237話 獣退治
茶臼山 一色政孝
1569年夏
木曽谷から東へと進む。険しい山道ではあるが、最短距離を抜けるならばこの道を使うしか無かった。
とは言っても、一日に何キロも歩く商人らがほとんどだ。俺達も一度はこの道を抜けて高遠城へ向けて歩を進めたこともある。
特に弱音を吐く者も無く、目的地である狐林城へと近づいていた。
「殿、一度休憩を挟みましょう」
「まだ歩けるが仕方が無いか」
「はい。ここ数日、旅人らが山賊の被害に遭っていると申しておりました。すでに犠牲になった者もいるとか」
「警戒するにこしたことはないな」
昌秋は周囲の安全を確保すべく、護衛を数人に分けて偵察に出す。
山賊被害が本当なのであれば、正規に兵を派遣して制圧すべきなのではあるがなにぶん時間が無い。
それに俺達がこの山に入って大分経ってからその情報を仕入れたのだ。後戻りする時間も惜しいということで、強引に先へと進んでいる。
今年中に信濃の前線に武器やら物資を送らねばならぬから仕方が無いこととはいえ、やはり危険な橋を渡っている自覚もある。
だからこうして時間はかかるが何度も人をやって進んでいるのだ。
「源左衛門、他の商人らはまだ歩けるか?」
「はい。この程度で音をあげる者はおりません。それよりも政孝様のお身体の方が気になるところ」
「ならば何も問題は無い。俺もこの山をかつて越えているのだからな」
「とはいえ山越えは危険にございます。仲間達が何人も山中にて命を落としておりますので。それを考えれば航路を確保出来たことは非常に大きな事にございました」
ちなみに市川という家は、組合の中で一番最初に船を手に入れた。最初は海賊から強奪したものであったが、それを用いて遠方の商人や領主らより船を買い、それらを商会に所属する商人らに売ったのだ。
今は領内で造船もやっているからその家業は廃業してしまったが、代わりに雑賀との火縄銃貿易を始めた。
その分に関しては一色が高く買い取っているから、市川の儲けは相当なものである。
「たしかに。獣もいれば山賊もいる。山は天気が変わりやすい故、遭難もあり得る」
「その通りにございます。ですので・・・」
源左衛門は走り寄ってくる1人の男を見た。その者は昌秋の放った護衛の1人である。3人ずつの探索を厳命していたのにも関わらず、1人で戻って来た。つまり何かがあったということだ。
「殿、何やらこの先で戦っている者らがおります。片方は明らかにならず者といった様子でございまして、おそらく例の者たちでは無いかと」
「山賊か。それでそれに対しているのは?」
「そこまでは・・・。ですがただの旅人の一行という風には見えませんでした」
報告を聞いて俺はどうするか考えた。
確かに護衛はいるが、人助けをする余裕があるのかと言われれば戦力的には微妙なところ。
だが山賊に襲われていると分かっていて、見て見ぬふりなど出来るはずもない。
「昌秋、護衛を残しつつ俺に続け」
「山賊退治にございますか?」
「退治などと立派なものでは無い。獣を追い払うだけだ」
俺は源左衛門の背後に置かれた大量の荷物を見た。その意図を察した源左衛門は、その荷を1つほどき中身を昌秋へと手渡す。
「昌秋殿、これは大事な商品にございますので大切にお扱いを」
「お、おぅ」
昌秋は驚いたようにその荷を受け取った。俺も源左衛門に1つ荷を預かり、その場を離れる。
「源左衛門、もし何かあればここに残す護衛らを頼れ」
「かしこまりました」
だがまぁ護衛の必要は本当のところない。染屋が独自の海上護衛を雇っているように、市川も護衛を連れている。それも雇っているわけでは無く、自前の護衛である。
ならば何故俺が護衛を残したのかというと、万が一があったときに言い訳が立つように。ただそれだけの理由である。
「案内せよ」
「かしこまりました」
「それで数は如何ほどか」
「10・・・。いゃそれよりも少し多いかと」
俺は周りを再確認する。今いる者らだけでも20はいる。
単純な数では負けるはずがない。だが相手が例の山賊であるならば、この山での戦いは圧倒的に奴らに利がある。
だからこその獣退治というわけだ。まともに戦わぬ。
「こちらでございます」
小声で茂みより俺達を呼ぶ者がいた。
最初に俺達の元へと知らせに来たものと組んでいたものの1人だ。
俺は呼ばれた茂みへと身体を隠しながら、崖下に見える山賊と襲われている者たちの様子を見る。
確かに山賊の数はいるが、襲われている者らも武の心得があるのか一方的にやられているようには見えない。
