931話 阿曽沼不和

 陸奥国和賀郡岩崎城 一色政豊


 1589年冬


 つい先日、一揆勢が拠点の1つとしていた岩崎城が落ちた。

 我ら一色の一隊も兵糧の運び込みが無事に完了し、そのまま城攻めの一部を担ったのだが、やはり敵方の引き際は見事なものであった。

 兵站の破壊に加えて籠城の心得まであるとなれば、これは最早ただの一揆では無い。

 そのようなことは数日前から理解していたことではあったが、改めて肌で感じる。

 あまりにも不気味な存在であると。

 そんな、どこか落ち着かない感情に浸っていたときである。

 松平の叔父上から使いの者が寄越されたと、次の戦に備えておられたはずの殿よりお呼びがかかったのは。


「津軽の大浦に一揆加担の疑いありと?」

「はっ。我が主はいっこうに阿曽沼領に到着せぬ南部家の動きを不審に思い、北関東衆を阿曽沼本城である横田城に入れて南部別働隊の代わりを担わせる一方で、自ら指揮をとって南部の動向について探っておりました」

「その中で大浦の動きが発覚したと」

「その通りでございます。ですが今回の南部の遅れに直接的な関与があるわけではございません。大浦の兵は1人として南部領に侵入などしておらず、争いに発展したという事実もございません。南部の南進の遅れは例年以上の降雪が一番の原因であると結論づけられました」


 叔父上の使いは、叔父上の江戸入りに従って三河から関東へ移り住んだ大岡忠政であった。

 三子ではあったが、兄らが相次いで死んだために大岡の家を継いだそうだ。実際、叔父上は随分と信頼しているようで、こうして重要な使者などはよく任せられるという。

 つまり此度この者が叔父上の言葉を殿に伝えに来たということは、大浦の想定外に対応するために、叔父上も予定外の動きを起こしたい。その許可を取りに来たということであろう。


「・・・ん?」

「如何した、政豊」

「あ、いえ。松平の叔父上は随分と念入りに調べておられたのだと思いまして」

「ふむ。というと?」


 殿の言葉に、続けて発言権をいただけたことを確認し、私は忠政に目を向けた。


「今の言い方から察するに、南進の遅れの最たる理由は降雪であるということでございました。つまり他にも遅れの原因となった何かがあるということ。大浦のことは今回のことに関係ないと先ほど言っておりましたので、まだ口にはしていない別の原因があるということでございましょう。叔父上が阿曽沼領に渡ったのはつい先日のことであると思います。そこからわずか数十日程度でよくぞここまで調べられたと感心いたしました」


 私の言葉に忠政が軽く頭を下げた。

 褒められたことはきちんと伝えておくという意思表示であると受け取っておく。しかし忠政は口を開かない。

 殿が発言の許可を出されるのを待っているのだ。


「なるほど。よくぞ気がついた。して、忠政よ、どうなのだ」

「一色様のお言葉通りでございます。南部家の南進が遅れている理由の1つとしまして、阿曽沼家中の不和がございます。一揆による妨害は確認できておりませんが、阿曽沼家中で対応が分かれているようでございます。そのせいで南部の阿曽沼入りを目指していた部隊が振り回されております」

「・・・なに?」


 ここに来て、ずっと口を閉ざしておられた伊達様が声をあげられた。

 阿曽沼家は伊達家が陸奥北部に手を入れられた際に、真っ先に頭を下げた者達である。葛西の討伐でも北から圧を加えるなど、随分と陸奥統一に尽力されたと耳にしている。

 ゆえに今の忠政の言葉を聞き流すことが出来なかったのであろう。


「広郷が俺を裏切っていると?」

「いえ、阿曽沼様ではございません。このことを知っているのは我が主と、事実確認のために口を割っていただいた大槌広信殿、そして我が主の娘婿である佐竹様率いる北関東衆を預けていることを理由に観念していただいた阿曽沼様のみでございます」

「して、家中を割って南部の歩を遅らせているのは誰なのだ」


 少し伊達様は苛立っておられる。

 これまでの態度とは一変して、怒りのような感情が言葉尻に含まれているようであった。


鱒沢ますさわ広勝ひろかつ


 その言葉を聞いたとき、伊達様の手にあった扇子が「ベキッ」という音を上げて折れる。

 見たところ随分と簡素な造りであったゆえ、少し力を込めれば折れてしまいそうなものではあった。しかし問題はそこではない。

 その名を聞いた途端に、一気に冷静さを欠かれたことだ。

 つまり元よりその鱒沢広勝という男と何かがあったのであろう。そのような者の名が、一揆平定の足を引っ張る側の関係者として名を挙げられたのだ。

 そう推察すると、この感情の変化も納得できるというもの。


「我が主が探りを入れられる数日前、南部の別働隊を迎え入れる役割を担っていた阿曽沼の重臣が不審な死を遂げております。おそらく毒を飲まされたのだと思われますが、それが原因で南部別働隊が阿曽沼領へ入れていないのでございます。現在、その一族の領内は非常に不安定になっており、急な出来事であったために後継者もたてられておりません。阿曽沼様は別働隊を受け入れるために、急ぎその一族に後継者を決めるように求めておりますが、これに反対しているのが鱒沢でございます」

「なぜだ」

「その不審死に南部が関与していると主張しているからでございます」


 再び嫌な音が鳴り響く。

 そして開いた手からパラパラと扇子だったものが畳へと落ちていった。


「白々しいことをいう。元々南部信直に接近していたのは広勝であったというのに」

「・・・それはどういうことでございますかな、政宗殿」

「そのままの意味よ。南部の先代と先々代が相次いで死に、後継者の選定に追われていた時期があったのは知っていよう」

「随分と揉めておりましたな、あのときは」


 殿は当然知っていると頷かれた。

 そういえばあの時期、たしか父上が陸奥に入っておられたはず。なにやら名を偽って、助力したとかなんとか・・・。


「南部は家中を割る勢いであったゆえ、奥州探題として俺が直接仕置に出向いたのだ」

「・・・はぁ。それで?」

「家中を割りかけた勢力の内、片方が現当主である南部信直であった。この男は元々嫡子としての立場を有していたが、訳あって自ら手放しておる」


 父上曰く、先代当主が生まれたからであったか?

