283話 足利義助の人となり
室町第 一色政孝
1571年春
「面を上げよ」
「はっ」
岐阜城を出立後、浅井領を抜けて京へと至った。近江でも歓待を受けたが、浅井長政のイメージとは少々かけ離れた印象を受けた。これもまた秀吉の時と同じように。
優男という印象であったのだが、勝ち気が強く大きな野望すらも抱えているような、そんな感覚に見ていて陥ったのが強く頭に焼き付く。
これが史実とは違うバッドエンドを描かなければよいが、と僅かに不安を覚えたが氏真様には好青年に映ったらしく、随分と話が弾んでいた。
しかし近江の観音寺城には義秋が入京を心待ちにしているということもあり、迂闊なことは言えず、本音を隠した会談を設けたこととなる。
そして今、俺達は室町第にいる。目の前には多くの幕臣、いゃ、正確には三好の家臣らがずらりと並び、その先に現公方である足利義助が座っていた。
「氏真よ、此度の上洛を予は嬉しく思うぞ。今や数少なくなった足利の一族の繁栄は予にとっても喜びを感じるばかりである」
「勿体なきお言葉にございます」
「・・・織田と密接な同盟関係を築いていながら、織田の擁する義秋の上洛には同調しなかったとも聞いておる」
「・・・」
氏真様は何も申されなかった。しかし足利義助、これまでの幕府のあり方と全く同じような振る舞いをしてくることから、てっきり義秋と似たような人物であるかとも思ったのだが、実際に会ってみると随分と性格が違うことがわかった。
まず今に限らず、何度もこちらを探ってくるような言動を繰り返してくる。迂闊なことを言えば、たとえ御一家とはいえ苦しい立場に追いやられる可能性もある。
そして幕臣らはあくまで家臣であり、取り巻きのような真似をさせていない。
あくまで足利義助は将軍として、自立した振る舞いをしているのだ。
「答えにくい質問であったであろうか?」
「そのようなことはございませぬ。ですが、公方様はいったい私のことをどのように思われているのか。その点が全く不明にございます。私は元より足利義秋様を次期将軍へと推しましたので」
「それは仕方があるまい。予も理解はしておるつもりである。平島からはかつて1度も将軍を輩出しておらぬ。故に予が将軍に相応しくなく、前の公方の弟である義秋に義があると考えるのは当たり前のこと。そなたもそう考えたから、義秋を推したのではないか?」
「ご慧眼には恐れ入ります。まさにその通りなのです」
実際には全く違うのだが、氏真様はそうであると頷かれる。本当の理由はこの場で口が裂けても言えない。
三好の勢力拡大が面白くない。これ以上畿内で大きくなるのであれば、東海にも何かしらの火の粉が降りかかる危険性があるから義秋を推した、など到底な。
「しかし今後は予に尽くすが良い。これまでの公方の行いで荒れた世は、予の代で終わらせる。兄上が志した真の将軍となるべくな」
「微力ながら私もお手伝いいたします」
「そう言ってくれると安心である。今や今川の勢いは日ノ本一と言っても過言ではない。氏真が予と共に歩んでくれるというのであれば、真に心強い話よ。そうであるな、長房?」
「激しく同意いたします。ですが1つだけ気がかりなこともございます」
義助が僅かに眉間に皺を寄せた。やはり公方と幕臣の間に、何も連携は無い。あの男の独断だろう。
「今川殿、前の鎌倉公方との戦。あれは公方様のご意志に反する行いにございます。以後は控えて頂きたく思いますが、如何でございましょうか?」
「はて・・・。私は鎌倉公方様と戦をした覚えなどありませぬが?政孝、そのようなことあったであろうか?」
「いえ、私もそのような記憶はございませんが」
将軍家の介入理由はまさにそれだった。俺達は北条と戦をしたのであって、鎌倉に半ば幽閉されている足利義氏と戦をした覚えは無い。
だが北条が和睦の際に氏真様にこぼしたという愚痴。北条は鎌倉公方の忠臣として、不当にも侵攻してきた今川家と戦をしているとされたのだ。故に関東管領家である山内上杉家にまで援軍要請が出された。
本当は河東地域を巡って今川北条間の長きにわたる因縁が再燃しただけなのだが、幕府が良いように話を作り替えたのだ。今川家に取ってみれば鎌倉公方も同族である。
同族に手をあげるとは何事か!と足利将軍家がお怒りというわけだ。
「しらばっくれても無駄にございます。鎌倉公方様より関東の安寧を守るべく援軍の要請がありましたので、次期関東管領であられる上杉憲景様にお願いいたしたのです。我らとしても長く関東を守られてきた鎌倉公方様を蔑ろにするわけにもいきませぬ。どうかお聞き入れいただければ」
「・・・」
