それぞれの道

 図書館での一件があってすぐ、ルーインが言っていた通り、リック達は本格的な魔法の訓練を開始した。基礎訓練を担当していたルーインに加え、定期的にそれぞれの長を交えての実践訓練を重ね、彼らは着実に実力をつけていった。

 一方で、倉庫襲撃を皮切りに、レジスタンスによる軍施設へのテロ行為も活発になっていった。倉庫襲撃時に交戦した水の長と憲兵隊の証言から、彼らが未知の魔法を使える可能性が浮上。また、逃走経路から、王都北部のスラムが拠点ではないかという推測され、大規模な捜索が行われた。しかし、手掛かりらしきものは一切掴めず、彼らが使っている魔法についても、詳しいことは分からなかったままだ。その間も繰り返された襲撃は、必ず犯行は夜間、人の往来が無い時間帯に行われ、突然建物が爆発するというものだった。また、奇妙なのは一貫して、廃棄された施設や不要になった軍の物資を貯蔵している倉庫のみが狙われている、という点だった。彼らの目的が分からないまま、国軍は後手に回らざるを得ない状況が続き、次第に人々の間にも、数か月後に迫った記念式典を危ぶむ声が囁かれ出していた。

 リック達の耳にも、市井の情報は入っていた。何も出来ない歯がゆさを感じながら、彼らは更に力をつけるために訓練に没頭し、早くも三か月が過ぎようとしていた。


「―オストロ、何度言えば分かんだ! 強度が足りてねえんだよ!」

 練兵場に、リースの怒鳴り声が鳴り響く。その足元には、粉々に砕けた岩の破片、土の壁、何かの彫像の一部が散乱している。腕組みをして仁王立ちをする彼から少し離れ、オストロが大の字になって仰向けに伸びていた。

「し、師匠…少し、休憩を…」

 息も絶え絶えのオストロに、リースは、うるせえ、さっさと立て、と罵声を浴びせ、右足で強かに地面を打った。地面が波のように隆起し、そこから生えたいくつもの円柱が、オストロに襲い掛かる。悲鳴を上げたオストロは必死に起き上がると、距離を取るのと同時に魔法を使った。彼の周囲の地面からも、円柱が隆起してリースの攻撃を迎え撃つ。しかし、相殺できたのはわずかで、ほとんどが粉々に砕かれてしまった。オストロに土の塊が直撃し、彼は後方に吹っ飛んだ。リースがため息を吐き、乱暴に頭を掻く。

「お前、反応と生成速度はかなりのものなんだがなぁ。いかんせん、外側だけの模造じゃ何の役にも立たねえ。……とにかく、実践あるのみだな。休んでる暇はねえ」

 リースの眼鏡の奥の瞳が鋭く光り、オストロは声にならない悲鳴を上げた。


 同じく練兵場には、シエラと火の長、ランバルト・メニアの姿があった。シエラを取り囲むように十数本の丸太が円を成し、ランバルトはいつも通りの甲冑姿で、円の外に立っていた。見た目に遭わず、深く落ち着いた声でランバルトがシエラに語り掛ける。

「火は力であり、希望であり、恐怖である。故に、使うものは己の心をよくよく律しなくてはならない。火に呑まれてはならない。いいね、シエラ」

 ランバルトの言葉にシエラは、はい、と返事をして深く息を吐くと、両腕を広げた。彼女の両手に、炎が燃え上がる。ランバルトはマントの内側から懐中時計を取り出す。

「…始め!」

 ランバルトの号令で、シエラが大きく腕を振り、目の前の丸太に火球を放った。ぶつかった瞬間、丸太の上半分が爆発する。シエラはすかさず体を翻し、再び掌に火球を生み出と、次々に並んでいる丸太を燃え上がらせていった。最後の一本が爆発したとき、ランバルトがシエラに向かって、麻袋を放り投げた。シエラが瞬時に反応し、火球が麻袋を捉える。瞬く間に燃え上がる麻袋。その中から、小さな人形が、地面に落ちた。

