんが気にする事じゃないから! 完全に、私が下手を打ったからだし!」

 鏡の縁に手を触れながら、アメリアは慌てて振り返りつつ兄を宥めた。するとアメリアの姿を映していた鏡の画像が歪み、この場に存在しない人物の声が室内に伝わってくる。


「おーい、アメリア? ちゃんと繋がってるか?」

 その呼びかけに、アメリアは慌てて鏡に向き直った。すると霧が晴れるように鏡がアメリアではない、他者の顔を映し出す。


「あ、ランデル! 聞こえてるわよ? 良かった、ちゃんと映ったわ」

 竜の国を出る時に色々持たされた餞別の一つで、魔術を用いた通信用の鏡が、魔力の少ない自分でもきちんと起動できたことで、アメリアは安堵の表情になった。しかし長い付き合いのランデルは、怪訝な面持ちで尋ねてくる。


「いきなり連絡があって、驚いたぞ。正直、寂しくなるのはもう少し先かと思っていたんだが。それともサラザールの奴が馬鹿をやって、愛想を尽かしたのか? それならあいつを回収に行ってやるぞ? 遠慮するな。俺とお前の仲だ」

 その物言いに、サラザールがアメリアの背後から憤然と会話に割り込む。


「俺がどんな馬鹿をしたと言うんだ。ふざけるな」

「だけど、まだエマリール様のところや、じいさんや師匠たちの所にアメリアから連絡が入った話が広まっていない。もしかしなくても、俺が第一号ってことじゃないのか? エマリール様達には知られたくない、変なトラブルの気配がするのは俺の気のせいか?」

「…………」

 探るような視線を向けられたアメリアとサラザールは、答えに窮した。しかし黙ったままではいられないと覚悟を決めたアメリアは、鏡の向こうに向かって頭を下げる。


「気のせいじゃないの、ごめんなさい! 母様やお師匠様達には内緒で、薬の材料を手配して欲しいの! お願い! お金はきちんと稼いで、迷惑料込みで払うから!」

「エマリール様やじいさん達には内緒で、か……」

 アメリアの薬師としての師匠であるリドヴァーンの孫であり、彼女の修行の初期には事細やかに面倒を見ていた彼は、すぐに彼女が面倒な事態に陥っているのを察した。しかしこの場で問い質すのは避け、すぐに行動に出る。


「まあ、良いさ。必要な物と量を教えてくれ。そっちに届けるのは三日後で大丈夫か?」

「うん、まだ十分余裕があるから大丈夫! ランデル、ごめんなさい!」

「良いさ。可愛い妹弟子の頼みだからな。他の皆には内緒で、適当な理由をつけてそっちに行く。その代わり……、そっちに行ったらきちんと状況説明をしてくれるよな?」

「……勿論、洗いざらい話すわ」

「よろしい」

 項垂れながら約束したアメリアに、ランデルは満足そうな笑みで応じた。そしてアメリア達が幾つかの会話を交わした後、鏡は何事もなかったかのように、元通り室内の風景を映し出していた。 

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