339話 罪の無い幼子達

 大井川城 一色政孝


 1574年春


 虎松を元服させた。

 名は史実通り直政だ。ただし井伊の名は最早名乗れぬため、一色の名を与えた。

 他の今川家臣の方々から不審がられるであろうが、いざ追求されても大丈夫なように近く関係者らに色々と話を合わせるよう伝えておくつもりでいる。

 そして高遠城に戻り、対北条の支度をしようと考えていた矢先のこと。

 城を出立しようとしていた俺の元に高瀬がやって来た。俺に会いたいと申している者たちがいるとのことだ。

 そして今の状況である。

 目の前に座っているのは暮石屋喜八郎とその倅である勘七郎。そして見覚えの無い顔の男女が2人。

 男女の内、やや前に座っているのは女の方だった。


「高遠城へ戻られる支度をされていたと伺いました」

「たしかにその通りだが、喜八郎がそこまで気にせずとも良い。商人達は俺の家臣では無いのだからな」

「しかし今は少々事情が異なりましょう。そのようなときにまこと、申し訳ございません」


 今日の喜八郎は様子がおかしかった。

 そして様子がおかしいと言えば、勘七郎も同様である。かつて庄兵衛に孫達を俺の元へ連れてくるよう話したことがあった。

 その時初めて勘七郎の顔を見たときはもっと生気に溢れていたと思ったのだがな。


「何度も頭を下げずとも良い。俺は気にしていない、それで良いでは無いか」

「そう申していただけて一安心にございます。続きは倅から説明いたします」

「暮石屋勘七郎にございます。此度はお時間を頂き感謝申し上げます」

「それは先ほど聞いた。しかし勘七郎とこうして話すこと自体、随分と久しい。このような雰囲気で無ければ、最近の商売の話でもしたいと思ったほどだ。してそのように顔を真っ青にしているのはいったいどういった用なのだ」


 僅かに勘七郎の背筋が伸びた気がした。

 やはり良くない報せであったか。先ほどから気になっていたが、背後にいる2人もまた顔色が優れない。

 そして俺は比較的厄介ごとを呼び寄せる体質にある。その予感が的中しなければ良いのだが・・・。


「先日一色様より北条領および、佐竹他北関東の大名領への商売禁止を言い伝えられました。故に数日前に禁止前の最後の商売のため品川湊へと出ておったのです」

「勘七郎は関東方面での商売を担当していたのであったな?」

「はい。とうぶんあちらには向かうことも無いと思い、大規模な商売を行っておりました。そうしたところ、北条家のとある御方に声をかけられたのです」

「何と」

「重要な荷がある故、出航を待って欲しい、と」


 なんとなくであるが話が読めた。その荷が、物である確率は低かろう。

 品川湊は言っても関東でも有数な巨大湊である。当然乗り入れる船は多い。だがその中で、日ノ本でも一二を争うほどの大商人である暮石屋に声をかけたことが、偶然であるとは考えられなかった。

 もちろんかつての九鬼の方々がそうであったように目立った、という単純な理由もあり得るわけだが。


「そして数日出航を遅らせていたところ、私を引き留めていた御方が再び現れました。多くの女や子供らを連れて」

「・・・その引き留めていた男は名を名乗ったのか?」


 勘七郎は口を閉ざした。代わりに口を開いたのは、この場で一番後ろに座っている男だ。


「よろしいでしょうか」


 その言葉が静かな部屋の中で響き渡る。


「そうだな。なんとなく話が見えだした今こそ、その方らの名を聞くべきであろう。発言を許す」

「ありがとうございます。某は北条家家臣、梶原かじわら景宗かげむねと申します。そしてこちらにおられる御方は」

おおとりと申します」

「我が主の御正室にございます」

「それもかつての話にございます。江戸城から出されたとき、縁を切っておりますので"かつて"の間柄にございます」


 かつて、この言葉がやけに強調されていた。

しかし元々の正室である黄梅院を、氏政は武田との縁が切れた後に甲斐へと戻している。

 その後は誰も迎えていないと思ったが、どうやら違っていたようだ。出自を聞いたが、聞いたことも無い京の公家が父であるらしい。

 偶然関東に下向していた際に、縁を持ったとのこと。

 だが正直言えばこのあたりは俺に何ら関係が無い。興味が無いとは言わないが、今の状況で深く掘り起こすことでも無い。


「してどうして、というのはおかしな話か。だいたい察した」

「一色殿にお願いしたきことはただ1つにございます」

「・・・」


 俺の無言は、この続きを話せであると捉えたようだ。

 景宗は調子を変えずに俺に説明を続けた。


「おそらく我らは今後敵対することでしょう。そのことを分かった上でのお願いにございます。我が殿の御子らをどうか助けていただきたい」

「・・・冗談を」

「冗談ではございません。ここにおられる鳳様含め、未だ元服を終わらせておりませぬ子らを戦火より逃していただきたいのです」

「それがどういうことかわかってのことでしょうな?」

「当然。今川様にとって北条の血を残すことは後々不安にございましょう。関東を抑えるために東に兵を出されるのですから当然にございます。もし今一色殿が、もしくは後に今川様が無茶な話であるとお思いであれば、それはそれで良いのです。ただ我らは御子らが少しでも生き延びていただけるよう匿っていただける御家を探すだけにございますので」