 ランバルトが人形を拾い上げ、懐中時計に視線を移した。

「前回よりも時間が早くなっている。若さ、成長とは素晴らしいものだな。それに―」

 彼は拾い上げた人形を入念に調べた。包んでいた麻袋は、シエラの火球で灰になったにも関わらず、人形には焦げ跡一つない。

「燃やすべき物のみを燃やす、火の制御も出来るようになったか」

 シエラはランバルトの方に近付いてくると、どうですか、と恐る恐る尋ねた。ランバルトは満足そうに頷く。

「速さ、火力の細かいコントロールは十分だ、よくやった。次の訓練に移ろう」


 所変わって、王宮内の雑木林。木々の間を抜ける風を感じながら、リックが一人で佇んでいた。右手には、普段訓練で使っている木製の剣を握っているが、刀身を包み込むように緑色に光る魔力が渦巻いている。彼はゆっくりと呼吸を繰り返し、神経を尖らせて、注意深く周囲に視線を巡らせる。

「リッーク‼」

 自分の真上から叫び声が聞こえ、リックは咄嗟に頭を上げた。遥か頭上から、エドガーがこちらに飛び込んでくる。リックは身を翻して間一髪で避けたが、エドガーが地面にぶつかった衝撃で、周囲に土煙が舞い上がった。リッに距離を取らせることなく、すぐに体制を整えて攻撃を仕掛けるエドガー。リックは拳や蹴りを紙一重で躱しているが、触れていないはずの彼の肌や服に、小さな切り傷が付いていく。

 どうにか距離を取ろうとしたリックだったが、急に右足が浮き上がり、態勢が大きく崩れた。その隙に、エドガーは渾身の拳をリックのみぞおちに叩き込む。あまりの衝撃に肺からぐっと息が漏れ、リックの身体が後ろに飛んだ。何とか両足を踏ん張り、倒れることは無かったが、彼は苦しそうに激しく咳き込む。エドガーは大きく息を吐き、再び拳を目の前に構えた。彼の拳にも、リックの木刀と同じような緑色の魔力が渦巻いている。

「せっかく足元を掬って隙を作ったのに、拳が体に当たる瞬間に、風の魔法で腹部を護るなんて、流石だな。でも、衝撃全部を相殺出来てはいないようだね」

 エドガーがにやりと口の端を釣り上げて笑った。呼吸を整え、短剣を構えたリックも同じような笑みを浮かべ、まだまだ、とエドガーに向かって突っ込んでいく。二人から少し離れた小屋の前ではリザとルーインが椅子に腰を下ろし、林から響く爆音を聞いていた。

「すでに戦闘訓練とは、少々、気が早いのではないですか?」

 そう言って、ルーインが心配そうに眉根を寄せる。しかし、リザは対照的に落ち着き払った様子だ。

「二人とも十分に基礎が出来上がっているので、ご心配には及びません。元々、エドガーは体術に風の魔法を組み込み、拳や蹴りの威力を上げるだけでなく、瞬発力も兼ね備えた近接戦闘を得意としていた。対して、リッキンドルは気流弾や浮遊に長けていましたが、市街地など密集した場所での戦闘には不得手。それが、この訓練を通してエドガーのスタイルをまね、武器に気流を纏わせたり、細かい気流のコントロールを覚え始めました。エドガーも局所的に風を起こして相手の隙を作ったり、自分の身体だけなら、宙に浮かせることが出来るようになりました。全く、末恐ろしい子どもたちです。…リッキンドルの呑み込みの早さは、母親譲りでしょう。父親の性格なら、ああは臨機応変に対応出来ない」

 リザの冗談に、ルーインは思わず笑い声をあげた。しかし、急にリザが、ただ、と言葉を濁し、眉間に皺を寄せる。その時、ひと際大きな轟音と共に突風が巻き起こり、何本かの木々が、ミシミシと音を立てながら倒れた。目を丸くするルーインに、リザが気まずそうに言った。

「ただ、二人とも、多少やり過ぎるところはありますが…」

 

