(10)再度の誓い
真面目にその日の勤務を終えたサラザールは、自宅に入るなり漂ってきた食欲をそそる匂いに、機嫌良く足を進めた。
「ただいま。何か良い匂いがするな」
その声に、アメリアは振り返って笑顔で彼を出迎える。
「お帰りなさい。もう夕飯は準備してあるから、すぐ食べられるわ」
「悪いな。食材や調味料で足りない物は無かったか?」
「一通り揃っていたから大丈夫。でも兄さん、昨日も思ったけど、本当に料理とかもしていたのね」
使い込んだ調理器具、きちんと補充されている調味料など、昨夜から感心していたアメリアは率直に感想を述べた。するとサラザールが、どこか遠い目をしながら口にする。
「こっちに来る前に、『人として生活しても違和感がない程度に、身の回りの事をできるようにしておけ』と母上に厳命されて、城の奥向きの連中に徹底的にしごかれたからな……」
「なんか、色々ごめんなさい」
「別に気にするな。というか、随分気合を入れて作ったな」
台所に入りながら、サラザールは少々強引に話題を変えた。視線の先に妙に品数が多い料理が存在していた故の台詞だったのだが、それを聞いたアメリアの顔が微妙に引き攣る。
「それは、その……。気を紛らわせるために、つい色々作ってしまったというか。そんな事で現実逃避しても、仕方がない事なんだけど……」
「どうかしたのか?」
「うん、まあ、ちょっと。取り敢えず、食べましょう。食後にお茶を飲みながら、今日会ったことを洗いざらい話すから」
(何だ? 妙に、歯切れが悪い物言いだったが……。一体、何があった?)
こういう時は何か隠し事をしている時だと分かっていたサラザールだったが、無理に聞き出そうとはしなかった。それから二人で夕飯を食べ始め、アメリアが挨拶に回った近所の話やサラザールの職場の話などをしながら、楽しくひと時を過ごす。そして表面上は問題なく食べ終えてから、アメリアは二人分のお茶を淹れた。
「さて……、食事も美味しく食べたし、本題に入りましょうか」
二人の目の前にお茶の入ったカップが置かれると同時に、アメリアは重々しい口調で話の口火を切った。その常とは異なる緊迫した面持ちに、サラザールの表情も引き締まったものになる。
「アメリア。今日、何かあったのか? 今日は薬師所の開設準備をすると言っていたよな?」
「……兄さん。『医師』って職業を知っている?」
「は? いし? 職業? 何の事だ?」
本気で当惑した兄に向かって、アメリアは深呼吸をしてから昼間に起こった一部始終を語り始めた。
「……というわけで、ルーファさんとエストさんから話を聞いた後、ここに戻って来てから、ちょうど店の外に出て来たシェスカさんを捕まえて、さり気なく尋ねてみたの。シェスカさんも同じ内容の話をしていたし、皆が結託して私を騙す理由も無いだろうし、本当の事だと思う」
「………………」
淡々と順序立ててアメリアが語っていくにつれて、サラザールの顔から表情が抜け落ち、次いで項垂れ、最後には両肘をテーブルに付いて両手で顔を覆った。そしてアメリアが話し終えると、その場に不気味な沈黙が漂う。
「…………すまん、アメリア」
少ししてサラザールが、顔を手で覆ったまま呻くような声で謝罪の言葉を口にした。アメリアはそんな兄に、慰めの言葉をかける。
「うん、良いの兄さん。兄さんのせいじゃないし、この間、こちらの情報を集めてくれていた密偵さん達の落ち度でもないわ。人間の国に出向いて密偵をするくらいの人達なら、それなりに頑強な健康な人だと思うもの。滅多に体調を崩したり怪我なんかしないし、万が一そんな不測の事態になったらすぐに帰国して養生するだろうと思う。薬師が営む店が合って、竜の国で扱っている薬と同じものがあって、普通に患者が出入りしていれば、竜の国の薬師と薬師所と同じだと思うわよ」
「それにしても、まさか医師なんて職業が存在しているとは……」
ここで漸く顔から手を放し、顔を上げたサラザールは、疲れたように深い溜め息を吐いた。それにアメリアは、軽く首を振りながら応じる。
「医師の治療費は高額だし、自然に貴族街や高級住宅街に拠点を構えている場合が多いみたいだから……。こういう庶民の生活圏には、殆ど存在しないらしいわ。それで兄さんや他の皆も、認識していなかったと思う」