 まったく目がぶれない。これはおそらく本気だ。

 本気で氏政は自身の妻と子を今川に託そうとしている。というか勝算あってのことであろうな。早川殿は未だ氏真様のお側におられる。北条と敵対した後もずっとそれは変わらなかった。

 そして氏政は覚悟を決めたような選択をしている。次の戦がまるで最期であると思っているかのように。

 もちろん俺達としても、北条との戦は早々に終わらせたい限りだ。

 佐竹も力を付けている。そして背後にいる蘆名や伊達も同様だ。

 いつまでもここで足踏みしているわけにはいかないのだから、北条が覚悟を決めたということ自体は喜ばしいものなのだ。

 だが果たしてこちらは如何すれば良い。

 下手をすれば越後上杉家の二の舞となる。しかしもしその子らに大きな利用価値があればどうだ・・・。


「鳳様にお尋ねいたします」

「なんなりと」

「今回共に連れてきた中に、国王丸殿は含まれておりましょうか」

「いえ、国王丸様は北条の跡継ぎにございますので、氏政様と共に城に残りました」

「では連れてきた中に女は何人ほどおられますか」

「4人にございます」

「では男は」

「3人にございます」


 おそらくその3人とは、本来であれば周辺大名や家臣の元に養子入りした者達のはず。国王丸は後の氏直のことであるから、氏政は史実通り氏直に後を任せるつもりというわけだ。

 そしてここからが問題である。

 そもそもこの話、何が問題であるのかという点。

 この先、もし俺達が北条を滅ぼしたとして、大名としての北条が滅びた先のことを考える。

 関東に領地を広げた今川家に待っているのは、北条の血が流れるその男らを正当な統治者としてまつり上げられるといった仮定の未来。全くあり得ない話では無い可能性。そして家中はいくつかの派閥に分かれて争いを始める。

 その派閥の争いに親北条だとか、親今川なんて考えを持つ者はきっと少数だ。他は家中の覇権争いが大きいであろう。

 能登の畠山や、先日ようやく収束した越後上杉家の景虎方のようにな。


「もし殿がお許しになったとして、その後のその子らの扱いはこちらで判断してもよいのだろうか?」

「はい。例え出家することとなっても、我らが恨み言を言うことは無いでしょう」

「それは当たり前。そうでは無く、例え今川領にいられなくなっても、という意味で言った」

「それは追放される、ということでございましょうか?」


 わずかに景宗の空気が固まったな。つられて鳳様も息を呑んだように見えた。


「追放、という言葉は少々語弊があります。正確に言うのであれば安全な場所へと移す」

「・・・安全な場所、にございますか」

「そう。例えばそこにいる暮石屋や、他商人らが贔屓にして貰っている地であるとか」


 敢えて名を上げるのであれば雑賀や大湊だろうな。あの地は商人の町で、武家の権威などそう意味を持たない。

 大湊も信長が本来の形を維持することを認めているから、商人達はこれまで通りにやっている。ただし戦が起きれば協力金、所謂矢銭を求めることがあると言うが、それでも大湊にとってそれほどの痛手では無いようだ。

 まぁ纏めれば、ある程度商人同士の融通が利くということ。それも武家の介入無しで。

 雑賀は最早商人どころか俺との関わりが深くなっている。多少の無茶は聞いてくれるだろう。先日の詫びも守重は納得いっていなかったようであるからな。


「その地はここよりも安全であるのでしょうか?」

「ここも安全とは言い切れぬ。いつ戦渦に巻き込まれるか」


 あまり景宗殿は信じていない様子だった。

 たしかにこの地は平和だ。今も最前線に晒されている地域がそこら中にある北条から見れば、もう楽園のようなものであろう。

 だがそれでも絶対では無い。外敵ではなくとも内からなんてこともあり得る。

 俺はそれが怖いが故に、懸命に家臣らの、そして信濃衆の心を掴むことに躍起になっているわけだ。


「しかし今の話を聞くに、此度の話受け入れていただけるということでしょうか」

「一応話はしてみようと思う。ただしあまり期待はしないでいただきたい。これまで似たようなことを何度もやっております。いい加減不信感を抱かれかねないので」


 俺の疑惑の最たるものは家康と信長だろう。

 当時は今川家中が安定せず、俺の行動全てが不審がられていた。

 久の輿入れも相当内通を疑われたし、信長が家臣を定期的に送り込んできたことも同様だ。

 そして此度は北条ときた。

 当時は信長と敵対する予定が無かったが故、そこまで大事にはならなかった。家康のときは久を迎える正当性を主張することが出来た。

 だが北条はどうだ。俺が氏真様に氏政の子らの助命をお願いすること自体がおかしなことであり、正当性なんてものは全く無い。

 間違いなく不審な行動であるように映るだろう。だが今、ここで追い返すのは忍びない。追い返して危険に晒されるのは、まだ何も知らぬ、何の罪も無い子らであるのだ。

 せめて元服でもしていれば追い返したであろうが、そうでもないときた。


「それでも問題ありません。もし一色殿に不都合が生じた場合、我が首をもって事を治めていただきたい。この話に決着が付くまで、某はこの城に留まりますので」

「私も同様にございます」


 なんて言われてしまう始末。どうやらいよいよ断れそうに無い。


「・・・昌友、出立の支度をする。目的は今川館だ」

「かしこまりました」


 実はずっと控えていた昌友に声をかけると、じゃっかん疲れた様子で昌友が頷いた。

 いったい俺は何度危ない橋を渡れば気が済むのか。それも他人のために。

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