(6)夫婦円満の秘訣
その場に居合わせた全員の視線を浴びながらザルシュは少しだけ逡巡していたが、結局アメリアに倣って両膝を折って座り、更に両手を床について軽い前傾姿勢になった。
「その……、エマリール。以前の発言は、本当に悪かった。それに、お前の相手が年上だという事実だけで頭ごなしに反対したのも、褒められたことではなかった」
「…………」
神妙に俯きながらザルシュが口にした内容を聞いて、エマリールが無表情のまま軽く片眉を上げた。すると母親の様子を凝視していたアメリアが、鋭い声を上げる。
「母様! 王様、踏んじゃ駄目! 今、王様を踏もうとしてたよね!? スカートがピクッとしてた! 泥棒さんみたいに、王様が床にめり込んじゃう!」
「…………」
それを聞いてもエマリールは無言のままだったが、ここで穏やかな声が割り込んだ。
「アメリア、安心なさい。あなたのおうちの床は板だからめり込んだでしょうが、ここの床は石だから大丈夫よ。めり込んだりしないわ」
「あ、うん……。そうなんだ……」
笑顔で断言してきたラリサに、咄嗟に反論できなかったアメリアは一応頷いてみせた。しかし近くにいた兄を振り返り、小声で尋ねる。
「え、ええと……、兄様? 大丈夫、なの?」
「まあ……、確かに、床に頭はめり込まないだろうな……。床か額が割れるだけだ」
「全然大丈夫じゃないよ!」
どこか遠い目をしながらのサラザールの説明に、アメリアが顔色を変えた。しかしラリサは、夫に対して全く容赦がなかった。
「それに、あなた。先程のアメリアの見本より、遥かに頭の位置が高いですわよ? アメリアを見倣って、さっさともっと頭を下げなさい!」
「ぐおっ!」
「ひっ! お、おばあちゃん!?」
声高に叫ぶと同時に、片足を上げたと思ったら勢い良く夫の背中を踏みつけたラリサを見て、アメリアは度肝を抜かれた。そんな彼女を穏やかな笑顔のまま見下ろしながら、ラリサが言い聞かせてくる。
「アメリア。さっきは、エマリールを止めてくれてありがとう。皆の前で娘に踏みつけられたりしたら、親としても国王としても、この人の威厳は崩壊しますからね」
「あの……、ええと、でも……、おばあちゃん?」
「ああ、心配しないで? 子どもに踏まれるのは駄目だけど、妻に踏まれるのは大丈夫なのよ。アメリアは知らなかった?」
「……え? えぇ?」
王妃から背中を足で力一杯押さえつけられている事で、今にも床に頭をつけそうになっている国王の姿に、その場全員が物も言えずに固まっていた。勿論アメリアも激しく動揺していたが、ラリサは真顔で主張を続ける。
「勿論、常にするのは問題だけど、時折旦那様が妻のお尻に敷かれたり足蹴にされる行為は、夫婦円満を保つために必要なことなの。これは竜であろうが人間であろうが夫婦間では変わらないことだから、きちんと覚えておきなさいね?」
「えっと……、うん」
ここで再びアメリアは素直に頷いてから、サラザールに意見を求めた。
「……兄様、おばあちゃんの言った事は本当? 母様は兄様のお父さんをお尻に敷いたり、踏んだりしていたの?」
その問いかけに、サラザールは記憶にある両親の姿を思い返しながら、正直に答える。
「誤解のないように言っておくが、実際に敷かれたり踏まれたりはしていない。だが夫婦の力関係で言えば、大抵は母上が主導権を握っていたのは確かで」
「サラザール。何をごちゃごちゃ言っている」
「……いえ、何も言っていません」
エマリールからの鋭い突っ込みに、サラザール母親から視線を逸らしながら口を閉ざした。その間に、状況が更に悪化する。
「さあ、あなた。さっさと先程のアメリアみたいに、床に頭をつけて謝罪なさい」
もはやラリサは、体重のほとんどと魔力を込めて夫を押し潰さんとしていた。それを見てアメリアは顔色を悪くし、サラザールはどこか達観したような表情で呟く。
「王様、すぐにもっと謝って! 母様だけじゃなくて、おばあちゃんにまで怒られちゃう!」
「もう既に、怒られているがな……。知らなかったな、お祖母様がここまで苛烈な性格だったなんて……」
そこで色々諦めたのか、ザルシュが額を床につけながら室内に響き渡る大声で娘に謝罪した。
「すまなかった、エマリール! 二度と彼に関して、不愉快な言動はしないと誓う! 頼む! 戻って来てくれ!」
するとあからさまに不機嫌な顔つきだったエマリールが、さすがに母親に踏みつけられたままの父親を不憫に思ったのか、溜め息を吐いてから冷えきった声で確認を入れてくる。
「……そこまで言って、万が一約束を違えたら、どうなるか承知の上での発言か?」
「勿論だ」
「了解した。これまでの諸々は水に流す。城にも戻るが、サラザールとアメリアも一緒だ。まさか異論はあるまいな?」
「異論はない。お前が人間の娘を育てていると報告を受けた時は驚いたが、それなりの事情があるのだろう。お前の判断に、口を差し挟むつもりはない」
「結婚相手については、盛大に口を挟んできたがな」
「…………」
国王である父親に対して相変わらず辛辣な口調のエマリールに、周囲は肝を冷やした。しかし長年父娘の諍いを目の当たりにしてきたラリサは、何事も無かったかのように周囲に笑顔を振り撒く。
「エマリール、嫌みを言わないの。さあ、それではザルシュの誕生祝いと、エマリールとサラザールの帰還祝いと、アメリアの歓迎会を始めるわよ。すぐにテーブルやお料理を持ってきて頂戴」
「はい!」
「ただいますぐに!」
ラリサから指示されたことで、これまで壁際に真っ青な顔で控えていた使用人逹が我先にと動き出し、室内は一気に緊張が解れて和やかな空気になった。
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