まさに絶句。三好の重臣である篠原長房であるが、どのような理屈で言っているのか。根っからの幕臣であればいざ知らず、戦国大名として信長よりも早くその地位を確立した三好家の重臣がこのような発言をするとは。
まったく今の世を分かっていない証である。
「小弓公方様は如何されるおつもりにございますか?」
「小弓公方様はあくまで鎌倉公方家の分家にございます。とうてい関東の主として認められることはできませぬ」
「なるほど、それが幕府としての見解であると」
氏真様の言葉に一瞬であるが長房は義助を見た。
義助は未だ不満げな顔つきである。そもそも長房、篠原家の人間は幕政より少々遠ざけられていたと聞いていたが、何故か今は1番近くにいる。
その理由が分からない。
義栄の死は間違いなく義助に大きな影響をもたらしたはずなのだが・・・。
「その通りにございます。それで先ほどの話、受けていただけますでしょうか?」
「・・・話になりませぬ」
「は?」
長房の表情は凍り付く。断られぬと信じて止まなかったのか、思考が完全に止まっているようだ。
幕臣の中でも僅かに愉快げにしている者たちもいた。その内の1人は、皺が多いもののしっかりと整えられた白髪の男。そしてもう1人は長房の対面に座る男。
「たとえ我らが関東に兵を向けずとも、北条はこちらに兵を向けるであろう。失われた地を取り戻すために。しかしそこに鎌倉公方様のご意志は無い。三好家ではどうであったか存じ上げませぬが、今川家では・・・。いや多くの大名家は幕府の言いなりになっているだけでは滅ぶのです。幕府は我らが窮地に陥った際、助けていただけるのですか?我らが滅びぬように兵を出してくださるのですか?」
「当然であろう。それが日ノ本を治める者の役目」
「北条の・・・、鎌倉公方家への援軍は、混乱から立ち直りかけている最中であった山内上杉家のみにございましました。公方様の兵は関東に向かわれていたのでございましょうか?関東一帯を治める重要な役割を持つ鎌倉公方家にすらそのような対処であるというのに、いち大名家である我らがその言葉を信じられるとでもお思いなのか」
氏真様の不満は堰を切ったように流れ出した。これまでの幕府の行いは、この男の関与が濃厚であるからであろう。
やり口が今と当時でそっくりだ。
「私も駿河の、遠江の、三河の、そして信濃や伊豆の多くの民の命を預かる身。己が利だけで物事を考えられていると、いずれその足下を掬われかねぬ。そう私から言わせて頂きます」
「何を言われるかと思えば」
長房はそう言いかけたが、ついに義助が待ったをかけた。
「氏真よ。今の言葉、予も心にとめておくとする。此度はこのあたりで許してやってはくれぬか?」
「・・・申し訳ございませぬ。お見苦しい姿をお見せいたしました」
「気にするでない。鎌倉公方との戦を控えて貰いたいのは、予としても同じである。だが長らく三好家の世話になった予であるから、その方らの言い分もまた理解は出来る。故に北条との戦に関しては、予が関与することはない。それで良いな?」
「ありがたきお言葉にございます。私も足利家のご一族の方々と争うつもりはございませぬので、そのことだけお伝えさせて頂ければ」
義助は満足そうに頷いた。氏真様も成果は上々であるといわんばかりに、表情を崩された。
「政孝、例のものを運ばせよ」
「かしこまりました。これより人を入れさせて頂きますこと、先にお伝えいたします」
「うむ、気にするでない」
「ありがたきお言葉、では」
俺の合図と共に多くの者達が、大量の土産物を持って部屋へと入ってきた。今川領の特産品に、日ノ本各地の特産品。
多少金を積んで、今回の土産とした。三好の家臣達も感嘆の声を上げる。
「こちらを公方様へ献上いたします」
「すべて予にか?」
「はい。全てにございます。これらは商人を通じて朝廷にも献上している品々にございますので、決して邪魔にはならぬかと」
「そうか、これは良いものを貰ってしまったな。よし、今川氏真よ、今後は予とともに日ノ本を支える力となってくれ」
「かしこまりました」
室町第での謁見はこれにて終了した。とりあえず分かったことは、義助は利口な男だということ。そして幕臣内でも争いがあり、それはおそらく三好家中の争いでもあるということ。
長房は義助に煙たがられているということか。まさに成果は上々だ。
あと数日京へ滞在する予定であるが、まだまだ予定は詰まっている。明日以降は公家の屋敷へと招待されているのだが、いったいいくつ回らなければならないのか。頭が痛くなる話だな。
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