1304話 説得
京東山一色屋敷 一色政孝
1599年春
イングランドとの会談日程が決まり始めた。
俺達は一度天竺、カルカッタに向かい船上にて会談をすると決まった。カルカッタには直接入らないという決定である。
これは互いに余計な混乱を生まないため、そして万が一にも現地で流行り病を拡散しないための提案にイングランドが乗ってきたからである。
未だ治療方法も分からない病など、広げないために最善を尽くすべきだと両者で一致したゆえのこと。また現地で拡大感染などした場合は、本当に歯止めがきかなくなってしまう。大惨事になることを想定するならば、やはりここは安全に事を済ませるべきだ。
「…あまりにも危険な会談になると聞きました」
「いったい誰からそのような話を聞いたのか」
久に尋ねると、誰とは口にしなかったが視線だけが如信へとむけられた。
如信も顔を逸らすことなく、ただ俺のことを見ている。つまりこの男もまた、俺が会談に同行することに反対しているわけだ。
「なるほどな。いや、しかし此度だけは出ねばならぬ」
「これまで何度も日ノ本のために命をかけてきたというのに、その御役目から解放されてもなおまだ命を懸け続けると旦那様は言われるのでございますか」
「そうだ。イングランドとの関係を築いた他でもない、この俺であるゆえな。久も見ていたはずであろう」
「それはそうでございますが。ですがそれらの責任を後に託して外目付の御役目を辞されたわけでございましょう」
まぁこの程度で食い下がる久では無いことなど百も承知。元々浅はかな考えで言い合いになったりしない。久は昔から何一つ変わらず聡明であり続けているのだからな。
「外目付にいる者たちを信用していないわけではない。ただ外目付の者たちを押しのけてでも、未だに西洋に対して最も深い理解を持っているのは俺であるという自信はある。ゆえに此度だけは出ねばならぬ。現在政教分離・南蛮外交政策含めて日ノ本は極めて重要な時期を迎えているのだ。イングランドをはじめとし、西洋列強との付き合い方も方針を一度しっかりと定めねばならぬ。此度、イングランド側が本国が流行り病で危機的状況であるにも関わらず強引に会談が出来るよう求めてきたのも、西洋における情勢変化が目まぐるしいがゆえのこと。そしてそれは日ノ本を含む東洋に多かれ少なかれ影響を与えるわけだ。あちらが日ノ本を同盟国として見ず、ただ覇権をめぐって利だけを求めてなど来ないよう、かつて両国の間を取り持った俺が見届け人という名目で監視せねばならぬこと。この必要性を久であれば理解できるはずであろう」
久からの返事はすぐに無かった。
ただしとんでもなく険しい表情に加え、ムッと唇を嚙みしめている。どうにか俺が取りやめるよう必死といった感情。もちろんそれが俺の身体を心配してのことであるのは承知の上だ。
このような身体になって以降、近距離程度の船旅ですら厳しい。そもそも揺られる身体を支え続けねばならぬことで、常に体力を消耗し続けている船旅はあまりにも俺の身体を痛めつけてくるわけで。
カルカッタはイングランドまでの超長距離移動を考えると半分ほどの距離もない位置にあるわけだが、それでも到着したころにはヘトヘトになっていることくらい想像できるわけで、その行為自体が俺の命を削っているのだと久は心配してくれているのだ。
もちろんその気持ちは嬉しきものではあるが、ここまで命を削って成したものを目の前で破壊される方が、結局俺の心を壊すのだと理解しているゆえに無理を通すのだと思っている。たとえ長年連れ添ってきた久が「行くな」と訴えても、もはや俺の心が変わることは無い。
「理解できるできないの話では無いのでございます。私はただ…」
ついに溜まりに溜まった感情が爆発して涙を流し始めてしまう久。ずっと我慢していた菊がたまらず久の傍へと寄り、落ち着かせるように背中をさする。
一方で阿南殿はずっと静かに話の向かう先を見ているだけのようであった。
「旦那様」
「菊が久の味方となったとしても、例え1対2、1対3の構図になったとしても俺はこの見届け人としての役目を取りやめぬ。行かねば日ノ本が食い物にされる恐れがあるゆえに」
