第45話 染屋寅吉改め染谷寅政、仕官する

 大井川城 一色政孝


 1561年秋


「染屋熊吉様、染屋寅吉様をお連れいたしました」


 部屋の外より小十郎の声が聞こえた。思ったよりも時間がかかったが、きっと母が色々熊吉に言ったのであろう。

 そもそも今川家は京の足利将軍家と縁の深い一族だ。家格は足利将軍家の親族であり、御一家であった吉良家の分家にあたる。

 御一家を簡単に言うと吉良・渋川・石橋の3家を指しているのだが、これらの家には足利家の同族の中でも征夷大将軍の継承権を持つ家となっている。つまり吉良家の分家である今川家も足利将軍家にとっては相当位の高い家柄になるのだ。

 さらに補足を言えば、吉良家は御一家の中でも筆頭と言われており幕府の要職である管領よりも高位に位置づけられている。

 今川家は吉良の分家として代々駿河の守護に任じられてきたから、最早誰も京に思い入れなどないと思っていたのだが、母はどうやらそうでないらしい。

 一度でも良いから京の町並みを見たいと言っているのだ。前は暮石屋の商売について行こうとしたほどだ。時宗らが止めさせたが、暮石屋も相当参っていたな。

 話が逸れたが、そういうこともあって母の京からの交易品に関する関心は相当高い。商会組合の者らも、京の品を持ってこなければ母に絡まれることも無いのだが、こと京の品に関しては母は上客でもある。

 おそらく染屋も次回の来訪に向けて色々注文されたのだと予想する。


「入れよ」

「はっ、ではこちらへどうぞ」


 外から襖を開けた小十郎の指示に従って染屋兄弟が恐る恐る入ってきた。この2人がこの部屋に入ってくるのは初めてだな。暮石屋はよくやってくる。母のことを遠回しに止めるよう言って帰って行くことが多々あるのだ。


「まぁ気楽にせよ。此度呼んだのは少々2人に相談があるからだ」

「相談ですか?」


 寅吉が不思議そうな顔で尋ねてくる。たしかに商家に一色から何か依頼するときは長である暮石屋に頼むのが普通だ。今回はわざわざ2人を呼び出した。海上では勇ましく戦う寅吉も緊張で固まってしまっている。


「先日の海戦で、染屋寅吉の指揮能力の高さに驚いた。今一色で水軍を編成しようとしていることは知っているな?」

「もちろんに御座います。林様には大変お世話になっておりますから」

「寅吉は知っているのだがな、水軍の人材が明らかに足りておらぬのだ。よって先日捕らえた奥山海賊衆を勧誘した」

「そうなのか?」


 熊吉は隣に座っている寅吉に尋ねる。寅吉は黙って頷いた。


「奥山親元の様子を見るに好感触だったと思う。しかしそれでも足りん。指揮を執れる者がな」

「・・・まさか」

「そのまさかだ。染屋寅吉を俺の家臣として召し抱えたい。そしていずれは一色水軍の指揮官として俺の力になって貰いたい」


 驚いているのは2人共だが、口を半開きにして驚く寅吉の様子がやけに面白いと思った。戦場では淡々と指揮を執り、陸上では無愛想な男であったがこうも感情豊かであったとは、ますます面白い。


「おそれながら我ら染屋家の副業をご存じでしょうか」

「知っている。護衛業は随分と儲かっているようだな」

「それを知っておいでなれば・・・」

「わかっている。俺としても商家の不興を買うのは不本意だからな。そこで提案だ。今後商船の護衛は一色の水軍が受け持つこととする。寅吉も含めてな。しかしそうなると染屋の儲け元を奪うことになる。故に染屋は商会組合を通して護衛依頼を各商家より受け一色家にその依頼を斡旋せよ。依頼料はそのまま染屋が受け取ることとし、万が一水軍の護衛が失敗し商家に賠償せねばならなくなった場合は、一色から金を払う」

「たしかにそれであれば我らが損することはありませぬな」


 熊吉はしきりに頷きながら聞いていた。

 寅吉は・・・、この手の話は苦手か。まぁ商才が無い故に船団護衛の指揮官をやっていると言っていたからな。


「さらに例の火矢に関しても水軍で買い取ろう。いらぬ布を使っておるのだろう?あの案も俺が買う。商売に使えぬ布を手に入れたら水軍衆または水治奉行に申せ。その分を買い取り、水軍衆の武器として利用する」