だが問題は襲われている者たちの中には、戦えぬ者らが多数いるということであった。
「如何いたしましょうか?」
「助けるに決まっている。奴らを囲むように展開せよ」
「かしこまりました。殿」
「どうした、昌秋」
「決して無理だけはされぬようお願いいたします」
「わかっている」
それだけいうと、昌秋は護衛の者らに俺の指示を飛ばす。それを聞いた者たちが音を立てないよう、慎重に場所を移動する。
「そろそろか?」
「はい。全員が配置につきました」
「ならば獣退治といくとしよう。昌秋、深追いは無用であると心得よ」
「はっ!」
山賊の1人が青年に斬りかかったところで、俺は持ってきていた弓を構える。
幼少期から鍛練を積んで一番得意となったのが弓なのだ。
誰にもその腕は負けない。
「あの者を狙うのですか!?」
「集中させよ。俺ならば外さぬ」
弦に指をかけ、強く引っ張る。狙いを定めて標的の動きを見極めた。
そして一番弱点がむき出しとなるタイミングを見越して指を離す。
見事に襲いかかっている山賊の胸付近に当たる。そのまま前のめりに転倒し、襲われていた青年も驚きで固まっているのがよく見えた。
「何者だっ!!」
「俺は今川一門衆、一色政孝である!我が殿の領内で不義を働く者らを成敗するために参上した!」
「今川だぁ?一色だぁ?そんなものは知らん。この地は俺のものだ!余所者が出てくるんじゃねぇ!」
「余所者とは心外である。だがそれならば力で証明するしかあるまい。お前がやっていることと同じようにな」
すでに数人がこの山賊らによって命を散らしていた。
何故このようなところで落とさなければならなかったのか、さぞ無念であったであろう。
だがそれもここまでだ。
「みな、構えよ!」
それを合図に、取り囲むように配置していた護衛らが弓を構えて立ち上がる。
その逃げる隙の無い配置は流石であるとしかいいようが無い。俺は隣に控えている昌秋へと頷いた。
昌秋は嬉しげにそれに応えると、自身もまた弓を構えて立ち上がる。
「俺に合図を出させるな。今ならば見逃してやる」
「やってみろ。その合図を出した途端、こいつらも道連れとなる」
山賊のおそらく頭領と思われる男はあくまで余裕そうである。だがこちらには秘密兵器がある。
まだあまり世の者らに浸透していない、弓矢などを圧倒的に上回る代物を。
「昌秋」
「かしこまりました。ですがこれは」
「分かっている。決めるのは1発だ」
「では」
弓の構えを解いた昌秋が源左衛門より預かりし火縄銃を俺へと渡す。
込められた弾はたったの1発だけ。奴らを退治するために1発で決めなくてはならない。
外せば奴らの士気が上がるだけだ。無駄に死者を増やすこととなる。
「刮目せよ、この武器の威力を」
俺はすでに支度の済んでいた火縄銃を、さきほどから威勢の良い男へと向けた。何が起きるのか分かっていないようだが、どうせ打ち抜かれても何が起きたかなど判断出来ぬ。
俺は震える手を押さえて、奴の頭を狙った。
「なんだそれは。そんなもので俺が怯えるとおも《ドォーン!!》」
奴が話す最中に引き金を引いた。案の定、何か反応を示す前にその命を散らすこととなった。
もちろんだが圧倒的に自信のあった弓と違う。頭領を狙ったのは本当に偶然であった。そいつがたまたま襲われている者の側にいなかったから、此度の獲物に選んだに過ぎない。
ドサッと音を立てて前のめりに倒れる。その様を見た山賊らは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。その混乱のしようは凄まじいものであった。
だがこのことは義昌殿や藤孝殿に報告しておくべきであろう。周辺の領地の安寧を図るのも大事なお役目であるからな。
「行くぞ、無事であるか確認に向かわねばならぬ」
「殿、あまり前に出られては危険です。あの者らが何者かも未だ分かりませんので」
昌秋の言葉も尤もであった。単純に襲われていたから助太刀に入ったが、もしかすると今川に害のある者かもしれぬし、今川を恨む者である可能性もある。
昌秋に先頭を任せて、あの者らの側へとむかったのだ。
だがしかし俺、もしかすると火縄銃の才能があるのやもしれんな。今度俺用の火縄銃を買い求めてみても良いかもしれん。
・・・とりあえずは昌友に相談か。
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