「確かに、そうかもしれないが……。こんな事が母上に知られたら、下手をすると殺される……」
「ちょっと兄さん! 幾らなんでも、大げさすぎるわよ!?」
「そうだな。『この未熟者が!!』と罵倒された上で、死ぬ一歩手前まで痛めつけられるだけだな……」
「…………」
半ば自棄気味に苦笑したサラザールを宥めようとしたアメリアだったが、意外に厳しい面がある母を思い出し、何ともいえない表情になった。しかしすぐに気を取り直し、自分自身に言い聞かせるように宣言する。
「とにかく、竜の国とこちらでは薬師の意味合いが微妙に違って、制度も違うというのが判明したわけだから。それなりに、折り合いをつけてやっていくしかないわ」
その決意表明に、サラザールは若干慌てながら口を挟んだ。
「おい、アメリア。本気か?」
「勿論、本気よ。多少立場が変わっても、病人や怪我人を治すのは違いはないわ」
「だが……、切開行為はできないんだろう?」
「そこは注意するわ。他から難癖をつけられたくないし」
「それから、薬師組合とやらはどうするんだ?」
「それなんだけど……。何をやっているか分からない、どんなメリットがあるか分からない組織に、進んで入りたいと思わないわ。当面は様子を見るつもり」
「そうは言っても……、組合に入らないと薬師としての活動ができなくなるとか、そういう事ではないのか?」
思いついた懸念を、サラザールは口にしてみた。それにアメリアが、即座に反応する。
「あ、それについては解決しているの。私もその辺りが心配になって、ルーファさん達に聞いてみたのよ。そうしたら、王都とかだとかなり珍しいけど、田舎の方では組合に加入せずに働く薬師もいるそうよ。因みにそういう人達を、組合に入っている薬師が『はぐれ薬師』と蔑んでいるらしいけど。……ムカつく事を思い出したわ。私だけならともかく、師匠まで一括りにするなんて許さないわよ」
アメリアの声に、怨嗟の響きを感じ取ったサラザールは、冷静に彼女を宥めた。
「ええと……、アメリア。取り敢えず、落ち着け」
「ごめん、兄さん。それでその話の後、エストさんが『念のため、法定文書確認所で認定書を作って貰うか』と言い出して、『薬師としての活動要件に、薬師組合加入は必須ではない』という内容の認定書を作成してもらう事になったの」
「法定文書確認所と言うと……、一般の紛争や裁判が増えないように、予め法律内容を確認してお墨付きを貰うところか」
「そう。そこの事よ」
該当する場所の事を思い返しながら、サラザールが独り言のように呟く。それにアメリアは頷いてから話を続けた。
「そこでの文書作成には当然費用がかかるけど、エストさんが支払ってくれることになったの。最初はからかい倒してきたのに、最後では『王都暮らしは大変だと思うが、頑張れ』と、もの凄く憐れむ視線を向けられて……。ありがたいし申し訳ないのは確かなんだけど、なんだかもの凄い屈辱感がひしひしと。あんな目を向けられるくらいなら最後までからかわれていた方が、遥かにマシだったというか、なんというか!」
段々憤然としてきたアメリアを、サラザールは再度宥めながら問いを発した。
「ああ……、うん。それはなんとなく分かるが、向こうは厚意でしてくれたのだろうし、そこら辺にしておけ。ところで、さっきから話に出ているルーファとエストって奴は、ギブズ人材紹介所に登録している用心棒だと言っていたな?」
「そうよ。それがどうかした?」
「……なんでもない。それより、予定通り薬師所は開設するんだな?」
「当然よ! こうなったら、意地でも薬師として自立してみせるわ! こんな事で全く働きもせずに逃げ帰ったら、母様や皆に合わせる顔がないもの!」
「いや……、皆、嬉々として迎え入れると思うが」
「兄さん、何か言った?」
「……なんでもない。独り言だ」
全くくじけない、意気軒高なアメリアの様子に安堵しつつも、前途多難としか思えない今後を思って、サラザールは深い溜め息を吐いたのだった。
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