 王宮内の医務室、訓練で足を負傷した兵士が、ベッドに横たわっていた。戦闘訓練で打ち所が悪く、腕の骨を折ってしまったらしい。痛みに顔を歪める男性の横で、リリアが固く目を閉じ、両手を骨折箇所の上にかざした。すぐに彼女の両手が青く輝き出し、その光が患部を包む。すると、徐々に男性の表情が穏やかになり、腫れはみるみる引いていく。

「い、痛くない…」

 おもむろに腕を動かしながら驚く兵士の様子に、リリアの後ろに立っていた初老の女性が関心して声を上げた。

「何度見てもすごいわね! ここまでの治癒魔法は見たことが無いわ! 水の長が不在の時だけじゃなく、毎日でも手伝いに来て欲しいくらい!」

 冗談めかして笑う女性の言葉を、リリアは真面目に受け取ってしまったらしく、困り顔で呟いた。

「すみません、アンナ先生。毎日はちょっと…」

 元々治癒魔法の素質があり、医学にも興味があったリリアは、水の長が不在の際は、医務室でアンナ女医の助手をすることになったのだ。兵士からも、すぐに怪我が治ると評判で、アンナもリリアのことを真面目な彼女を気に入ってくれていた。

 骨折を治してもらった兵士がお礼を言って医務室を後にした。その直後。

「すまない、急患だ!」

 リザが医務室に飛び込んできた。後に続く兵士たちが、二台の担架を運び込む。乗っていたのは、全身ボロボロで、うめき声を上げるリックとエドガーだった。

「ど、どうしたの、二人とも⁉」

 呻くばかりの二人の姿に、リリアが悲鳴にも似た声を上げる。リザがため息交じりに、訓練に熱中し過ぎてな、と頭を掻く。おろおろと慌て出したリリアに追い打ちをかけるように、今度はリースが医務室に顔を出した。彼も申し訳なさそうに、すまん、こっちも頼む、と頭を掻くと、その後ろにはボロボロのオストロが担ぎ込まれてきた。

 結局、三人ともリリアの治癒魔法で怪我を治してもらい、大事には至らなかったが、後でその話を聞いたシエラに、心配をかけるな、と説教をされる羽目になった。


 その日の夜、宮殿内の一室には、遅い時間まで明かりが灯っていた。室内では、木製の机を挟んで向かい合ったリースとランバルトが、酒を酌み交わしている。とはいえ、グラスに注がれた琥珀色の液体を煽っているのはリースだけで、ランバルトは目の前のグラスに口を付けていないようだった。

「訓練生の五人、なかなかの成長ぶりだな。才能を認められただけはある」

 ランバルトの言葉に、リースも、ああ、同意を示す。

「試験の時はどうなることかと思ったが、まあ、杞憂だったな。…ムカつくが」

 吐き捨てるようにそう言って、リースは煙草を口に加える。ランバルトが軽く人差し指を振ると、自然と先端に火が付いた。ありがとよ、と礼を言って煙を吐き出すリースに、ランバルトは、まだ納得していないのか、とため息を吐いた。

「ったりめぇだ! いくら王の指示とはいえ、石ころ一つで不合格なんて、どう考えてもおかしいだろ?」

 怒気を孕んだ荒っぽい口調でそう言って、リースは一気に酒を飲み干し、ドン、と大きな音を立ててグラスを机に置いた。それは試験の時にオストロがした主張と全く同じだったが、元来、彼はこういう性格だということをランバルトは知っている。

「愚問だったな…。しかし、かつては王国中で恐れられた元盗賊が、子どもの将来を案じるようになるとは、改心したものだ」

 感慨深げに頷くランバルトに、リースは、そんなんじゃねえよ、と悪態をついた。

「ただ、こんな俺の命を拾ってくれたあいつが、俺が命を預けるに足ると思った王が、再起の機会すら与えない試験を進めたのが、気に食わねえだけだ!」

 ランバルトは、その考えは十分改心しているのでは、と思ったが、認めないことも分かっているので口には出さなかった。その代わり、宥めるように穏やかな口調で言った。

「陛下にも、何か考えがおありなのだろうとは思うが…。スロウトが王位について十年。確かに彼は変わったが、それは我々も同じだろう? 地位を手に入れれば、柵は必ず付いて回る。和平協定を結んでいるとはいえ、周辺諸国との関係は良好とは言い難く、国内においても、領主や家柄といったものの影響力は無視出来ない。もちろん、不正を野放しには出来ないが、強引に解決しようとすれば、無駄な血が流れるかもしれない。スロウトは王として大計を見極め、たとえ今は苦しくとも、この国の未来を守る為に―」

