任務と現実
時の流れは歩みを止めず、未来に向かう若人たちも、確かな成長を遂げていく。
リックたちが訓練生になって一年が過ぎようとする頃、いよいよ彼らにも、
強い日差しが、忙しく動き回る人々を照り付けている昼下がり。先輩隊員を先頭に、エドガー、シエラ、オストロの三人は、西の大通りを進んでいた。四人とも行商人に変装をし、荷物を載せた台車をエドとオストロが押している。今日は全員が警備任務を担当する日で、リックとリリアはリザと共に、王都を東回りで巡回することになっていた。
「—それにしても、あの二人、大丈夫っすかね?」
エドガーと並んで台車を押していたオストロが、やぶから棒にそんなことを呟いた。エドガーが、リックたちのことか、と尋ねると、不安そうにオストロが頷く。
「リリー、緊張せずに出来てるんすかね? 風の長がいるとはいえ、リックと二人とか」
エドガーは彼が何を心配しているのかが分からず、一緒だとまずいのか、と疑問を口にする。オストロが、え、という顔をした。シエラは彼が何を心配しているのか分かっているようで、確かにね、と神妙な顔で頷いた。
「リリー、緊張してなきゃいいけど」
エドガーだけが会話に付いていけず、二人の顔を交互に見た。
「おいおい、一体何の話をしているんだ? 隠し事なんて、気持ち悪いじゃないか⁉」
エドの言葉に、オストロもシエラも一瞬キョトンとして、もしかして、ほんとに気付いてないの、とシエラが尋ねる。エドガーはなんだか馬鹿にされている気がして、だから何に、と苛立ちを覗かせた。オストロとシエラは、二人して大きなため息を吐く。
「そんな感じはしてたけど、エド、リリーがリックを意識してたことに気付いてた?」
今度はエドガーがキョトンとした顔になったが、すぐに驚きの表情に変わった。と同時に、彼の手が台車から離れ、一気に台車の重さを押し付けられたオストロが、ひょ、と喉の奥から変な声を出した。その声に反応して、先輩隊員が後ろを振り返ったので、エドガーは慌てて再び台車を押し始める。
「そういうことか…。でも、いつから? みんなでいる時は、普通だったじゃないか?」
声を潜めて言うエドガーに、オストロは勝ち誇ったように、鈍いっすね、と馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「リリー見てたらすぐ分かるでしょ⁉ 視線がよくリックを追ってるし!」
自信満々なオストロの答え。しかしエドガーは納得していないのか、そういうものか、という表情でシエラに視線を向ける。彼女も、たぶんね、と頷いた。
「それとなくだけど、確かにあの子、よくリックを見てるよ。というか、本人の口からそれっぽいこと聞いたし。言っていいのか分かんないけど」
さらっと秘密を暴露するシエラ。憶測での噂話は良くはないだろうとは思ったが、好奇心が勝り、エドガーは黙っていることにした。オストロの方は興味津々といった感じで、どんな事言ってたんすか、とシエラに続きを促す。
「最近は忙しいし、リリーと二人でゆっくり話すことはないんだけど、前はよく、夜にあの子の部屋で話してたんだ―」
それは、入隊して一か月ほどが過ぎたある日の夜のこと。
シエラはリリアの部屋を一人で訪ねた。講義で分からない箇所があり、それを聞きに来たという口実だったが、本心ではもっとリリアと仲良くなりたいという想いがあったという。突然の訪問に、リリアは戸惑った表情を浮かべたが、シエラと室内へ交互に視線を動かし、少し散らかってるけど、と部屋に通してくれた。それまではリリアの人見知りも災いし、シエラは彼女に対して、あまり人に関わりたくないのかと思っていたそうだが、リリアはシエラが理解できるように懇切丁寧に教えてくれたらしい。
「ありがと! すごく分かりやすかった! 本もいっぱい持ってるし、勉強好きなの?」
一通り気になる箇所を聞き終え、シエラはリリアに尋ねた。各部屋の調度品は一律だったが、リリアの部屋には彼女の私物であろうたくさんの書籍が、本棚だけでなく机の上にも何冊も積み上げられていたからだ。散らかった部屋を見られた恥ずかしさか、褒められた嬉しさか、リリーは俯きながら頷いた。
「う、うん。て言っても、ほとんど実家の診療所から借りてきた医学の本だし、内容も私には難しいものばかりで、まだ全然読めてないんだけど…」