 それゆえに養子として南部家に入っていた自身の立場が悪くなったと。周囲からのあたりに堪えられなくなり、その座を自ら降りたと。


「そしてもう一方が此度阿曽沼に入ると言われている九戸の一族の者だ。阿曽沼は葛西や南部の動きに翻弄され、決断に迫られていた。どこに付き従うべきなのかと。そこで広郷は俺を頼ったわけだが、一方で広勝は南部に従うべきであると主張した。中でも信直につくべきであると」

「話が見えてきた、な」

「九戸の別働隊。今でこそ同じ伊達に従う者であるが、一度は其奴らを討とうとしたのが鱒沢広勝という男だ。領内に入れまいとしているのやもしれん。その考えに至ったとき、無性に腹が立った。そしてこの様よ」


 伊達様が視線を落とされた。

 その先には無惨にも粉々になった扇子がある。

 そして一度ため息を吐かれた。


「大岡と言ったな」

「はっ」

「これからすぐに戻るか?」

「そのつもりでございます」

「ならば俺が一筆書く。それをともに阿曽沼領に持ち帰り、必ず広郷に渡せ。よいであろう、範以殿」

「私は構いませぬよ。仮に役目が果たせなかったとして、その責任を今川に押しつけるようなことが無いと約束してくれるのであれば」


 かつての奥州出兵のことがあるゆえか、どこか殿の伊達様に向けられる言葉には棘があるような気がする。

 聞いているこちらはいつも心臓がバクバクと脈打っている。

 しかしそんな心配など、殿にも、そして伊達様にも通じていないようであった。


「当然だ。今、伊達の人間は誰も手が離せぬゆえに、苦渋の決断として文を託すのだ。範以殿が信用して、俺が秘密裏に出した依頼を託した男の家臣であれば、それだけで信用するに値する」

「とのことである、忠政よ。気負わず、元康の元に戻るが良い」

「かしこまりました。ですがこれは思いがけない大役でございます。必ずや阿曽沼様にお届けいたしますので」

「頼もしい言葉だ。ならば俺は一度席を外す。すぐ戻るゆえ、その間に範以殿との話を終わらせておくがよい」

「ははっ」


 伊達様は数人の家臣らを連れて部屋を出て行かれた。

 残されたのは今川の家臣らばかりである。


「大浦の件であるが、それはやはり我らが出張るべきでは無いようにも思える」

「やはり・・・」

「本来であれば鎌倉公方様にその行動を咎めていただくべきであろう。それは間違いなく」


 此度の一揆鎮圧は、たかが一揆鎮圧という話では無い。一揆を終わらせるために鎌倉公方様が総大将として御出陣されているのだ。

 大げさであるようにも見えるが、そもそも最後の戦と位置づけられた重要な一戦でもある。

 ゆえに大浦や鱒沢の動きは看過できるものではない。

 ただ両者ともにまだ表立って行動しているわけでは無い。限りなく黒には近いが、現段階においてこちらから手出しなど出来るはずも無い。

 殿が困り果てられるのも当然というものであった。


「しかし出羽方面も雪の影響に加えて、想像以上に一揆と行動を共にしている者達が多く、津軽のことにまで気を回せぬであろう」

「ならば!」

「先に手出しをすることは許さぬ。というよりも許されぬ」

「理解しております」

「元康には慎重に行動するように伝えよ。それと津軽に回す水軍衆の中に福浦一色を含ませるな」

「異国の者たちは事情がわからぬゆえでございますか?」


 忠政はすぐさま答えた。

 しかし殿は首を横に振り、そしてニヤッと口角を上げられる。


「津軽になどに連れて行けば、異国の者の力を目撃する者が減る。機会があるかわからぬが、異国の者の実力を目にするのは多ければ多いほど良い。それが父上のお考えよ」

「たしかにその通りであるように思えます。なぜ福浦一色家に預けられたのかも、その辺りに理由があるのでございましょう」


 父上のお力もあって、遠江の一色家は四職一色家に負けぬほどの名声を得た。人目を集める上で、分家筋の家系であるとはいえ十分に効果があると踏まれたはずである。

 それをわざわざ人の目が減る場所に送り出す意味が無い。

 殿はしっかりと大殿と父上の意図をくみ取られたということ。これは忠政には考えつかぬ発想であったはず。

 忠政も慌てて頭を下げていた。知ったような口をきいてしまったと後悔しているやもしれん。


「そうであろう?ゆえに元康には悪いが、今川最大勢力とも言える福浦一色配下の水軍衆はそのまま阿曽沼領近海の沿岸警戒を続けさせるのだ。他の者達であれば好きに動かすが良い。阿曽沼領内の問題が片付けば、一揆勢に押しつぶされるということにはならぬはずである」

「かしこまりました!」

「そのために私からも南部信直殿に一筆したためる。私と政宗殿の文、しっかりと届けるのだぞ」

「ははっ!!」


 しかし結局である。

 乗り気で無かった殿もその気にさせられてしまっている。そうならざるを得ないとも言える。

 なんとも嫌な戦であるな。ここまでしなければ勝機が逃げていくような感覚に襲われてしまうのだから。

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