212話 背後を守るための出陣

 鯏浦城 一色政孝


 1568年春


 城から出ていく無数の船を眺めていた。

 鯏浦城に配備されていた抱え大筒と火縄銃隊は十数人を除いて、あの船に乗っている。

 景里は織田水軍の安宅船を見て、抱え大筒の運用が可能であると決断したのだ。


「正勝殿の率いる安宅船から抱え大筒で砲撃し、それを護衛するように貞綱殿が展開する。敵が砦に引きこもったら、親元殿が火矢を近距離から浴びせて砦を火攻めにする。改めて、まさかこのような戦をする日が来るとは驚きにございます」

「これからさらに増えることとなりましょう。成功を祈るばかりです」

「確かに。さて、ではこちらも兵を出すとしましょうか」


 信興殿の言うとおり、俺達も出陣の時だ。

 目的は蟹江にある服部党の拠点。いい加減に背後の安全を確保しないと、安心して島々へと渡ることが出来ないとの判断からである。


「信成殿、城のことよろしくお願いします」

「はっ、お任せを」


 一応ある程度織田の兵を残しての出陣。城を任せるは津田信成殿である。

 そして俺達はここ鯏浦城の東にある蟹江へと向けて進軍する。武力による屈服でも、話による臣従でも何でもいい。

 かつては今川と共に桶狭間で戦ったこともあるのだと信興殿に聞いた。

 残念ながら俺も信興殿もその戦に出ていないから詳細は分からぬが、それでも話で解決出来る可能性も頭の片隅に入れておく。


「では参りましょうか。早急に蟹江を制し、急ぎこの地に戻りましょう」

「はい。道房、一色の兵の用意は大丈夫だな?」

「万全にございます。佐助殿の火縄銃隊もすでに外で待機していると」

「よし」


 夜中。周りは真っ暗であまりに危険な行軍であった。だが急がねば、反撃の機を伺う一向宗に流れを持って行かれかねない。

 此度の長島攻めでは、長島城を除く周囲の一向宗勢力を完全に叩かなくてはならないのだ。服部党もその1つである。

 織田への借りを早速返すとしよう。




 躑躅ヶ崎館 武田信玄


 1568年春


「父上がこのような場所にいてよろしいのでございますか」

「構わぬ、ワシは隠居の身なのだ。武田のことはあの者らに任せねば意味が無い」

「これはいらぬ事を申したのかも知れません」

「気にするでない。親子水入らずである」


 目が見えておらぬというのに、まるで見えているかのように信親は茶を点てている。

 まるで見えているかのようにワシの顔を見て話すのだ。

 長尾に小県を制圧された時、信親も長尾の手に落ちた。だが政虎は信親のことを無傷でワシの元へ届けてきたのだ。

 長尾に気を遣われたことに腹が立った反面、信親が無事で良かったとも思った。

 最初で最後の政虎へ感謝であるな。


「しかしこうしてゆっくり茶を飲むのも、最後になるやもしれません」

「・・・外の様子はどうであった」

「はい、民は困窮しております。前の戦で米は無くなり、田畑も荒らされました。そしてこれまで今川に頼っていた塩や魚も止められております。早くこの事態から脱却しなくては、この地でも一揆が起きかねぬところまで事態は進んでおります」

「やはりか・・・。せめてもう少し有利にことを進めておけば・・・」


 欲をかいたつもりはなかった。北条との密約で勝つ算段は確かにあったのだ。

 だが北条に裏切られ、長尾・今川に信濃を切り取られた。織田にもよいようにやられ、我が武田の敗北は決定的となってしまった。

 幕府の仲介により事なきを得たと思ったが、甲斐一国まで戻ることとなってしまう。状況はかつての一国時代と比べてあまりに悪い。


「父上、あまり気を落とさず。身体に悪うございます」

「すまぬな、だが後悔せずにはいられぬわ。今もあの者らが必死で打開策を考えているのだぞ」

「我ら兄弟で乗り切らねばなりません。それが父の子として生まれた我らの成すべき事にございます」


 ワシの前に差し出された茶を飲んだが、まことに美味かった。


「・・・このような時に言う話でも無いのかも知れませんが」

「如何したのだ」

「領内でとある噂が流れております」

「噂?」


 信親の面持ちは沈んでおった。

 そのことがワシの心情を大きく揺さぶる。


「兄上と勝頼殿との仲が険悪である、と。勝頼殿が兵を挙げ、武田を乗っ取る用意を進めているというものにございます。噂の出所は全くの不明にございますが、一応父上のお耳には入れておかねばと思いまして」

「いったい誰が・・・。いや、真実がどうであれ早急に解決せねばならぬ問題である。家中が割れれば、北条や今川の介入を許し、今度こそ武田は滅びる。ワシの方でも探ってみるとしよう。その話あの者らには言うてはならぬぞ」

「承知しております。兄弟で争いたくはありませぬので」


 信親も一口茶を飲んで、軽く息を吐いた。


「ともかく馳走になったな。そろそろ屋敷に戻る」

「またお越しくださいませ。茶を出すことしか出来ませんが」

「うむ。茶をまた飲みに来るとする」


 外へ出ると信茂が待っておった。

 どうやら進展があったようである。


「勝頼さまが駿河へと向かうこととなりました。そのことご隠居さまにご報告させていただきます」

「勝頼が向かうこととなったか。どうにかなると思ってのことであろうな?」

「はい。信君殿や信友殿が強く後押ししたことで、勝頼様を御屋形様の名代として駿河へ派遣することとなった次第にございます」

「・・・そうか。それで出立はいつである」

「早ければ早いほうが良いと。勝頼様は一度屋敷へと戻り、支度ができ次第すぐにでも、というようでございます」


 信君と信友は、勝頼に長くつけている武田の重臣である。

 その二人が強く押したというところが引っかかる。だがそれだけで先ほどの信親の話を疑うわけにもいかぬか・・・。


「一度ワシの屋敷に顔を出すように伝えよ。言わねばならぬ事がある」

「かしこまりました。ではそのこと伝えに行って参ります」

「うむ」


 信茂は足早にワシの前から去って行く。

 しかし嫌なことを聞いてしまったか。息子達を疑うことはしたくないのだがな。

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