1043話 津田家の茶会日記

 堺 一色政孝


 1591年春


 ついにその日が来た。

 一色と児玉の婚儀の日である。堺は両家の関係者や、人が集まることを見越して集結した商人、もはや観光地のようになった賑わいに吸い寄せられた旅人、招待された他の大名家の方々、どこぞの密偵など凄まじい人の数である。

 そんな中、俺は天王寺屋の蔵にいた。

 主人である宗及は病に伏しているとのことで、倅の宗凡とこの活気ある港を眺めている。


「父も来たがっていたのですが、今日は特に状態が悪いとのことで」

「残念だな。世話になった宗及には特に見てもらいたかったのだが」


 茶を飲みながらゆっくりと過ぎる時間を堪能していた。宗凡は宗凡で何かを書きながら茶を楽しんでいる。


「ところで一色様はこのような場所におられてもよいのでございますか?当人でないとはいえ、主役様の1人のお父上でございましょうに」

「俺が行けば刺客が付いてくるゆえな。直前までは顔を出せぬのだ」

「ここであれば暴れてもよいと?いくらなんでもこのような場所で暴れられては困るのでございますが」


 特に困るようなそぶりも見せず、淡々と何かを記している。それに気を取られた俺は、軽いジャブのような会話に思いっきり遅れをみせた。

 宗凡も俺の反応が悪かったことを気にしてか、慌てて顔を上げている始末。俺が怒ったと勘違いしたようだ。


「違うのですよ、今のは!?」

「あぁ、いや。その先ほどから何を書いているのかと思ってな」

「あ、こちらでございますか?これは父がずっと書き記していた茶会の記録でございます。いつ、どなたと、どこで茶会をしたか。それを記録しておりました。内容を見たのですが、これを後世に残せば面白い書になると思い、私も書き始めたのでございます。私の場合は茶会の記録ではなく、交友記録のようなものでございますが。父上ほど私は熱心に茶をしているわけではございませんので」

「ならば今しがた書いていたのは」

「本日の記録でございます。このような一大事を書き漏らすわけにはいきませんので」


 そう言って差し出されたそれは、日記のようなものであった。しかも1枚前に戻れば昨日の日記、さらに戻れば一昨日の日記。特に何かあった日でなくとも、毎日毎日の些細な出来事から、一大事まですべてが記録されている。


「ふむ、これは確かに面白い」

「そうでございましょう?我らが先人の生活を知るために古い書を読み漁るように、後世の者たちがこれを読んでこの乱世の終わりの時代の日ノ本を知るきっかけになれば嬉しいところでございます」


 この宗凡。長らく偉大過ぎる父の宗及の陰に隠れていたが、思った以上の逸材であった。

 面白い着眼点を持っており、間違いなく後世の一級資料としてあげられるであろうものを書き記している。

 これほどまでに商人の日常をわかりやすく伝える文書は無いと思われた。

 かつて末森城で見た航海下手な航海士の日記に並んで、間違いなく後世に残したい日記の1つである。


「一色様のことも書いておきましょうか」

「照れるからやめてくれ」


 そう言って手を振ったのだが、宗凡は「何を今さら」と言って首を振る。

 そして何かを探していると思ったのも束の間。随分とぼろぼろの書を俺の前に持ってきて、中を確認し始めた。そしてとあるページで手を止めて俺に差し出す。


「父が書かれていた頃のものでございますが、これが初めて一色様が登場したときのものでございます」

「…いや、これまた懐かしい話を」


 俺と宗及が初めて顔を合わせたのが15年ほど前のこと。飛鳥屋の代替わりとほとんど同時期に、現在の主人である宗仁が俺たちの間を取り持って、大井川港で顔を合わせたのだ。

 その日は茶会などしていないはずであるが、なぜか宗及はその日のことを詳細に書き記していた。あの日、俺と宗及が取り交わした約束というのが、当時火薬の製法を独占していた堺会合衆と雑賀を結びつけるというもの。