そこで、始めて勉強以外の話がリリアから出てきたこともあり、シエラはこの機会に思い切って、リリアのことを聞いてみることにしたという。故郷や家族のこと、好きなことや、苦手なもの、趣味、将来のことなど、その日は色々なことをお互いに話したという。
シエラはどっちらかと言えば、明るく快活な性格をしているから、男女を問わず、大抵の人とはすぐに仲良くなれてしまう。しかし、リリアほどの人見知りには会ったことが無く、正直どう接すればいいのか迷っていたことを、彼女に打ち明けた。
「性格も全然違うし、どう接していけばいいのかなって。しつこく話しかけちゃうこととか、今日だっていきなり押しかけちゃったり。…今更だけど、嫌じゃなかった?」
恐る恐るといった感じで、シエラがリリアに尋ねる。しかし、彼女はぶんぶんと首を横に振って、そんなことない、といつになく大きな声で否定した。
「口下手な私に話しかけてくれたり、みんなと話すきっかけを作ってくれたりしてくれているの、分かってるから! すごく嬉しいよ! むしろ、そこまでしてもらって申し訳ないというか…」
思ってもいなかったリリアの告白に、シエラが驚いた表情になった。と同時に、彼女は急に気恥ずかしくなり、お節介じゃなくてよかった、とはにかんだ笑みを浮かべる。その後で、何かを思いついたように手を打った。
「今度からみんなも誘って、勉強会しようよ! 休日の夜なら、時間もあるだろうし!」
はしゃいだようなシエラの声に反して、リリアは戸惑った表情で、迷惑じゃないかな、と眉根を寄せる。しかし、シエラは、大丈夫だって、と彼女の肩を軽く叩いた。
「オストロは頭悪そうだし、絶対賛成するわ。勉強が出来るエドガーは分かんないけど、リックは賛成してくれそうじゃない?」
シエラの一方的な見立てではあったが、リリアも少し考えてから、ぎこちなく頷いた。
「…確かに、リッキンドルさんは優しいから、一緒にやってくれそう。私たちが知らないこともいっぱい知っているし。…もっと、仲良くなりたいな」
事の顛末を聞き、エドガーは、あの勉強会にそんな経緯があったのか、と呟いた。しかし、納得はまだ出来ないようだ。
「でも、だからってリリーがリックを好きっていうのは、どうかな? 確かに、僕ら勉強会がきっかけで仲は良くなったけど…」
話を聞いても、エドは二人の見立てが野次馬根性のような気がしなくもなかった。
「うーん。まあ、ハッキリ好きって言ったわけじゃないけど、何となく、その時のリリアの表情見てたら、そうかもしれないなって」
シエラ自身も、あくまでも想像の域を出ないという感じなのだろう。オストロはこういった話を面白がる質なのか、いやいや絶対そうっすよ、と楽しげだ。
「おい、お前たち! 無駄話をしていないで、周囲にも気を配っておけ!」
その時、先を歩いていた先輩の隊員が、小さいが怒気を孕んだ鋭い声を上げた。三人とも肩をびくりとさせ、はい、と返事を返した。
そんなことを話題にされているとはつゆ知らず、リックとリリアは、リザと共に東の大通りを進んでいた。三人とも地味な色合いの服を着て、市井の人々に紛れていた。ちなみに、リリアは銀色の髪を束ねてフードを被り、リザに至っては変装用のカツラをつけ、買い物かごまで用意していた。彼女曰く、どこからどう見ても親子、だそうだ。リックは王宮を出る時は心配だったが、案外、彼女が言った通り、周囲に馴染めている様子で安心した。もっとも、人々がそもそも他人にあまり関心が無いのかもしれないが。
彼らは東の大通りから住宅街を通って北側に向かい、スラム街をぐるりと回って王宮に戻ることになっていた。相変わらずの人通りの多さだが、この半年間の生活を通して、リックもリリアも王都の喧騒には慣れていた。リザに遅れることなく、人混みの中でもすいすい進んでいく。常に周囲に気を配ること、と言われていたこともあり、リックは不自然にならない程度に左右に視線を振っていた。リリアも同じように周囲を気にしているようだったが、どこか上の空というか、時々視線が遠くを見ている。
「リリー、どうかした? 知ってる人でもいたの?」
気になったリックが小声で声を掛けると、リリアはさっと顔を逸らし、何でもない、とそっぽを向いてしまった。
