(3)カルチャーショック


「それじゃあ今日から、本格的に働くための準備をしましょうか! とは言っても、兄様が店も備品も揃えておいてくれたし、大した準備はないけどね」

 王都にやって来た翌朝。朝食を済ませたアメリアは、意気軒昂に宣言した。それを見たサラザールは、既に警備隊の制服に着替えていたにもかかわらず、出勤を渋る表情になる。


「なあ、アメリア。お前は昨日この街に来たばかりだし、もう少し俺が付いていようか? 色々と心配なんだが……」

 本気で心配していると分かる顔つきに、アメリアは本気で呆れた。


「兄様ったら、朝から何を言ってるのよ。昨日のうちに付近のお店とか必要な事は色々教えて貰ったし、第一お仕事があるんでしょう? 魔術で誤魔化して、サボってばかりいたら駄目でしょうが」

「それはそうだがな……」

「それに、そんなに頻繁に魔術を行使していたら、さすがに周囲に不審がられんじゃない? 数が少ないと言っても、竜の末裔の魔術師はこの国にも存在しているのよね? その人達は大抵王室お抱えになっているパターンが多いと聞いているし、そうなると、この王都にもいるのよね?」

 アメリアの主張に反論できなかったサラザールは、しぶしぶといった感じで頷く。


「……分かった。今日は真面目に仕事をしてくる。だが、帰ってきたら、今日どんな事をして何があったか、きちんと聞かせて貰うからな?」

「はいはい、兄様。分かりました」

「それから、庶民の言い方だと『にいさま』より『にいさん』の方が自然だと思う。昨日から言うのを忘れていたが」

 どうして出かける直前、唐突にそんな事を言い出すのかと、アメリアは溜め息を吐きたくなった。しかし取り敢えず、この兄を送り出すのが優先と思い返し、素直に頷いて応じる。


「分かったわ、兄さん。本当に一人で大丈夫だし、何か困ったことがあったら帰ってきたら相談するから。だから安心して仕事に行って来て」

「分かった。それじゃあ行って来る」

 心配そうに何度も振り返りながら遠ざかる兄を、アメリアは引き攣り気味の笑顔で手を振って見送った。


「朝から疲れた……。昨日も思ったけど、一年離れているうちに過保護っぷりが悪化したみたい。毎朝こんな調子だと困るなぁ。それに、そんなに信用ないのかしら?」

 人並みに紛れてサラザールの姿が完全に見えなくなってから、アメリアは手を下ろしつつ憮然とした表情で愚痴を零した。しかしすぐに気を取り直し、やるべき事に取りかかる。

 最初に店の看板を設置すると決めていたアリシアは、師匠であるリドヴァーンから餞別として持たされていた木製の看板を荷物から引っ張り出した。そして梯子とともに、それを店の外に運ぶ。壁に設置してある金具の幅と大きさは予めサラザールから伝えられてあり、そのサイズに合わせて作られた看板の穴はピッタリとそこに収まった。


「これでよし、っと。うん、上出来。予め、作っておいて貰って良かった。師匠、ありがとうございます」

 壁に立てかけた梯子を下り、設置したばかりの看板を見上げながら、アメリアは満面の笑みで頷いた。すると唐突に、背後から声をかけられる。


「へぇ? 《アメリアの薬師所》ねぇ……。薬師所って、要するに薬店のことかい?」

 その問いかけに、アメリアは反射的に振り返りつつ答えた。


「え? あ、はい。薬師所の事を、こっちでは薬店って言うんですよね? でも多少呼び名は違ってもする事は同じなので、多少名前は違っても良いかと思ったので。ところで、どちら様ですか?」

 目の前にいた四十代半ばに見える女性に、アメリアは不思議そうに尋ね返した。するとその女性は、微笑みながら自己紹介してくる。


「ああ、ごめんね? いきなり不躾に声をかけたりして。あたしは隣に住んでるシェスカだよ。仕立て屋をやってるんだ。しばらく空き店舗だったここの表で、朝から何やらやっているのが見えたからね。ちょっと様子を見に来たんだよ」

 それを聞いたアメリアは、慌てて頭を下げた。


「あ、そうだったんですね。初めまして、昨日からこちらに引っ越してきたアメリアです。ご挨拶が遅れて、申し訳ありません。これからここで、薬師として働きます。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。これまで近所に薬店が無かったから、色々と助かるよ。でも女の薬師なんて珍しいね。さっきも『こっちでは』とか言っていたけど、薬店以外の呼び方をしている場所があるなんて初めて知ったよ。どこから来たんだい?」

 その問いかけは予想していたものであり、アメリアは冷や汗を流しながら準備しておいた答えを口にしてみる。


「あの……、ええと……、その、凄い田舎の方から来たので、地名を聞いてもシェスカさんには分からないかもしれません……」

「そう言えばサラザールも、そんな事を言ってたねぇ……。近々妹を呼び寄せるとは言っていたけど、薬師とは聞いていなかったからさ。薬師と言えば男だとばかり思っていたから」

「……そうなんですか?」

「ああ。薬師なら、どこかの薬師に弟子入りして修行したんだよね? 女の弟子を取る薬師なんていたんだねぇ……」

「あの……、兄さんが言葉足らずで、驚かせてしまってすみません。他にも何か色々、周囲の皆さんにご迷惑をかけたり驚かせてしまったりしまった事はなかったでしょうか?」

(兄様、ごめんなさい! だけどこのまま話を続けていたら、どんどん怪しまれそうなんだもの!?)

 ちょっと強引に話題を変えてみたアメリアは、心の中で兄に詫びた。するとシェスカが、予想外にその話題に食いつく。


「勿論、色々あるさ! どこの世間知らずの坊ちゃんだよって突っ込みまくった、抱腹絶倒の話がね! 聞きたいかい? どうせ妹のあんたには、失敗談なんて一切聞かせてないんだろう?」

「聞いていませんね……。それでは、追々聞かせていただければ……」

「それじゃあ互いに時間がある時に、じっくり聞かせてあげるから楽しみにしておいで」

「はぁ……。楽しみにしています……」

(ちょっと兄様!? 今までここで、一体何をやらかしてたのよ!?)

 別な意味でもの凄く不安になってしまったアリシアだったが、続くシェスカの台詞に本気で当惑した。


「ところでアメリア。昨日ここに来たのなら、今日にでも薬師組合ギルドに挨拶に行くのかい?」

「はい? あの……、薬師組合に挨拶って?」

「え? だって薬師なら薬店を営む前に、薬師組合に入っておくのが普通だろう?」

「何ですか、それ?」

「何ですか、って……」

 全く聞き覚えのない言葉に怪訝な顔になったアメリアと、それ以上に当惑顔になったシェスカが、互いの顔を凝視する。

 少しの間二人の間に沈黙が漂ってから、シェスカは掻い摘んでアメリアに必要な事を教え、自分の店に戻って行った。





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