 俺が贔屓にしていた雑賀衆との協力関係を結ばせることで、今後のより良い関係構築を約束したわけであるが、その日の出来事が随分と細かく書かれているのがこれだ。

 あまりにも詳細に書かれているゆえ、あの日のことが鮮明に目の前に浮かんでくるほどであった。


「父はこの日のことを何度か私に話してくださいました。初めて言葉を交わしたとき、どこかで味わった感覚が呼び起こされたと。そしてそれはこちらに戻ってきてからすぐに理解したと。あなた様は今は亡き織田信長様と同じものを持っていたのだと。さすれば書かぬわけにはいかぬと、茶会などしていないにも関わらず、例外として書き記されたそうでございます。同じように茶会と関係の無い記録は織田様と初めて接触した日のみ」


 また別の書を持ち出し、そして中をペラペラめくって該当ページを確認する。

 あるページで手を止めて、そしてまた俺に見せてくれた。そこに書かれているのは若かりし信長の姿である。

 やはりこれは後世に残されるべき書であると思った。商人視点で書かれた信長ではあるが、その辺の肖像画家が描いた肖像画よりもよほど鮮明に織田信長という男を映し出しているように思える。


「光栄だな。あの御方と並べていただけるなど」

「お二方がただならぬ縁で結ばれていることは広く知られていることでございます。乱世の英雄を挙げるなら、間違いなく織田様と一色様を挙げましょう」

「ふむ。そこまで持ち上げるということは、俺に何か求めていることがあるのだな?遠慮せずに言うてみよ」


 あまりにもよいしょがすごいゆえ、ついつい裏があると勘繰ってしまった。だが宗凡は「そんな、そんな」と首を振るばかり。

 すでに先ほど持ち出された書はしまわれており、よほど大切にしているのだと分かった。宗凡は本気でこれまでの記録を後世に残すつもりであるのであろうな。


「ただ良い気分で婚儀の場に向かっていただきたいためでございます。もうじきでございましょう?」

「そうだな。もうそろそろ迎えの者が来るはずであるが…」


 チラッと外を見たが、また船の数が増えている。

 だが明らかにガレオン船のでかさは異常である。遠目で見ても、一色の水軍衆がどこにいるのかはっきりとわかる程であるゆえに。


「改めてではございますが、一色様。この度はおめでとうございます。近く伏見の屋敷の方に祝いの品をお持ちいたしますので」

「そこまで気を遣わずとも」

「これは所謂…」


 そう言った宗凡はスッと身体を寄せて耳打ちしてきた。

 隣でずっと様子を見ていた如信はぎょっとしていたが、宗凡に限って不遜な態度を取ることはない。

 俺は心配するなと目で制し、そして宗凡の言葉に耳を傾けた。


「所謂賄賂でございます」

「賄賂、な。幕府は金品での買収を広く禁止にしていることは知っていよう。これは武家諸法度にあるものなため、罰せられるのは受け取った俺になるのだがな」

「それは明確な買収理由があるときであるはず。この宗凡、お武家様の法度についても調べておりますのでご安心を。ただ今後も一色様には贔屓にしていただきたいだけでございますので」


「ヘッヘ」と笑う宗凡。たしかにそれであるならばただの贈り物の範疇に落ち着くか。いや、額や物によるのか。

 そう考えると、これは結構な抜け穴であるような気がする。

 相手に察しろと言って、ただ贈り物をする行為は罰せられない。これがアウトとなると、贈り物の文化は全て消滅することになってしまうからだ。それはさすがにやりすぎだろう。

 今回貰っておいてなんだが、早急に公方様には穴についてお伝えせねばならない。


「まぁ完全な清廉潔白人間などそうおらぬでな」

「ご理解、感謝申し上げます」


 そんなことを話しているうちに迎えが来たようであった。外が明らかに騒がしくなり、政豊とともに上洛した直政が大勢の護衛を伴って顔をのぞかせる。

 ようやく時間が来たようであった。

 果たしてどのような婚儀になるであろうか。派手好きではない政豊は緊張しているやもしれぬがな。

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