《12/恋の過剰摂取》


「ロゴのキャップ?」

 種市は怪訝そうにしながらも、おれの質問にきちんと答えようとしていた。

「あれは有名なんですか?」

 そのブランドを知らない人間からすれば(おれもよくは知らないけど)、意味があるのかないのかわからない英字のレタリングの入った洋服となんら変わりはない。

 それだけだろう。

「……ごめん。気にしないでくれ」

 もう、『有名なんですか?』という問いが出た時点で、おれが尋ねたことは終わったと言ってもいい。

 とにかく彼女は、、堕落について語るにふさわしい人間だとはっきりとわかった。

 おれの目は、間違っていなかった。

「田原唯さんとは、家族公認というやつだったんですね」

 もう帽子の話はおわったと踏んだか、彼女はまたあの歪んだ笑顔を見せた。

「うらやましいです」

「羨ましい?」

 種市にとって、恋愛はたかがホエイのようなもののはずだ。

 酪農家公認のホエイを羨ましいと言われているような、ある種の異常事態。

「厭味ですよ」

 ぽかんとするおれを見て、珍しく呆れたように種市が呟いた。

「だよな。種市は、恋愛に興味ないもんな」

 ましてや一般的に羨まれる、家族公認なるものに興味を示すようには思えない。

 その事実は無念でもありながら、同時に安心材料でもあった。

 見苦しい考えなのはわかっているが、せめて種市が誰のものにもならなければ、と強く願っていた。

「興味ない? そんなこと言いましたか、私」

「……」

 言ったって、言ったよ。

 言ったからコンビニの棚でもいちいちヨーグルトのコーナーに怯えていたんだし。

 種市の言動の数々を聞けば、誰だって恋愛に興味がないと感じるはずだ。

 恋愛がホエイのようなものだと言い切るなら、興味がないってのと同じ意味だろ?

「もし言ったのだとしたら、私の考えが変わったのかもしれません。すき、あるいは『すき』に限りなく近いなにかを色んな方に言われているうちに」

「……」

 誰にそう言われたって?

 と咄嗟に尋ねかけて口を噤む。

 クラスでそんなそぶりを見せているやつはいないし、種市は部活にも入っていない(だろう)から、下級生というのも考えにくい。

「そんな顔しないでください」

 おれはどんな顔をしているんだろう。

 せめて、驚きの表情だったらいい。

「ただのアダルトチャットのお客さんです」

 いや、ただのって。

「……アダルトチャット」

 具体的なイメージは浮かんでいないが、確実に性的な何かだということはわかる。

「知らないですか? 男の方が意外と疎いのかもしれませんね」

 そう言って、種市はアダルトチャットの説明をしてくれた。

 間中、種市は狭い横断歩道の島の中で、ずっとぐるぐると歩き続けていた。

 つらいよ、しんどい、なんでそんな説明を受けなきゃならんの。

 アダルトチャット。女の子が自撮り動画を配信し、閲覧された通信時間に応じてお金がもらえるシステムらしい。

 1分100円が基本レートで、複数の閲覧者がいるのを独り占めするとなると、四倍につり上がるとか。

 種市はおれにとっては魅力的な女の子かもしれないけど、とても性産業と縁がありそうに思えない。ルックスも中身も。

 ありていに言えば、ウケが悪そうだ。

 いや、世の中にはおれと同じ趣味の男だって山ほどいるし、そもそも若い女なら誰でもいいとか、女なら誰でもいいとか、人間なら誰でもいいとか、もはや本当になんだっていいとか……その域にまで達しているやつだっているのだ。

 こんな理屈をこねている時点で、おれはやっぱり種市が気になってしょうがないのだろう。

 自分がされたいじめ(めいたもの)の報復のため、唯ではなくおれをつけ狙うような卑劣な女なのに。

 いや、だから好きなんだけど。

 てか、暑い。なんだろう、あつい。

 今朝とは違うあつさ、もう暑いというか熱い。

「アダルトチャットで、恋に目覚めたと?」

「ごめんなさい」

「謝ることじゃないだろ」

「いや、嘘をついてごめんなさい」

「……は?」

 嘘?

 それは逆に信じていいやつ?

 都合いい方を信じるからな?

 アダルトチャットの説明を受けていた時間とか、それで落ち込んでいた時間とか、すべてが無意味じゃないか。

 いや、いいのか、種市は無意味さを積み重ねたいわけだから。

「アダルトチャットのことも、そもそも私が恋愛に目覚めた、というようなことも嘘です」

 その濁し方は、彼女らしくないように思えた。

 おれが戸惑っているのは、アダルトチャット以前に、彼女が嘘をついたという事実に対してだった。

「私だってなんとなくはわかります。アダルトチャットをやるためには、心身ともに私にはいろんなことが欠けているのかな、とか。田原唯さんは、そういう意味では才気にあふれていますよね」

 唯はアダルトチャットでもやってそうな女だということだ。少なくとも、種市よりも向いているのは確かではある。

「褒め言葉ですよ。本当に。あのネクタイのくだりなんか、私には一生できないことだと思いますから」

「だから、唯が嫌がるようなことは見当もつかないって?」

「ええ」

 彼女は忌み嫌うというよりも、むず痒そうにしているように思えた。

 もしかしたら、種市は恋愛を馬鹿にしているわけでも、無視しているわけでもないのかもしれない。

 純粋に、恋や愛に対して、アレルギーを起こしているのだ。彼女らしくない行動をとったのも、種市なりに混乱しているからかもしれない。

 恋愛の果てに生まれたであろう種市が(今の日本の、多くの人間が)、ずっと、好きとか嫌いにさらされて生きているのだ。

 恋愛の過剰摂取。

 望んでもいないのに、『誰が好きなの?』と問われ続けていれば、アレルギーでよく喩えられるように、コップの水があふれるのはむしろ普通のことかもしれない。

 そして、おれは種市のコップに水を注いだひとりなのだ。

 恋愛について尋ね、何より、告白をしてしまっているのだから。

 大量の水か、アクエリアスをどぽどぽと。

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