だいぶ打ち解けたと思っていたけど、よく考えたら二人だけでいることはあまりなかったし、気やすすぎたかな、などと思って、リックは一人肩を落とした。それに気が付いたリザが、どうした、と声を掛けるが、何でもないです、とその場は慌てて取り繕う。
そうこうしているうちに、三人の足は大通りから東側の住宅街へ。民家が並ぶのどかな雰囲気は相変わらずで、リックは久しぶりに、ムーギーとモーイのことを思い出した。最近は忙しくてあまり手紙を出せていないが、元気にしているだろうか。
三人は北の大通りに出てから北門まで歩き、いよいよ、スラム街とされる地域に足を踏み入れた。人通りが急に減り、軒を連ねる建物も、粗末なものが多くなってくる。細い路地に目を向ければ、座り込んでうめき声を上げる浮浪者の姿が増え始めた。
「かぜ―母さん、スラムって昔からあるものなんですか?」
思わず〝風の長〟と言いそうになったリリアが、自分たちの設定を思い出して言い直した。リザは、敬語じゃなくていいわよ、などと冗談を言ったが、すぐに眉根を寄せて語りだす。
「浮浪者が集まり出したのは、シローリアとの戦争からみたいね。歴史の講義で習ったと思うけど、この国の周辺では昔から、たくさんの小国が争って、勃興と衰退を繰り返していたわ。
口調までおっとりとしたものに変えているが、それとは裏腹に、彼女の瞳は鋭く光っていた。リックリリアも、生気を失くし、絶望に沈む人々の様子を目の前にしながら、何も出来ない無力さを感じていた。言葉を無くした二人の様子に、リザも同じことを感じているのか、風の長として呟いた。
「二人とも、この景色を忘れるな。我々の敵は外だけではなく、今もこの国に溢れる絶望や理不尽でもある。その闇を払うために、我々がいるのだ」
歩みは止めず、その言葉には確かな力強さがあった。二人も無言で頷き、警備任務を続けていった。
「—なるほど、スラム街か。確かに、この国が抱える問題の一つではあるな」
エドが難しい顔をしながら、そう言って腕を組んだ。夕食後の談話室で、リックは今日のことをエドガーとオストロに話していた。いるのは男子三人だけで、各々暖炉の前に並べた椅子に体を預けている。
「うん。僕たちには、今すぐ何か出来る訳じゃないんだけどね。レジスタンスの目的も、そう言った格差や腐敗を無くすことなら、気持ちが分からなくはないかなって…」
視察で感じた歯がゆさから、リックはおもわずそんなことを口にする。しかし、エドガーはすかさず、だとしても、と強い口調で反対した。
「暴力に訴える彼らのやり方は間違っている。不正、腐敗は正されて然るべきだけど、何をやってもいい訳じゃない。ましてやテロ行為で、一般市民を巻き込むなんて」
軍人である父親の影響もあるのだろうが、エドガーはこういったことにはしっかりと一線を引いて、卑怯な真似をするものを毛嫌いしていた。もちろん、リックもテロ行為自体は許されるものではないと思っているので、そうだね、と強く頷く。だが、彼らのように行動を起こす者がいる一方で、国を担っていく自分たちが何も出来ないということには、もどかしさが残る。本当の意味で国を守るためには、どうすればいいのか、と。
その時、勢いよく談話室のドアが開いた。突然顔を出したシエラが三人に、リリー見なかった、と首を傾げて尋ねた。三人とも見ていない、と口々に答える。リックはふと、今日一日の彼女の様子がおかしかったことが気になった。
「そう言えば、今日はちょっと上の空だった気がする。夕食の時も一段と口数が少なかったし、体調でも悪いのかな?」
リックがふと思ったことを口にすると、それまで、エドガーとリックの話の内容が難しいからと黙っていたオストロは、急ににやりと笑みを浮かべる。
「リック、もしかしてリリーと何かあったんすか?」
あまりにも直接的な質問に、シエラとエドガーがものすごい形相でオストロを睨みつけた。一方で、リックは昼間リリアにそっぽを向かれたことを思い出し、思わず渋い表情になる。
「特に何かした訳じゃないと思うんだけど、仲良くなるのって難しいね。同年代の友人関係って今までなかったから、僕にはまだまだ奥が深いよ。これも勉強しなくちゃな!」
何か見当違いなリックの答えに、今度は三人の頭に疑問符が浮かんだ。
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