148話 裏切り

 小田原城 北条氏康


 1565年冬


「失礼いたします。お呼びだと伺い参りました」

「おぅ、氏政か。入れ」

「では失礼いたします」


 倅が俺の部屋へと入ってきた。その顔には不満げな感情がたぶんに含まれている。言いたいことはわかる。どうせ先の話のことであろう。


「そこに座れ」

「はい」


 面と向かって座る。氏政の背後には長綱ながつなが控える形となった。

 長綱は俺の叔父である。


「何か聞きたいことがあるのではないか?」

「そのようなまわりくどい確認はお止めください。分かっておいででしょう?先ほどの武田からの話、どこまで信じられるおつもりですか」


 俺を疑うその眼。思えばこやつが俺を毛嫌いするようになったのは家督を譲ったときからであったな。

 俺のやることなすこと、全てが気に入らぬようであった。


「当然、全ての言葉である。武田は盟友であろう?」

「それは今川も同様にございましょう」

「今川は衰えた。義元亡き今川に盟を結ぶ価値などない」

「しかし持ちこたえております。失地であった三河国も松平の臣従により取り返しました」

「尾張には織田がおる。義元すらも屠った織田がな」

「しかし織田はあれ以降、今川領を攻めておりません」


 俺の言葉全てに反論する氏政である。確かに織田が今川に攻めてこぬのは事実。東海の全域を押さえることに興味が無いのか、はたまた北条や武田と接地するのを嫌っているのか。

 だが、であるからと言って今川と今後盟を結び続けることなど出来ぬであろう。


「長綱、奴らは間違いなく政虎と通じているのであろうな?」

「忍びをやって調べました。おそらく間違いないかと」

「上杉が関東に勢力を残す限り、俺達の失地回復は出来ない。だから奴らをこの地から追い出す必要がある。そうすれば上杉になびいている奴らも、目が覚めるだろう」

「父上は長尾が関東管領職に就いてから随分と変わられました。時代は流れております。その流れを見失われた。父上、いい加減隠居してくだされ。あとのことは我ら兄弟に任せていただきたい」


 随分と大きな口を叩くようになったものだ。だが、まだ任せられぬ。

 政虎の相手にお前達では力不足よ。北条の礎を築くはこの俺で無ければならぬ。せめてかつて父上や祖父が治めた地だけでも取り返さなければ、死んでも死にきれぬ。


「氏政」

「・・・はい」

「あまりこの俺を舐めるな。何も見えていなければとっくにこの身を退いて、隠居を楽しんでいるわ。だがそうしないには理由がある」

「それが今川を裏切って、武田につくということですか」

「違うな。武田にもつかぬ」

「・・・何をされるおつもりで?」


 今度は不審の目で見て来おる。

 我ら北条に最早武田と今川という不安定な同盟相手はいらぬ。先を見なければ生き残れぬのでな。


「武田の使者は何と言っていた」

「上杉の隙を突き、西上野に侵攻すると」

「かつてあの城を守っていた長野ながの業正なりまさは数年前に死んだ。跡を継いだ業盛なりもりもよく踏ん張ったがこれ以上は難しかろう」

「武田がその勢いのまま、周辺の上杉勢の城を落とし関東と越後を分断したあかつきには北条の旧領の再支配を手助けするという話でしたが」


 俺は氏政の言葉に首を振った。氏政は何も間違っていないと怪訝そうな顔で俺を見る。

 だが間違いなく、武田の約定には矛盾が存在するのだ。


「北条の旧領ということであれば、上野もそれに含まれるはず。だがあの話では上野の支配は武田が担うことになろう」

「・・・武田も裏切られるのですか?」

「そうだ。そして今川とすぐさま講和し、武田本領の甲斐に侵攻する」

「上杉は如何されるのです?黙って城を奪われるような間抜けでは無いでしょう」

「上杉との講和には公方様を使う。あの御方のことだ、関東管領である上杉に恩を売りたいと、奴らの都合も鑑みずすぐさま和睦の使者を寄越してくるであろう」


 上手くいかぬと思うか?長綱も微妙な表情をしているな。

 だがそこまでせねば我らがかつての勢いを取り戻すことは難しい。そして裏切り者の汚名をかぶるのは、実質北条家を取り仕切っている俺一人で十分だ。

 どうせ老い先短いこの命。こいつらに不憫な思いをさせるわけにはいかぬしな。


「それに武田はどうせ終わりよ。上杉と今川が手を組めば、南北から挟撃されることとなる。そして先の美濃平定においての大敗。南信濃は織田とも接した。全ての戦を十分に戦える力が残っているとも思えん」

「私の妻は如何されるおつもりですか」

「送り返すが普通であろうな」

「・・・考えさせてください」

「当主はお前だ、好きにすれば良い」


 席を立った氏政は、一瞬であるが俺を睨みつけ、そして出て行った。

 残ったのは長綱だけである。


「御本城様、殿のお気持ちも察しておられるのでしょう?そこまで突き放されずとも良いと思いますがな」

「叔父上はあまいのです。あなたは父の強かった北条の時代を知っておられるはず。現状のままでよいとも思っておらぬのでは?」

「・・・たしかに。だが御本城様は兄とは違う」

「言いたいことはわかった。だが話はこれまでだ」

「では私も小机こづくえ城へ戻るといたしましょうか」


 立ち上がった長綱であったが、部屋を出る直前に振り返り一言、


「あまり1人で抱え込まぬよう。御本城様は知らぬとは思いますが、あなた様の御子たちは立派にやっておられますよ。では」


 それだけ言って出て行かれた。

 最後の言葉は余計であったがな。あいつらがよくやってくれているのは俺だって分かっている。だからこそ、俺が今無理にでもすべきことがあるのだ。ただしそれは誰にも知られずとも良い。

 裏切り者はたった1人でよいのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る