「…ですが旦那様。もはや身体が限界であることは、傍にいる者の誰もが理解している話でございます。明らかに身体が細くやせこけ、顔色も悪い日が多くなっております。旦那様が気付いておられるのかどうかはわかりませぬが、食も細くなり、ただけだるげに外だけを見ている時間も増えているのでございます。明らかに限界が近いと身体が悲鳴を上げているではありませんかっ」
「そのように体調が悪くなってまで、旦那様が、旦那様ばかりが日ノ本に尽くさねばならぬのでございますか!?」
久の声を代弁するように菊が吼えた。つられるように、目に涙を蓄えて。
しかし俺はそれに頷くだけである。
「後進育成は乱世で多くを失った我々上の世代には急務であった。乱世の終わりとともに世に求められる力が変わり、またも我々の世代は後進の育成に力を注いできた。その結果、今の幕府は足利将軍家による治世の中で最も安定していると言っても過言でないほどに本来の役目をこなし、朝廷と一心になって政を行っている。俺も外目付の長として、外交を担える人材を多く育ててきたつもりである。功を奏したのか、俺が辞したあともその役目は衰えることなく全うされ続けている。それは外にいてもよくわかる程だ。しかしな、久」
もはや涙も隠さず、久は泣き顔を俺に向けていた。
「人には任せられぬこともある。俺の責任で進めてきた話なのだ。誰にも代役など務められぬものは存在する。此度の見届け人もまさにそれだ。自分で言うのもなんであるがな、俺は対イングランドにおける抑止力のようなものなのだ」
「抑止力…」
「対等な同盟を勝ち取ったとは言っても、その道は決して平坦なものではなく、非常に険しいものであった。明らかな差別的思想も表立ってぶつけられたものである。そんな中で屈さずに態度を一貫し続けた結果が今なのだ」
コタローも言っていた。イングランドの貴族の中でも俺の存在は一目置かれていたと。外目付を辞し、幕臣としての役目も辞したことで政治家としての役目に一区切りつけたことで驚きの声があがったほどだったと。
「そんな俺の存在が抑止力として働く。今のイングランドは東洋における他の西洋列強の影響力が衰退していることを好機として、急速に影響力を増やしたいと考えている。そこに日ノ本の事情を考慮しようとすれば、場合によっては勢いを殺すことにもつながるだろう。仮に日ノ本がそういった姿勢を示したとき、彼らはまことに俺たちと歩幅を合わせようとするであろうか。日ノ本の利を害してでも、強引に話を取りまとめようとするのではないか」
外目付も当然これを警戒していることであろう。交渉にはなんと珍しく政親殿が直接出向くという。流行り病の感染リスクや長期不在のデメリットなどを考えても、これまでであれば別の人間を使者として立てていた。
しかし覚悟を決めたのか、それとも俺を巻き込んだがゆえの行動なのか。
いずれにしても外目付として大仕事であることは間違いない。
「ただ俺の目があるうちは勝手なことはするなと」
「ならば顔色を整えねばなりません」
「阿南殿?」
ずっと沈黙を貫いてきた阿南殿がついに口を開いた。俺の決定に肯定的な態度を見せたことで、俺ではない2人も、いや如信を含めた3人が驚きの表情を見せる。
「顔色が悪ければ無理をしていると。もしかすると先が長くないのかと疑われてしまいましょう。それだと見届け人の意味がありません」
「何を言っているのですか、阿南殿」
「私が惚れた御方は政という荒波の中でも負けずに戦う政孝殿でございました。政孝殿がこのような状態になっても、まだ日ノ本のために働かねばならぬと申されるのであれば、私は応援すべきであると思っています。もちろん、これはまだ一色家に入って日の浅い女の戯言のようなもの。なんと思われても仕方なき発言であることは理解しているつもりですが」
とは言いながらも、阿南殿は決して引くそぶりを見せなかった。長らく俺の傍に寄り添った久や菊を前に堂々としている。
ただこの3人は3人がそれぞれに俺を想ってくれていることを知っている。ゆえに久もまた阿南殿に対して退く気を見せないわけである。
しかしこうなることがなんとなく分かっていたわけだが、まさかそこで対立関係になるとは想定外であった。3人まとめて説得出来ればまだ話は早いと思っていたのだがな。肩入れだなんだと拗れると、説得にも時間がかかってしまうゆえ果たしてどうしたものか。
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