「未来を守る為に、未来ある若者の道を閉ざしてたら意味ねえだろ。それに、貧しさに喘いでいる国民は今、この瞬間に助けを求めているんだ」

 ランバルトの言葉を、リースが遮った。彼はたばこを口に加えたまま、独り言のように呟く。

「ガキどもを見てたら、俺は時々、自分を情けなく思う。間違いを間違いだと言い切って、ただがむしゃらに訓練に励む姿を見てたらな。あいつらの師匠として、長として、本当にこれでいいのかって…」

 ランバルトはしばらく黙っていたが、深く息を吐き出して天井を仰ぎ、そうだな、と呟く。しかし、その後で彼はリースに向き直り、毅然とした声で言った。

「だが、自らが選んだ道を投げ出すわけにはいかない。あの地獄を、戦争を生き残った我々なら、尚更な」

 

 同時刻、宮殿内にある執務室。ラルゴは書類の束に目を通していたが、扉をノックする音が聞こえ、顔を上げる。彼が返事をするよりも早く、リザが扉を開けて入ってきた。

「…こんな遅くに、何のようだ?」

 そう言って、ラルゴは再び手元の書類に視線を落とした。そっけない態度だが、怒っている訳ではない。リザもそれは分かっているのか、黙ってソファに腰を下ろした。

「最近は視察続きで、訓練生の修行にまともに参加出来ていないだろう? 息子の成長ぶりにも、興味があるかと思ってな」

 文字を追うラルゴの視線が一瞬止まったが、すぐにまた動き始める。

「気遣いはありがたいが、それは余計なお世話だ。隊の者から、リリア・ムーナについての報告は受けているし、君の部隊の訓練生については、私には関係のないことだ」

 彼は、顔色一つ変えずにそう言いきった。リザはため息を吐いた。

「それなら友人として聞くわ」

 いつもの軍人然とした口調が外れ、リザは呆れとイラつきを滲ませた。

「ラルゴ、あなた、どうしてあの子をそう邪見に扱うわけ? 師匠に預けて、ずっとほったらかしにしていたことも、彼がここに来るのを快く思っていないことも、何か理由があるの? リンデルがあの子を産んで死んだことと、何か関係が―」

 リザの言葉を遮って、突然ラルゴが、リザ、と声を荒らげた。険しい表情と有無を言わさない語気の強さに、彼女も口をつぐむ。しかし、その後でラルゴは奇妙な質問をした。

「…リッキンドルは、短剣を持っていたか?」

 唐突なラルゴの問いに、リザは何のことか一瞬考えてしまったが、すぐにリックがいつも腰から下げている、銀の鞘に納められた短剣を思い出した。

「ええ、持ってるわ。訓練では使えないけど、いつも腰に下げている。でも、それがどうしたの?」

 ラルゴは、そうか、と呟いて深く息を吐くと、質問に答えること無く、リザに疲れた表情を向けた。

「すまないが、もう帰ってくれ。友人として、君の心配はありがたいと思う。だが、これは私の問題だ」

「…私にも、話せないようなことなの?」

 その問いかけにも、ラルゴは黙ったままだが、それが彼の答えなのだろう。リザは諦めたように、分かった、夜分にすまなかったな、といつもの口調で言い、ソファから立ち上がって出口に向かう。しかし、彼女がドアノブに手を掛けたところで、ラルゴが彼女を呼び止めた。心なしか、その表情は和らいでいるように見えた。

「すまない、君に感謝しているのは本心だ。…よろしく頼む」

 〝誰を〟とは言わなかったが、リザには言いたいことは伝わった。相変わらず、不器用で言葉足らずな奴だ、と思わず微笑が浮かぶ。

「ああ、任せておけ」

 普段通りの口調に戻り、そう言い残して、風の長は執務室を出て行った。

  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る