「あまりにもこちらを優遇しすぎではありませぬか?」

「そう思うか?今後一色の水軍は必ず大きくなる。先を見据えた投資と思えば良い。水軍が大きく強くなれば、これまで行けなかった土地にも商船を派遣できるようになるやもしれん。珍しい物が動けばそれだけ儲けが出る。やらしい話、そうなれば商会組合からの上納金も多くなるのだ。一色も大井川領も潤う。そうなれば染屋だけの利益ではあるまい」


 今度は目を輝かせながら頷いていた。寅吉がというよりもこの兄弟が表情豊かなのだと思った。


「寅吉、お前はどうだ?一色様のお力になれるのか?」

「それはまだ分かりませぬ。お武家様に仕えること自体初めてですので・・・。しかし一色様に俺の力を認めてもらえたのだからそのご期待には応えたい」


 最初は俺へ、後は熊吉に言った言葉だろうな。その瞳には強い決心のようなものが見て取れた。


「我ら兄弟は今回頂いたお話に異論は御座いませぬ。どうか・・・、弟をよろしくお願いいたします」

「お願いいたします!」

「任せよ。染屋が胸を張って、あの者は染屋の家の者だと言えるようにしてやる。ただしすぐに水軍の運用は出来ぬ。よってしばらくは林彦五郎の下につき水治奉行の仕事を覚えよ」


 また表情が変わった。今度は頬がひくついていた。やはりこの手のことも苦手だったか。しかし立派な武士になるためだ。これも水軍衆の指揮官になるためだと思って気張って貰うしかあるまい。


「今後ともよろしく頼むぞ」

「ははっ」


 そうだ、肝心なことを忘れていた。肝心なこと、それは名前だ。染屋とは商家である染屋が名乗ることが出来る名だ。これは一色家の商家保護の一貫で行っている。領内において大井川商会組合に所属していない者は、所属している商家の名を名乗ることを許さない。これはなりすましを防ぐための策だ。染屋の現主人である熊吉の弟だとはいえ、商家から離れる寅吉にその名を名乗らせ続けるのは規則に反する。


「大井川商会組合の取り決めを知っておるな」

「知っております。すでに染屋から出、一色の家臣となりました。今後一切染屋の名を名乗ることは出来ませぬ」


 少し寂しそうなのは熊吉だった。


「そうだ。であるから俺から名を授ける。音は変わらずとも良い。大井川商会の者らは必ず書面と商印にて契約を交わすからな」

「ありがたき幸せに御座います」

「今後は」


 俺は予め用意していた紙と墨、そして筆を手に取り新たな名を書き記した。


「今後は”染谷そめや寅政とらまさ”と名乗るが良い。期待の意も込めて俺から政の字を授ける。存分に働くが良い」

「ありがとうございます!」


 俺から紙を受け取った寅吉は感動した様子で握りしめていた。


「用意もせねばならぬであろうし、家の者らにも報告せねばならぬだろう。後日彦五郎を迎えに行かせる。それまでは染屋の家でゆっくり過ごせ」


 2人が揃って頭を下げて部屋から出て行った。


「彦五郎、聞いたな」

「はい」


 奥の部屋より彦五郎が出て来た。水軍の完成は彦五郎の悲願でもある。今後一色水軍に関係のあるであろう者との話には必ず彦五郎を呼んで話を聞かせていた。


「水治奉行であるお前が海に出ることは出来ぬ。故に元々水軍の整備関与していた者から1人、奥山海賊衆の頭領である奥山親元、そして染谷寅政、この3人で複数の水軍を編成するつもりだ。そのつもりで船を揃えよ」

「かしこまりました。して元よりいた一色の指揮官は誰にいたしますか?」

「そうだな・・・。後々だな。今はまだその様は見えぬ」

「かしこまりました」


 俺の命を聞いた彦五郎もまたいそいそした様子で部屋から出て行った。気がつけば随分と染屋らと話していたようだ。

 そろそろ夕餉か。いやその前に久の様子を見に行こう。おそらく染屋から小袖と打掛を買っているはずだからな。

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